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砂漠の町のシンプル青椒肉絲|世界の炒め物④

  • 2022.9.27
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旅行作家の石田ゆうすけさんは、中国に訪れたばかりの時は日本でも見慣れた漢字の料理「青椒肉絲」をよく店で注文していたといいます。中でも思い出深いのはシルクロードの砂漠地帯で食べた一皿で――。

砂漠の町のシンプル青椒肉絲|世界の炒め物④

■雄大で異様な風景

中国は漢字でメニューが書かれているから食堂でも困らないだろう、入国前はそう高をくくっていたが、前回少し触れたように、料理名の大半はチンプンカンプンだった。
「干烧虾仁」
「古老肉」
「木耳肉」
これ、なんの料理だと思います?
順番に「エビチリ」「酢豚」「きくらげと肉の炒めもの」です。わかりませんよねぇ。
もちろん日本と同じ名前の料理も少数ながらあって、中国に入ったばかりのころはそれらを選びがちだった。
「青椒肉絲」もそのひとつだ。

日本では肉とピーマンのほか、タケノコの細切りを入れるレシピが多い気がするが、僕が中国で食べていた青椒肉絲はたいていピーマンと肉だけで、肉は豚肉だった。
野菜が何種類か入る日本の野菜炒めとは違い、中国ではひとつの野菜だけを炒める料理が多かった。
今月のdancyuには中国出身の料理研究家ウー・ウェンさんのレシピがいくつか載っているが、香りづけのにんにくやねぎを別にすれば、炒める野菜はどれも一種類で、「素材ごとに加熱時間が違うから一種類のほうが失敗しない」と勧めている。彼女の青椒肉絲もやはり肉は豚肉、野菜はピーマンだけだった。

シルクロードの砂漠地帯でも、青椒肉絲をよく食べた。
ある日、井上靖の小説でも有名な敦煌に着き、安宿に投宿して荷物を部屋に入れると、再び自転車に乗って、近くの砂丘を見にいった。
花火大会でもあるのかと思うほどの人出だった。この人口規模の国で旅行熱が上がるとこうなるのか、と少しうすら寒くなる。もっとも、ここは砂漠なので人混みを避けるのはわけないんだけど。

砂丘は大津波のように街の背後に迫っていて、いまにも街を呑み込みそうな、ちょっと異様な景観だった。
見とれていると、一人のやせた西洋人が話しかけてきた。フランス人だという。
「中国は初めてかい?」と聞くと、彼はフランス語なまりのきつい英語で答えた。
「Yes, but last」
最初だけど、最後だ――。言葉にも言い方にも、棘があった。
日程を聞くと、3週間程度で中国を横断するという。
「忙しい旅になるね」と言うと、「そんなことはないさ」と彼は言下に否定した。
「見るところが少ないからね」
「えっ?」
こんなに見どころだらけで面白い国なのに。瞬時にそう思ったが、彼の目に映る中国は違うようだ。
「古いものをどんどん壊して新しいものを建て、どこもかも同じような町にしている。かと思えば、歴史的な遺構には電飾を這わせ、カジノみたいにキラキラ光らせる。まったくばかげている。ひどいセンスだ。そのくせどこに入るにも金、金、金。ほんといやになる」
美しい大自然の中で、彼は延々と悪態をつき続けるのである。鬱憤の吐き出し口を求めていたらしい。

うんざりしてきたので、僕は砂丘を登り始めた。すると彼もついてくる。
大きな歓声が上がった。観光用ラクダの乗り場で、中国人の集団が大声で何か言って笑っている。
フランス人の男がやれやれ、という顔をして言った。
「彼らはいつも喚いている......」
もういいよ。僕は気付けば強い口調で言っていた。
「君は中国人が嫌いなのか?」
一瞬、間があいたあと、彼は急に取り繕うように話し始めた。
「そんなことないさ。彼らはとてもフレンドリーだ。よく話しかけてくるし、列車の中では食事や菓子をいろいろ分けてくれるし、ほかにも......」
僕は適当に相槌を打ちながら砂丘を登り続けた。彼はそのうち話すのをやめた。

頂上に着くと、砂丘の向こう側が見えた。稜線が蛇のようにクネクネとのびて大地に下りていき、その先は海のような砂漠が一面に広がっている。砂丘の頂上に座り、景色をのんびり眺めた。
間もなくフランス人は「じゃあ俺は戻るよ」と砂丘を下りていった。華奢な背中がだんだん小さくなっていく。胸に小さな針を刺されたようなかすかな痛みがわいた。ちょっと、冷たかったかな......。

女性の肌のような滑らかな砂丘が、夕陽の光を浴びて金色に光っていた。輪郭がぼやけている。細かい塵が風もないのに舞い上がって、薄いベールのように砂丘全体を覆っていた。そのベールを凝視すると、ダイヤモンドダストのように塵がキラキラと光っている。

鳴沙山
鳴沙山

さらに砂丘が美しく見えるところを求めて、奥へ奥へ歩いていった。
砂丘は金色からオレンジ、ピンク、そして青へと色を変え、やがて空に星が灯り始めた。砂丘に寝転がり、増えていく星を眺めた。心の中のもやもやしたものが次第に薄れ、透明になっていく。このまま砂漠に寝るのもいいなと思った。

腹の虫が鳴り出した。そろそろ行こうか。起き上がると、空はまだうっすら青みがかっているのに、砂漠は真っ暗になっていた。あれ?
慌てて砂丘の上を歩き始めたのだが、足元がまったく見えず、歩くのも怖い。しかも砂漠のかなり奥まで来ていた。
真の闇では方向感覚が完全に失われる。自転車をどのあたりに置いたのかもさっぱりわからない。遭難の二文字が一瞬、頭をよぎった。
はるか遠くに浮かぶ街の明かりを頼りに、大まかな方向を定め、やっとの思いで砂丘を下りきると、それから自転車を探すために真っ暗な大地をさんざん歩きまわった。なんとか見つけ、息をついたときは午後9時をまわっていた。

自転車のライトをつけて街まで戻り、食堂に入って青椒肉絲とビールを頼んだ。
豚肉とピーマンだけの青椒肉絲だった。シンプルだけど、味がすっきり、はっきりしている。いろんなものを入れないということは、濁らないということだな、と思った。クリアだから、力強い。ピーマンの味がダイレクトに来る。豚肉の甘味がからむ。旨いなあ。なんでこんなものがこんなに旨いんだろう。ビールをぐびぐび飲む。

あのフランス人の男は今どうしているだろう、と思った。あれこれ考えていると、何日か前に会った2人のフランス人学生たちのことが思い出された(前回登場)。漢字のメニューが読めず、毎日炒飯しか食べていないというので、食堂に同行して僕がみんなの分を注文したのだ。いろんな料理を食べながら、2人はいい顔で笑っていた。
今日の屈託だらけのあのフランス人も晩飯に誘って、野菜を一種類ずつ炒めたこれらの料理をいくつもテーブルに並べ、一緒にビールを飲みながら食べたら、あるいは彼の中国の印象も少しは変わったかもしれない。この日も順調に酔っぱらいながら、そんな無邪気なことを考えていた。

文:石田ゆうすけ 写真:長野陽一

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