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「多岐亡羊」とはどんな意味の四字熟語?その由来や類義語は?

  • 2022.8.17
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進路や方針が多すぎて何を選ぶべきかわからなくなってしまうことを意味する四字熟語び「多岐亡羊」。 この言葉は、特に学問の世界で使用さます。

ここでは、「多岐亡羊」という表現の意味や由来、類義語について見ていきましょう。

「多岐亡羊」とは

まずは「多岐亡羊」という言葉の意味や別表現について見ていきましょう。

「多岐亡羊」の意味

「多岐亡羊」は、進路や方針が多すぎて何を選ぶべきかわからなくなることを意味します。 学問の世界を対象とした表現として使用されることが多いです。

学問をする者が枝葉末節に囚われると本質を見失うことを指して用いられます。 また、学問の道が多方面に分かれすぎると真理を求めにくくなる、という意味合いでも用いられます。

「岐路亡羊」「亡羊之嘆」と表現されることもある

「多岐亡羊」は、「岐路亡羊」や「亡羊之嘆」と表現されることもあります。 いずれも意味合いが変わることはなく、「岐多くして羊を亡う」という慣用句の形式になることもあります。

「多岐亡羊」の由来

 

「多岐亡羊」という言葉はがどのようにして生まれたのか、その出典について見ていきましょう。

由来は「列子」‐説符に伝わる故事から

「多岐亡羊」という四字熟語は、古代中国にまとめられた思想書「列子」の一篇にあたる「説符」の中の故事を出典としています。

「列子」は、中国戦国時代にまとめられました。 この列子の一篇である「説符」に楊朱という人物も関わるある話が載っています。

ある日、一頭の羊が逃げ出すと、その羊を捕まえるべく近所の人達も巻き込んで多くの人が追いかけました。 しかし、道中は分かれ道が多くあったため、人は大勢いたのですが途中で羊を見失ってしまい、結局取り逃してしまいました。 この話を聞いた思想家の楊朱は、「学問の道も同じである。あまり多方面になりすぎると真理にはたどり着きにくくなるものだ」と漏らしました。

羊を見失ってしまった話を聞いて楊朱が漏らした言葉から、「多岐亡羊」は学問の世界で迷うことや真理を掴むことの難しさをあらわすようになったのです。

「多岐亡羊」の類義語

 

最後に「多岐亡羊」の類義語を見ていきましょう。 類義語としては、「右顧左眄」や「首鼠両端」などの四字熟語があげられます。

右顧左眄

「右顧左眄」は、右を見たり左を見たり周辺の情勢を伺ってばかりで一向に決断しないことを言った四字熟語です。

「顧」は気にかけて振り返ることや気になって見ることを、「眄」は気にかけて流し目でちらりと見ることをあらわしています。 つまり、右や左をキョロキョロと見てしまうということから、どちらに進むべきか選べないでいる様子を指しているということになります。 躊躇い迷っている心情をあらわした言葉となります。

首鼠両端

「首鼠両端」とは、どちらにつこうかと迷うことを意味する四字熟語です。 意を決することなく、形勢を窺っている状況となります。

鼠が、穴から首だけ出して外の様子をキョロキョロと見回すことから来た言葉です。 その様子が転じて、どちらに進むべきか迷っていることに対して用いられるようになりました。

まとめ

「多岐亡羊」という四字熟語は、選択肢が多すぎることによって、何を選べば良いのかわからなくなっている状態を意味します。 この言葉は、逃げた羊を大人数で折っておきながら取り逃がしたという様子が学問に似ていると例えた思想家のつぶやきから来た言葉とされます。 その成り立ちから、学問に対して用いられることが多い言葉となっています。

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