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作家・谷村志穂さん「親は子どものまぶしい生命力を、ただ後ろに回って応援できるようになればいい」

  • 2022.12.1
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喪失を抱えながら子どもと生きる女性たちを描いた小説、『うさぎの耳』をWeb連載中の谷村志穂さん。自身の子育てや物語のことなど、お話をうかがいました。

▶『うさぎの耳』あらすじ
子どもの障がい、夫の失踪、ギスギスした義母との暮らし。そんななかで、主人公の美夏は公園で出会った莉子と心を通わせていく。その莉子にも複雑な事情があり…。毛糸の指人形と子どもの果てしない生命力。喪失を抱えるすべての女性に寄り添う再生の物語。

何も持たないなかで、必死で生きるお母さんを描きたい

『うさぎの耳』の主人公の美夏は、子育てに必要と思われていることのおよそすべてを持たない人です。

赤ちゃんの誕生と同時に夫は失踪。住む家はなんとか確保したものの、義母は孫にも無関心で、決して恵まれた環境とはいえません。

公園で楽しそうに遊ぶ親子と自分との間には、大きな隔たりがあるように感じて、輪に加わることもできない美夏。温かい家庭や愛情、経済力はもちろん、子育てをサポートしあえる友人もいない。彼女の子育ては、喪失から始まります。

わが子を守ることに必死の母親は、では本当に何も持っていないのでしょうか。

美夏はある日、公園で編み物をする女性と出会います。なめらかに動くかぎ針から生み出される、小さくて愛らしいパペット。

「リクくん、こんにちは」。指につけたパペットをあやつって息子にそう語りかけてくれた彼女と、美夏はまた会う約束を交わします。

ママ友もいない、公園デビューもうまくできなかった美夏が、友人を得ていく始まり。何も持たない二人が支え合って友だちになっていく。そんなふうに、この物語は始まりました。

さみしさを引き受けて分かち合える存在に

赤ちゃんの誕生って、まばゆい祝福で満たされていますね。赤ちゃんの神秘的なまでの生命力を目にすると、20年前に母になった自分自身の経験を振り返っても、またそう思います。

ただ、そのきらきらした状況が、少しずつ子育てという役割の負荷に押しつぶされていってしまうこともあるかもしれません。

「幸せね」「かわいいね」「がんばって」。

子育て中のママ、パパにかけられる言葉は晴れやかな響きばかりですが、その明るい言葉をまっすぐ受け止められないことだってきっとあるはずだと思います。

もしかしたら「さみしいね」という言葉のほうが、子育て中の心にすっと寄り添ってくれることもあるかもしれません。

さみしさって悪いことではなくて、誰もが抱えているものだと思います。真っ青な青空がまぶしすぎて、薄曇りや雨降りのほうが心地よく感じることだってあるでしょう。

けれど、母になると、どこかで底抜けの青空を求められているような気がして息苦しくなってしまう。でも、そのさみしさを恥じたり、捨て去ることはないはずだと、薄曇りが好きな私は思います。

母が抱えるさみしさを子どもが癒やしてくれることもあるし、また見ず知らずの人がふっと寄り添ってくれることもある。

『うさぎの耳』もまた、晴れやかな日ばかりではない子育て中のいろいろな感情をそっと抱きとめる、そんな物語でありたいと書き進めています。

社会性や世間体より、必死に優先できるものがある強さ

私の子育てを振り返ると、特に娘が幼いときは「ママ友」や「公園デビュー」から離れたところで子育てをしよう、と考えていたことを思い出します。そういう場に身を置くことで、情報の波に飲み込まれてしまうのではないか、とこわかったんですね。

もともといたごく親しい友人と、遠く離れた札幌に住んでいる母。頼れる人は決して多くはなかったけれど、それでも大きな不便はなく娘を育ててこられました。当時の私には、あの選択が必要だったのだと思います。

『うさぎの耳』の主人公の美夏も、うまくママ友の輪に入れなかった人です。夫は不在で、息子の理玖くんは障がいを持っていて、世間的に見れば幸せな育児のイメージとは遠いところにいるかもしれません。

でも彼女は、理玖くんの生命力を前に、無条件で「この子はすごい」と感じる心を持っている。だからこそ彼女には揺るぎないお母さんの強さがある、というふうにも思います。

義母に対して遠慮のない物言いができるのも、「この子を必死に守る」という芯があるから。

社会性の中で子どもを育てていこうとすると、どうしても周囲と調和すること、美夏ならば義母とうまく折り合いをつけることが重要になります。けれど、世間よりも大事なものがあれば、きっと違う選択になるだろう、と思うのです。

まぶしい生命力を信じて、後ろに回って応援できたら

娘が成人した今思うのは、子育てには正解はないということ。そして、子どもには、親の想像を超えるようなたくましい生命力がある、ということ。

38歳で母になったとき、「私はこの子より38年も大人だ」と思っていたけれど、実は親と子は同級生だと思うんです。赤ちゃんが0歳なら、お母さんとしての私も0歳。子育ては同級生同士で始まるんですね。

でも、親にはこれまでの人生で得た経験や情報がたくさんあって、どうしてもそれを子育てに持ち込みたくなる。

「こんな失敗はさせたくない」「もっとこうしたらうまくいく」。

でも、前に出て引っ張っていく、という気持ちは間違いだったかもしれません。娘の手を引いて導こうとしたときほど、娘を傷つけていた、と後から反省したことも少なくありません。

親は、まぶしい生命力をただ後ろに回って応援できるようになればいい。押さえつけるのをやめれば、子どもが本来持っている資質が伸びやかに育っていく。

それに気づくのが遅かったことが、私の子育ての反省です。

なりふりかまわず必死になって当然。その姿はきっと子どもを安心させる

子どもを育てるって本当に大変なこと。髪を振り乱して、自分のことには手が回らなくなって、疲れ果てて寝かしつけながら寝落ちしてしまう日があっても当然ですよね。

でも、「ママに見えない!」「ママなのにきれい」というフレーズがほめ言葉になって、子育て中でも余裕を持つことが求められているようにも見える今。その風潮に追い詰められてしまう人も多いのではないか、と心配になります。

子どもが成人した今になって言うのはズルいかもしれないけれど、私は「もっと必死に楽しめばよかったな」って思うんです。そのほうが、子どもは大きな安心感を得られたのではないかな、と。

必死に向き合うって、それはすごく美しいことでもあります。周囲の目や理想のママ像にフィットしなかったとしても、それを卑下したり、無理に合わせる必要はないはず。

それよりもまぶしい成長を遂げるわが子に必死でいられたら、と思う二十歳の母です。

喪失を埋める方法はクリエイトすること

『うさぎの耳』は喪失から始まる物語ですが、その喪失を埋めていく役割を担うもののひとつが、色とりどりの毛糸で編まれるパペットです。「何も持たない人」の物語を書きたいと思っていた私が、偶然にも出会ったのが小さな手編みの指人形でした。

言葉にできないさみしさを埋めるものは、クリエイトすることではないかとおぼろげながらに考えていたとき、ぽんとあらわれたパペット。思わず語りかけたくなる、語りかけてくれるような気がする。どこかとぼけた表情のパペットを目にしたとき、私の中で物語が動き出しました。

大人になると、面と向かって「友だちになって」と言うのは、気恥ずかしい。でも、「パペットの作り方、教えてください」という言葉なら、すっと口にできるかもしれない。そして、作り出されたものは、きっと会話の橋渡しをしてくれる存在になるでしょう。

自分自身のことを語るのは気が引けても、手を動かして作ったパペットについては屈託なくおしゃべりができる。そんなことって、きっと誰にでもあるのではないかと思います。

それは手芸かもしれないし、写真かもしれないし、誰に見せるわけでもない日記かもしれない。どんなことでも、何か自分から生み出されるもの。

目の前の「モノ」を通して話すほうが、お互いをわかり合える。間に入ってくれるモノに託して、気持ちを伝えられる。それが人間同士なのかな、と思うのです。

美夏は、公園での出会いをきっかけに、自分でも指人形を編み始めます。次々と生まれてくるかわいらしいパペットは、彼女のさみしさを少し埋めてくれるでしょう。そして、個性豊かなパペットたちを通して、二人の女性はさまざまな話をすることになるでしょう。

子育てにはきっとさみしさもつきものだけど、それを分かち合えたり、温めてくれる存在も必ずあるはず。今、目の前の子どもを必死に守っているママにもそんな温もりがありますようにと祈りながら。

谷村志穂●作家。北海道札幌市生まれ。北海道大学農学部卒業。出版社勤務を経て1990年に発表した『結婚しないかもしれない症候群』がベストセラーに。2003年長編小説『海猫』で島清恋愛文学賞受賞。『余命』『いそぶえ』『大沼ワルツ』『半逆光』などの多くの作品がある。

撮影/中村彰男 スタイリング/福岡邦子 ヘア&メイク/山下光理 取材・文/浦上藍子 衣装協力/トレメッツォ

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