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中2で「初めてのセックスはどんな状況か」を考えさせる…日本と全然違うカナダの性教育

  • 2022.11.11
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海外の学校ではどのような性教育が行われているのでしょうか。漫画家の田房永子さんは「ある女性がカナダの中学校の性教育で、『初めてのセックスはどんなシチュエーションかを考えてくる』という宿題を出されたという話に衝撃を受けた」といいます――。

黒板を使って性教育の授業中
※写真はイメージです
「男性の性欲は女性のそれとは比べものにならない」のか

日本の小中高では、第二次性徴として女性には「生理」があり男性には「射精」がある、と性教育でならうのが一般的だと思います。

生理は生殖にまつわることで、射精は生殖にまつわりながら性欲と切り離せない機能。それを男女の“対”として教わることで、暗に「女性には性欲がない、もしくは男性に比べてわざわざ教えるほどでもないくらい弱い」かのような印象が刷り込まれているように思います。

それにより男女がお互いの無理解は深まり、溝を複雑化させているんじゃないか。私はそう思ってきました。

男性のように射精とセットになっていないだけで、生理と別のところにちゃんと性欲は存在しているし、「男性のほうが女性より性欲強い」とかそんな簡単じゃなくないか? 状況とか体調とかによってぜんぜん変わるし、個人差も相当ありますよね? どうも教科書で習ってきたことと、実際の出来事のつじつまが合わなすぎるんですよね。どう思います?

飲み会とかでこういう話を男性にすると「いやあ、男性の性欲をナメないほうがいいですよ」と鼻で笑われることがたくさんありました。ネット上でも「女性の性欲とは比べ物にならないのに何言ってんだ」と、話が平行線をたどって交わることはありません。

私にとってはその「男の性欲は女のそれとは比べ物になりませんよ」というコメントで会話が終了してしまうことこそが「生理と射精セットにして教えることによって女性の性欲ないことになってる問題」そのものなわけです。

カナダの性教育に受けた衝撃

そういうようなことを先日、トークイベント(B&Bで行われた『どうして男はそうなんだろうか会議』(筑摩書房)刊行記念)で話しました。

その会場にお客さんとして来ていた、ちゃんまりさんという女性が話してくれたカナダの性教育に衝撃を受けました。

日本の性教育ではまず、男女の体の違いや第二次性徴、精子と卵子と精子の受精についてを習います。だけど、ちゃんまりさんが通っていたカナダの女子中学校の性教育では2年生でまず「自分が初めてセックスをするとしたらどんなシチュエーションか」を考える授業をするんだそうです。

セックスはあくまでも、恋愛などの相手との関係性の流れの中にあり、コミュニケーションの一貫である、ということを先に教わるんだって。

中2の宿題「初めてのセックスのシチュエーションを考える」

一番最初に出た課題が「自分の初めてのセックスはどんなシチュエーションか考えてくる」というもので、それが宿題で出され、ちゃんまりさんは寮の食堂で考えていたそうです。小学校までは日本にいたちゃんまりさん、「セックスというものは男性が誘ってくるもの」という前提で課題を記入していたら、寮母さんがそれを見てこう言ってきたんだそうです。

「女性側から誘うこともあるよ」

ちゃんまりさんは「ええー! そうなんだ! 女性にも性欲があっていいんだ」とビックリした、というお話でした。

私は聞いていてブワーッと鳥肌が立ちました。それ、それだよ、それやねん、それですねん!

性欲にもいろいろな感情や欲求がある

日本の性教育では性感染症や妊娠の危険や避妊については教えてくれるけど、じゃあそもそもその原因となるセックスというものが一体どういう場面で始まってしまうのか、それってどんな状況かについて教えないし、考える機会もない。そういうことを教えてくれる教員にあたらないかぎり。

【イラスト】そこは子どもに投げっぱなし⁈

ちゃんまりさんは「日本では性欲=エロティックなものってことになっているけど、本当は性欲の中には『さみしい』であったりいろいろな感情や欲求が入ってるはず」と話してくれました。

本当にそうだと思う! エッチなものを見たり触れたりした時に体から湧いてくる欲求を「性欲」と呼ぶとしたら、誰かと性的接触を交わらせたいという欲求は「性行為欲」って感じで、またちょっと違くない? と私も思ってた!

「性行為欲」の中には、相手に対して「性欲」をしっかり感じて行う、というだけではなくて、さみしい、つらい、みたいな感情がもとになって行動に移す時もあるだろう。「友達がもう経験済みだから自分もやらなきゃ」という焦りだったり、「相手の欲求に応えてあげたい」とか「応えないといけない空気」とか。時には自暴自棄な状況なこともあるだろうし、相手にマウントをとりたくて性行為を誘うとか。

それは男性でも女性でも、相手の性別も関係なく、セックスというものをする時の動機とか衝動って、「性欲=エロい気持ち」という一つだけでは本来片付かないくらいいろいろあるんじゃないだろうか。

ちゃんまりさんが通っていたカナダの女子校では、そのコミュニケーションとしてセックスを考える授業を2年生で行い、3年生ではコンドームの使い方を実際に模型に着用する授業や、マスターベーションについての説明もあったそうです。

ちゃんまりさんはWEBラジオでその話をしているので、詳しく知りたい方はぜひ聴いてみてください。(ちゃんまりとめいのMellowing Coke!)

相手の性別、性的同意の基準…考えるきっかけに

「自分が初めてセックスをする状況って一体どんな感じか?」を中学生で考えるってすごい。そこで「セックスすることがぜんぜん想像できないな」と思う人もいるだろうし、相手の性別とかも自分で認識することができるし、自分の性的同意の基準みたいなものを、漠然とでも想定することができる。実際にセックスすることになった時「これは違う」とか分かりやすいんじゃないかと思う。

実際に日本の学校でそういう授業をするなんて、先生たちの負担が大きいし今すぐは難しすぎると思うけど、自分1人でも「自分が初めてセックスをする時ってどんなシチュエーションだろう」と想定してみることは、男子にとっても女子にとっても必要だから、大人がその機会を設けてあげるのはいいことだと思いました。

女性にも「我慢できない」があるのではないか

性のお悩み相談で「彼がコンドームをしてくれない」という質問をよく見ます。回答は「避妊してくれない相手とはすんな」の一択なわけですが、こういう時、男性が避妊してくれないのと同じくらい、女性側が「我慢できない」状況になってしまうケースも危険性がある。男性のほうが「ゴムないからやばいよ」って言ってるのに、女性が「いいから」みたいなこと。

しかし「女性側の性欲が高まってしまった時に、性感染症と妊娠の危険性をどう回避すればいいのか」っていう質問はあまり見たことがありません。

それも、生理と射精がワンセット性教育からの、暗に漂う「女性の性欲はない」認識からの、つまり「女性側が性感染症と妊娠の危険から自分の身を守れなくなるほど性欲が高ぶることはない」というような前提があるおかげで、女性側はそういうケースを表立って言いづらい空気っていうのはあると思う。

もっと“ビンビン英雄ヒーロー”の話をしよう

私自身の話ですが、若者の頃、当時の彼氏と途中まで進み「コンドームを持ってないから、できないよ」と彼氏に告げられた時、私は「いいではないか」という態度をとったのですが、その男性はアソコをビンビンにしたまま真顔で帰宅をうながしました。そして本当に最後までせずに、私たちはおのおのの家に帰ったことがありました。

何が言いたいかというと、男性もそういう対応で女性と自分の体と生活と人生を守れるわけで、そんな“ビンビン英雄ヒーロー”たちの話ももっとみんなでしたほうがいいんじゃないかなって思うんです。

【イラスト】ビンビン英雄現る

日本の性教育やセックスにまつわる話って、男性だけに性欲があって、女性はいつでも受け身で常に自分の身を守ることを第一にしているものだ、という現実とは違う設定が土台になりすぎてる。それによって話さなければいけないことが言えなかったり、現実に起こることを「ない」ことにしなきゃいけなかったりする。

男性は「性欲があります」ってことを自ら言わなくても、「ある」という前提で世の中が回っている。それによって困っている男性もいると思うけど、その存在は無視されている。一方、女性は「ない、弱い、薄い」という前提で世の中が回っている。そのくらい隠されているほうが助かる女性も多い。でも私は窮屈さを感じてきた。

男性の性欲を否定しているわけではないのに

私は、コラムなどでこういうふうに、男女の性欲について触れる内容を書くことがあるのですが、読んだ一部の男性を怒らせてしまいます。彼らは「田房は男の性欲を嫌悪し消滅させろと言ってる」と誤読するのです。どういうふうに表現してもそうやって捉える人がいます。

私は男性が持つ性欲自体を否定しているわけではなく、「女性の性欲はないことになっていて、男性の性欲だけが存在しているかのような前提になっているあれこれ」に異議を唱えているだけなのです。だけどなぜか「俺たちに備わっている性欲そのものを失くせと言っている」と怒ってしまう。

性教育やなんかでは、女性は男性の猛り狂う性欲から自分の身を守らなければならない、みたいなところばかり教わっているから、いつも自分の性欲を否定されているような気持ちになる男性もいるのかな、と思います。ぜんぜん違うかもですが。

性欲が高ぶっちゃう時があるとかないとかは男女ともに個人差であり、状況にもより、でも男女の身体のつくりや機能はまったく違う部分があって、妊娠に至っては女性が心身に受ける深刻さはそれこそ男性のそれとは比べものになりません。だからそこは当然ちゃんと教わらなきゃいけない。だけどセックスって楽しいものでもある。自分の性欲と相手の性欲が合致した時ってめちゃくちゃうれしいし、愛があふれることもある。

反面、性暴力になってしまうこともある。その被害がどういうものなのか、どういうことをしたら加害になってしまうのか。それを理解するためにも、その「どういうセックスを自分は望んでいるか」という自分の欲求について思いをはせることって大切じゃないだろうかって思います。

田房 永子(たぶさ・えいこ)
漫画家
1978年東京都生まれ。2001年第3回アックスマンガ新人賞佳作受賞(青林工藝舎)。母からの過干渉に悩み、その確執と葛藤を描いたコミックエッセイ『母がしんどい』(KADOKAWA/中経出版)を2012年に刊行、ベストセラーとなる。ほかの主な著書に『キレる私をやめたい』(竹書房)、『お母さんみたいな母親にはなりたくないのに』(河出書房新社)、『しんどい母から逃げる!!』(小学館)などがある。

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