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「ママが心配だから捕まってよかった…」覚醒剤依存の母を持つ中3の息子が社会福祉士になる夢を描くワケ

  • 2022.9.24
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過酷な状況に置かれるヤングケアラーが、自身の経験を糧にし、キャリアを築くにはどうすればよいか。大阪大学人間科学研究科教授の村上靖彦さんは「願いを持つことと願いをサポートする周囲の存在が必要だ」という――。

※本稿は、村上靖彦『「ヤングケアラー」とは誰か 家族を“気づかう”子どもたちの孤立』(朝日選書)の一部を再編集したものです。

険しい山に登る人・人生目標の概念
※写真はイメージです
覚せい剤依存の母親を持つAさんの居場所

当時のAさんは2つの居場所を持っていた。

【Aさん】最初は覚醒剤の使用だけやったんですけど、営利目的の人、売人にもなっちゃって、だから結構、〔男の人も〕出入りもしちゃってたし。それを私は学校にも言うつもりもなかったし。おかしい行動とかしてたんですよ。次々替わる彼氏とかも、ガレージの下で注射器持って正座してたりとか、結構やばかったんですよ。あと何やろ。家の前で血まみれになるぐらいのぼこぼこのけんかを、男同士がしてたりとか、そういうのがあって。そのときは、『なんでこんな家に生まれたんやろ』とか、めっちゃ思ってましたね。

でもやっぱり、ずっと里には来てたけど、里より私の場合は中学校に、学校に通ってることが楽しかったんですよね。学校の先生も知ってる(著者注:「知らなかった」の言い間違いか?)わけではないけど、それが結構ありますね、学校のほうが楽しかったっていうのは。

「それなんでか?」って言われたら分かれへんけど。里はちっちゃいときからおったから、自分の泣いてる姿とかを見てる人がいっぱいおるから、それに比べて中学校ではそういうことがないから、逆に過ごしやすかったっていうのが多分あったんやと思うんですけど。

生存不可能になってもSOSを出せないヤングケアラー

異様な状況である。母親が覚醒剤の売人になり、男たちが家に出入りしながら異常な行動をする。

「なんでこんな家に生まれたんやろ」は孤立し絶望した独り言だが、「ママのせいで」と責める言葉ではない。こどもの里と学校で支援者に恵まれていたAさんだが、そのサポートのなかにあって「言えない」「なんでこんな家に」と感じるような孤立を経験している。「学校にも言うつもりもなかった」ことと「なんでこんな家に生まれたんやろ」という思いとはリンクしている。母親の薬物使用という状況にあって、家の外にSOSを出せず、家は生存不可能な状況になるのだ。背景はそのケースによって個別的だろうが、状況からの圧力と言語化の難しさゆえにヤングケアラーがSOSを出せないという事実は、一般化が可能だろう。

母親の問題を知らない場所では明るく居られる

こどもの里が居場所でありシェルターであったAさんだが、不思議なことに「でも」中学のほうが「楽しかった」という。こどもの里は、泣くこともできる安心がある場所であり、それゆえに悲しい場所になるというあいまいさがある。中学校の仲間たちは母親の問題を知らないので楽しく過ごせたのだ。「でも」をはさんだ状況の両義性は、ここでもAさんの語りの大きな特徴となっていく。「でも」はここでも知の両義性に関わる。Aさんが泣いていたこどもの里はAさんの苦境にうすうす気づいている施設である。学校の友人はAさんの苦境に気づいていないがゆえに、明るく振る舞えるのだ。

生徒のいない教室
※写真はイメージです
「泣く場所」と「楽しめる場所」2つの居場所が支えとなった

こどもの里と中学校という2つの居場所が補い合ってAさんを支えている。親しいスタッフが見守る安全で安心な場所であり、感情を出して泣くこともできる場所としてのこどもの里と、家族のことは知られていないがゆえに、友だちと仲よくコミュニケーションをとることができる場所としての中学校、そのどちらも必要だろう。

居場所にはいくつかの機能がある。そして複数の居場所を持つということが大事である(孤立すると居場所を失っていく。まさにこのような状況のなかで複数の居場所を持てたことが、Aさん自身と地域の力である)。

こどもの里は、母親が不在であることへのケアと、泣いているAさんをかくまう場所という形を取る。Aさんに何も言わないままかくまうことで、Aさんが自立していく準備をしたのがこどもの里だ。ヤングケアラーとしてのAさんは周囲に母親の覚醒剤を告げられないという意味では孤立していたが、しかしAさん自身を支えるコミュニティはつねに背景にあった。これはヤングケアラー支援一般についても居場所が重要であるということを示唆している。

人生の転機となった母の逮捕

そして中学3年生のときに母親は2回逮捕され、実刑判決を受ける。

【Aさん】今の現状に戻るきっかけになった出来事としては、普通にママが〔2回目に〕捕まったっていうことなんですけど、中3になった、ほんまに4月ぐらい。4月ぐらいに、始業式の日、家庭訪問の日やって、家庭訪問の週やったんですよ。なんで、早帰りで、帰ろうとしたときに先生から、「今ママから電話来て、家の鍵をママが持って来てしまって家入られへんから、直接、里おって」って言われたんですよ。『なんかおかしいな』と思って、里、行かずに、そのまま家帰ったんですよ、『なんかおかしい』と思ったから。案の定、家の前に警察立ってて。「ここの家なんですけど」っつったら、警察が電話してやりとりし始めて、「入っていい」っていう許可が下りて私に伝えてきたんですけど、「家んなか、入っても大丈夫やねんけど、なかの物とかは一切触らんといて」って言われたんです。

『これは終わったな』と思って「分かりました」って言って。「この後、どっか行きますか」って言われたら、もうすぐ里、行かないとあかんから「こどもの里に行きます」って言って、そしたら「分かりました」って言われて、家入って。

その注射器とか粉とかストローとかそういうのを全部集めて。家宅捜索される前やったから全部置きっぱなしやったんです。全部集めて。そのまま。

【村上】Aさんが集めたの?

【Aさん】はい、私が全部集めて。粉とかストローとかも全部切って、トイレに流したんですよ。

【村上】Aさんが流した。

【Aさん】注射針とかは切れなかったから持って。それ以外のものは全部やったけど、でも『やっぱあっちはプロやし無理やな』とか思いながらも、もう全力めっちゃ尽くしましたね、そのとき。

そのまま里、行って。里の人はもう話知ってたんかな。中学校の先生も多分、その時点で知ってて、その日の夜に学校の先生とか来てくれて、状況みんな把握したって感じで。

恐れていた「母の逮捕」は安心の種でもあった

「今の現状に戻るきっかけになった出来事」というように、母親の逮捕がAさんの人生の転機となる。「戻るきっかけ」というように逮捕は悪化というよりも回復へのきっかけだが、それは表面的には薬物をやめることができたからだ。「普通にママが捕まった」ことは、それまでもっとも恐れており、不安の種だったことであり、だからこそ「なんかおかしいな」と予感が働いたのだろうが、逮捕のあとには安心の種にもなる(「その後ママが捕まってからはやっぱりママがずっと隔離されてるから、何も安心してたんですよ、めっちゃ。」)。

逮捕がきっかけであいまいだった状況がクリアに…

中学校の教諭が「今ママから電話きて」とは言わないだろうから、この「ママ」という呼称はAさんの思いがそう語らせたことになる。「これは終わったな」と確信しつつ、薬物の証拠を消すために「尽くす」身振りも強いコントラストを成している。

村上晴彦『「ヤングケアラー」とは誰か 家族を気づかう子どもたちの孤立』(朝日選書)
村上靖彦『「ヤングケアラー」とは誰か 家族を“気づかう”子どもたちの孤立』(朝日選書)

注射器やストローを隠そうとする行為は、もちろん母を守ろうとして「尽くす」ことであるが、私は「尽くす」という言葉を選んだことに驚いた。○○のこどもの里の代表である荘保さんから事前に唯一聞いていた情報が、「警察が来てストロー流したり」ということだった。そのとき私は、母親がストローを流す場面にAさんが居合わせていたのだろうと思いこんでおり、まさかAさん本人が流したのだとは思わなかった。

「状況みんな把握した」と、この場面以降、今までさまざまな面であいまいだった状況がすべてクリアになり、全面的な知に切り替わる。表面的な「きっかけ」は逮捕だが、深層にある、より重要な転機は、この知の布置の組み換えではないかと思われる。このあとAさんが「全部知ってた」と語る場面が多いが、逮捕がきっかけで関係する全員が知にいたり、そのなかで際立った存在としてAさんの知があるという構図になっている。

ヤングケアラーの経験を糧に将来の夢を見出す

母の身柄が拘束されたあと、いったんきょうだい3人はこどもの里に滞在することになる(緊急一時保護)。そして妹と弟は関東のY市にいる父のもとに引っ越し、中学3年生だったAさんは「私だけ約1年間ここ〔こどもの里のファミリーホーム〕に」滞在することになる。

【Aさん】他の子とかと違うって自分で思うのは、そういうことがあったけど、ぐれなかったんですよ、私自身。夜中、遊びに行ったりとかもなかったし、タバコ吸ったりとかお酒飲んだりとかも全くなかったんで。こういう経験をきっかけに、社会福祉士として仕事に就きたいって思って。その〔母親の逮捕という〕きっかけがある前から、『自分はいろいろ大変や』っていうのを分かってたから、『自分みたいな子とか親を増やしたくない』っていう思いがあったんで。だからもうそのときぐらいから、そういう『児童福祉関係の仕事に就きたいな』とは思ってました。

図書館でメッセージボードを持つ男子生徒
※写真はイメージです

Aさんは「そういうことがあったけど」ぐれなかった。そして「こういう経験をきっかけに」社会福祉士を目指している。将来へ向けての願いが語られ始める大事な瞬間だ。Aさんは社会福祉士という、自分の困難な経験をそのまま昇華する職業を選ぶという仕方で逆境に応答しようとした。

ヤングケアラーとしての経験を糧にして、キャリアを築こうとする人がいる。そういう選択のためには、願いを持つことと願いをサポートする周囲の存在が必要だ。願いを持ち実現しようとすることは、子どもにとっても終末期の高齢者にとっても、自分自身の尊厳を守るための大事な要素である。

村上 靖彦(むらかみ・やすひこ)
大阪大学人間科学研究科教授・感染症総合教育研究拠点(CiDER)兼任教員
1970年東京都生まれ。2000年、パリ第7大学で博士号取得(基礎精神病理学・精神分析学)。13年、第10回日本学術振興会賞。専門は現象学。著書に『母親の孤独から回復する 虐待のグループワーク実践に学ぶ』(講談社選書メチエ)、『在宅無限大 訪問看護師がみた生と死』(医学書院)、『子どもたちがつくる町 大阪・西成の子育て支援』(世界思想社)、『交わらないリズム 出会いとすれ違いの現象学』(青土社)、『ケアとは何か 看護・福祉で大事なこと』(中公新書)など多数。

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