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高橋源一郎と橋本麻里が選ぶ、恋愛・結婚の「果て」を描いた小説3冊。愛の果てに見えるもの

  • 2022.11.6
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作家・高橋源一郎、ライター・橋本麻里

恋愛や結婚に何度失敗したって大丈夫

橋本麻里

どれから行きますか?

高橋源一郎

まずは『死の棘』から。島尾敏雄さんの私小説ということになりますが、僕が思うに世界文学史上最もひどい私小説。そしてもし日本の小説を何か1冊だけ紹介しろと言われたらこれを挙げる、という作品でもあります。

橋本

そもそも彼は戦争中、特攻隊の隊長として奄美の加計呂麻島(かけろまじま)に派遣され、島長(しまおさ)の娘と恋に落ちるんだよね。それが妻のミホさん。

高橋

島の人にとって島尾さんは、来訪神のような存在。その神様が島の神様の娘を娶っていくという、始まりはこれ以上ないほど美しい、神話のような話なんです。

橋本

なのに終戦を迎えて日常生活が始まると、夫は外に愛人を作り、ミホさんは精神を病んでいく。文庫版で600ページ以上ある長編だけど、そのほとんどが夫が妻に不実を激しく責め立てられるシーンの連続。

「発作のときの妻の要求はただひとつだけ。私にその過去の行為を認めさせ、くわしい説明を迫る(中略)小刀や紐(ひも)を持ちだし自殺のまねをはじめ、おたがいが先にやろうと取っ組み合う始末になる」(p.490)

Information

『死の棘』島尾敏雄/著

『死の棘』島尾敏雄/著

1960年の刊行だが、元はそれ以前の16年余にわたって書き続けられた小説。一家は東京から奄美大島へ転居、56年にカトリックの洗礼を受けた頃から、島尾は『死の棘』で描かれた時期の作品化を試み始めたという。61年、芸術選奨文部大臣賞。新潮文庫/882円。

正論で責め続けられることが宗教的な体験となる

高橋

繰り返される難詰(なんきつ)の何が本当に辛いかって、正論で責め続けられること。人間は基本的に、正しさには反論できないからね。

橋本

子供にとっては、両親の不和を延々見せつけられるのもきついよ。

高橋

そうだね。でも島尾さんは何があっても奥さんと別れない。100点満点から始まった恋愛は、下がるしかない。しかも急降下。その人間関係がどこまで行くのか、見届けるのが責務だと思っている節がある。

橋本

小説家としての責務?

高橋

人間として、だと思う。人間としてのモラルから、絶対に別れないと決めている。これは一種の宗教体験なんですよ。西欧だと、24時間絶対的な正しさで人間を責め苛(さいな)むのは神様の役割でしょう。でも宗教のない国で倫理的になろうとしたら、結婚して辛い目に遭うしかない。

橋本

そこで言う「モラル」って、浮気をする/しないの「モラル」とは違うものなんだよね。

高橋

「なぜ小説を書くか」という問題について、島尾さんは何かと契約している感じがあるんです。時代とか、神様とか、自分とか。その約束は裏切れない。無宗教の日本では普段、「書く」根拠は隠れていますが、正しいことで責められるうちに現れてくる。だから「きたきた、そうだ、その通りだ、もっとオレを責めろ」ってなる。

橋本

来るべき時が来て、裁きを受け、それに耐えることで何かを証明する。いわば受苦の経験ですよね。

高橋

でたらめなことを言って抑圧する父親なんかは、対決して乗り越える対象。正しくないものと戦っても宗教的な体験にはなりません。

橋本

でも「理不尽だけど弱い者」に対しても抵抗はできないよ。それも受苦じゃない?こちらがオトナになって、受け入れるしかない。

高橋

子育てもだな。ヤツらは不条理なんだよ、すべてが(笑)。でも不条理のまま受け入れるしかない。

橋本

そうなった時の「大丈夫」ってどういうことなのかな。成熟?

高橋

要するに人はそれまで無垢なの。自分がそれほど悪だとは思っていないのに、一度指摘すれば済む正しさと共に際限なく責め続けられたり、間違っているけど反駁(はんばく)できない弱さを楯に責められたり、不条理に直面させられる。その不条理を受け容れることが、成熟につながる。

橋本

キリスト教だと、イエス「僕はなぜ罰せられるんですか」、神「罪がないから」、イエス「マジ⁉」みたいな。理路が通らないのがいい。

高橋

それは地上の論理だからね。もっとうまい説明があれば覆されてしまう。でも論理抜きの不条理を納得できた時、人間は論理で理解されていること以上の存在になれる。鉄が熱せられて変化するように、不条理を通過することで、考えの質が変わるんです。ぜひ皆さん、この小説を参考にして、結婚してひどい目に遭ってください。

橋本

何を好き好んで5回も試練に遭うのかがわからないんだけど。

高橋

ええと、人間てすぐ忘れちゃう生き物だからさ、時々焼きを入れないとダメなんじゃないかな……。

恋愛感情があれば元本保証、あとはすべて利息みたいなもの

高橋

次の『グッド・バイ』は幾多の恋愛を重ねてきた男が心を入れ替え、妻と落ち着こうと、「今カノ」たちと別れることを思い立ち、外見は美女だけど中身はオッサン、という女性を妻だと言って「今カノ」たちに引き合わせていく小説です。

橋本

太宰がそれまで書いていた小説と大分違うよね。ずっと『死の棘』的にくよくよしていたのに、『グッド・バイ』では……。

高橋

トーンが違う。「何だか気持が変って来た。世の中が、何かしら微妙に変って来たせいか(中略)いや、いや、単に『とし』のせいか」(p.351)。 これ、恋愛を卒業する話だと思うんです。恋愛は素敵なことだけど、しても最後はこういうことになるし、だからといってしない、ということでもないし。恋愛の途中では悩みが多いかもしれないけど、悩んでも悩まなくても結果は同じ。「全ての恋愛は無に帰す」と言っている。

橋本

でも太宰は『グッド・バイ』を書いてる途中に心中しちゃう。ニヒリズムの人が心中するかな。

高橋

正直わからない部分もあるけどね。『グッド・バイ』の後に生きていたら、また恋愛に戻っていったかもしれない、とも思うんです。

Information

『グッド・バイ』太宰治/著

『グッド・バイ』太宰治/著

雑誌編集長の主人公は、愛人たちの整理を考えあぐね、「すごいほど美しい女」を調達、妻だと言って彼女らを歴訪する。「グッド・バイ」は女たちと別れる時の決めゼリフとして書かれた。表題作のほか「苦悩の年鑑」など後期作品16編を収録。新潮文庫/546円。

橋本

最後は『ヴェニスに死す』。小説は実は初めて読みました。

高橋

トーマス・マン、いいよ。短編がうまくて。さて、この小説のキモは「ストーカーでも大丈夫」。

橋本

でも相手に迷惑はかけてないじゃない、この主人公(笑)。一応「つきまとい」行為はしてるけど。

高橋

主人公は叙勲もされた、偉大な初老の作家で、多分若い頃から華麗な恋愛をしたに違いなくて。

橋本

奥さんは夭折してて、若い時も妻の死後も厳しく自分を律して生きてきた、じゃなくて?

高橋

そうだっけ?覚えてないけどいいや、どっちでも。とにかく名声のある人で、尊敬されているけれども、愛の対象ではなくなっている。

橋本

神棚の上の人ですからね。

高橋

前2冊の主人公たちはせいぜい30代で、早い時期に一つの恋愛が限界に達し、その戦後処理をどうするかって話なんだけど、『ヴェニスに死す』は晩年に人生の戦後処理をする話。

同性で、年齢も、国籍も、言葉も、身分も違う少年を対象にした、愛の可能性ゼロ、「見てるだけ」の恋愛なのに、それでも幸福そうなんだよね。「タッジオが舞台から消えてしまう九時に、彼にとっては一日は終わったような気がするからである。しかし夜がやっと明けかかるころに(中略)彼の心臓は彼の冒険を思い起こす」(p.97〜98)

橋本

それまで彼の人生になかった情熱の対象を持つことができたから。

高橋

恋愛は成就の可能性があるから素敵、ってものじゃないんだよ。最も重要なのは恋愛の対象を得ること。相手が自分の愛に気づかなくても、自分は愛の記憶と共に死んでいく、という純愛の物語が『ヴェニスに死す』なんです。実際に誰か相手がいて、うまくいかないとか別れるとか、なにを贅沢言ってるんだ、と(笑)。

恋愛感情があればそれで元本保証、あとはすべて利息みたいなもの。その利息が多いとか少ないなんて関係ない。

橋本

無から有が生じただけで素晴らしい。だから死んでも大丈夫。

高橋

この3冊を読めば恋愛・結婚については不死身になれます!

Information

『ヴェニスに死す』トオマス・マン/著、実吉捷郎/訳

『ヴェニスに死す』トオマス・マン/著 実吉捷郎/訳

ルキノ・ヴィスコンティによる映画のイメージ、ことにタッジオ役のビョルン・アンドレセンと、マーラーの交響曲第5番があまりに強烈。ポーランド人の美少年に魅入られた作家は、流行病に侵され、街頭で少年を見つめながらこときれる。岩波文庫/504円。

作家・高橋源一郎、ライター・橋本麻里

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『銀河鉄道の彼方に』高橋源一郎/著

高橋源一郎(作家)

たかはし・げんいちろう/1951年生まれ。作家。81年『さようなら、ギャングたち』でデビュー。2002年『日本文学盛衰史』で伊藤整文学賞、12年『さよならクリストファー・ロビン』で谷崎潤一郎賞を受賞。近著に『銀河鉄道の彼方に』(集英社、写真)。05年より明治学院大学国際学部教授を務める。

Twitter:@takagengen

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『変り兜 戦国のCOOL DESIGN』橋本麻里/著

橋本麻里(フリーランスライター、エディター)

はしもと・まり/日本美術を主な領域とする、フリーランスライター、エディター。明治学院大学非常勤講師、高校美術教科書の編集・執筆のほか、『BRUTUS』や『芸術新潮』『和樂』などで記事を執筆。近著に『変り兜 戦国のCOOL DESIGN』(写真)、共著に『恋する春画』(共に新潮社)ほか。

Twitter:@hashimoto_tokyo

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