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【『哲仁王后』の歴史解説】いがみあう大王大妃と大妃の立場はどう違うのか

  • 2022.9.13
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テレビ東京の韓流プレミアで放送中の『哲仁王后~俺がクイーン⁉~』。9月12日にオンエアされた第3話では、王妃になったキム・ソヨンが王族の長老女性に挨拶に行く場面があった。

キム・ソヨンが挨拶したのは大王大妃(テワンテビ)と大妃(テビ)の2人だ。

両者の間では火花が飛び散るような不穏な雰囲気があったが、そもそも2人はどういう関係なのだろうか。

朝鮮王朝では、国王の祖母を大王大妃と言い、母を大妃と呼んだ。

とはいえ、国王の25代王・哲宗(チョルジョン)は養子なので、大王大妃と大妃とは血がつながっていない。あくまでも「義理の大王大妃と大妃」なのである。

それでは、2人の女性はどんな素性なのか。

ペ・ジョンオクが演じる大王大妃(写真左)とチョ・ヨニが扮する大妃(写真=© STUDIO DRAGON CORPORATION)
激しい権力争い

まず、大王大妃から。

彼女は純元(スヌォン)王后のことであり、イ・サンの息子だった23代王・純祖(スンジョ)の正室だった。実家の安東(アンドン)・金(キム)氏が外戚として絶大な権力を握る上で中心人物になった女性である。

ところが、純祖はあまりに安東・金氏の一族が政治を牛耳ってきたので、対抗勢力として豊壌(プンヤン)・趙(チョ)氏を優遇して、その一族から息子・孝明(ヒョミョン)世子の正室を迎えた(孝明世子は『雲が描いた月明り』でパク・ボゴムが演じた世子である)。

その女性が、大妃として『哲仁王后~俺がクイーン⁉~』に登場する趙氏である。

しかし、孝明世子が1830年に21歳で急死してしまったので、豊壌・趙氏は勢力を拡大することができなかった。

純祖が1834年に亡くなったあと、孝明世子の長男が即位して憲宗(ホンジョン)となった。しかし、彼は1849年に22歳の若さで亡くなり、純元王后が安東・金氏の傀儡(かいらい)として指名したのが哲宗なのである。

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以上のことを整理すると、『哲仁王后~俺がクイーン⁉~』の中で登場する大王大妃は孝明世子の母の純元王后であり、大妃は孝明世子の妻の趙氏である。

2人は安東・金氏と豊壌・趙氏という具合に実家の一族が違う。そして、両一族は激しく勢力争いをしていたので仲が悪いのだ。それゆえ、姑の大王大妃と嫁の大妃もその影響を受けていて、お互いにいがみあっていたのである。

そういう歴史背景を知っておくと、これからも『哲仁王后~俺がクイーン⁉~』のストーリーがよくわかるようになるだろう。

文=康 熙奉(カン・ヒボン)

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