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「自分は絶対しない」は勘違い…精神科医がどんなに穏やかな人でもあおり運転の可能性があると断言する理由

  • 2022.8.15
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ニュースなどでもよく取り上げられる「あおり運転」は、極端に車間距離を詰めてきたり、幅寄せをするなどして運転の邪魔をする危険な行為だ。精神科医の井上智介さんは「あおり運転をする人の心理には、いくつか共通の傾向がある」という――。

ドライブレコーダー
※写真はイメージです
「あおり運転」は増えているわけではない

最近、あおり運転についてのニュースを見聞きすることが多く、あおり運転が増えてきたと感じている人も多いのではないでしょうか。しかし実は、あおり運転そのものは昔から存在していました。スマートフォンやドライブレコーダーが普及し、あおり運転の瞬間を映像として目にする機会が増えたために、「あおり運転が増えた」という印象が広がったのです。

そして、たいていの人が、あおり運転のニュースを見て「自分はあんな運転はしない」と思っていることでしょう。でも実は、誰もがちょっとしたきっかけで豹変ひょうへんして、あおり運転をする可能性があります。あおり運転をする人の心理の傾向を見ていきましょう。

「公」「私」の境界があいまいになってしまう

多くの人は、公私別々の顔を持っています。会社などの家の外では「公」、家というプライベート空間では「私」という顔を使い分けながら生きています。

外では理性が働いて自己中心的な行動を慎みますが、家の中では、人目を気にせず、外ではできないような自分中心の行動をすることが多いと思います。プライベートの空間は、理性が甘くなることが多いのです。

もちろん他人に危害を加えたり、不愉快な思いをさせたりしないのであれば、自分中心の行動であっても何の問題もありません。例えば部屋を散らかし放題にしても、同居人が不愉快でなければいいわけです。

しかし、車の中というのは、「公か私か」の境界線があいまいな、不思議な空間です。

本来、車を運転するときは公道を走っているので、当然ながら「公」のシチュエーションのはずです。車がいるのは「公」の場なのに、自分自身は「私」の空間にいる。物理的に車の中というプライベート空間にいるため「私」の意識が強くなって、理性のコントロールが利かなくなり、車の運転までも自己中心的になって、あおり運転に発展してしまうのです。「普段は穏やかなのに、ハンドルを握ると豹変してしまう」という人も、理由は同じです。

こうした構図は、DV(家庭内暴力)や虐待とも似ています。DV加害者も、家の外では穏やかで「いい人」なのに、家に帰って家族だけになるとDVをするというケースが多い。それは、「私」の空間では、「公」の場で保っていた理性が緩んでしまうからなのです。

ストレス発散の方法のレパートリーが少ない

生きていると、自分の思い通りにいかないことや納得いかないことはたくさんあります。多くの人は、そうした場合のイライラや怒りは、我慢したり、何か別の方法で発散しながら折り合いをつけていきます。しかし、あおり運転をする人は、その発散の方法のレパートリーが極端に少ないために、いわゆる「弱者」にぶつけてしまうのです。

車は、自分よりも大きくて力がありますが、それが自分の思うままに動いてくれるので万能感を与えてくれます。そうして気が大きくなり、あおることでストレスを発散するわけです。

DVや虐待の加害者も似ています。ストレスを発散する方法をほかに持っていないために、家の中の弱者にぶつけてしまうのです。

「~すべき」という意識が強い

あおり運転をする人は、理由もなくあおっているわけではありません。本人なりの規範意識があり、それがきっかけであおり運転をしてしまっていることが多いのです。

例えば、「もっと余裕を持ってハザードで車線変更を知らせるべきなのに、それを怠っていた。だから怒ってあおった」「信号が赤から青に変わったときは、さっさと加速するべきなのに、そうしなかったからあおった」などです。

もともと「~すべき」という考えが強く、その通りに行動しない人への怒りを抱えやすい。このように、あおり運転をする人は、思考に柔軟性がないことが多いのです。

DVの加害者も、似た傾向があります。「妻は/夫はこうするべき」という意識が強く、それがかなわないとキレて暴力をふるったりします。

「自分は正しく、相手が間違っている」

こうした極端な規範意識を持っている人は、周りの人とトラブルになることも多いと思います。周りからすると「そこまで言わなくていいだろう」と思うようなことも、「相手の方が間違っているから」と攻撃し、正すようしつこく指摘してしまうからです。

これが運転になると、例えば「割り込まれたから」「走行スピードが遅いから」と、何度もクラクションを鳴らす、車間距離を詰めたり幅寄せをしたりしてあおる、などの行動となって表れます。しかし、それがこれまで大きなトラブルにならず、「クラクションを鳴らしたら/あおったら、相手の車が車線を譲ってくれた」など、自分の思い通りになった、相手をコントロールできたという「成功体験」が積み重なっていくと、自分の行動がどんどん正当化されていきます。結局「自分は正しいことをやっているんだ」という認識を強めることになり、あおり運転を繰り返してしまうのです。

だから捕まっても「あいつが割り込んできたからだ」と、ひたすら言い訳をする。成功体験を重ねてしまったために、本人も、思考と行動のゆがみに気付かなくなってしまうのです。

運転中にイライラする人
※写真はイメージです

あおり運転をする人は、SNSなどで誹謗ひぼう中傷して炎上に加担する人とも似ています。しかし、インターネットでは顔が見えませんが、あおり運転は顔が見えますし、素性がバレやすい。大きなリスクがあるのにあおり運転がやめられないのは、本人の中に「自分は正しく、相手が間違っている。だから正してやっているんだ」というゆがんだ正義感があるからです。

「お先にどうぞ」の運転が自分を守る

あおり運転をされないためには、「人の邪魔にならない運転をする」しかありません。

なぜなら、あおり運転の加害者があおり運転をするのは、ゆがんではいますが理由があるからです。こちらはそんなつもりがなくても「突然割り込んできた」「邪魔になるほどゆっくり走っている」と、それを理由にあおってきます。

ですから結局は、「お先にどうぞ」という気持ちを持ちながら運転することが自分の身を守ることになります。車線変更をするときは、十分に余裕をもってウィンカーを出す。走行中は車間距離を取る。クラクションも、なるべく鳴らさないようにする。クラクションは、こちらは注意喚起のつもりでも、勝手に威嚇や憂さ晴らしのために鳴らしていると思われ、逆切れされやすいからです。

イライラしたら意識をそらす

自分があおり運転をする側にならないよう、気を付けてほしいとも思います。冒頭でもお伝えしましたが、あおり運転は誰でもする可能性があります。空腹だったり、寝不足だったり、疲れてストレスがたまってるときに、前の車がモタモタしていたりすると、そのつもりがなくても、ついあおり運転をしてしまうかもしれません。

自分がイライラしていると気付いたら、そのイライラから意識をそらしましょう。ガムをかむ、ラジオを聴く、大声で歌う、窓を開けて風を感じる、など、何でもかまいません。

また、相手の車が目に入るから攻撃したくなるわけなので、「イライラする運転をしているな」という車に出会ったら、いったん近くの駐車場に入って車を止めて、相手の車が見えなくなるまでやり過ごすとよいでしょう。

理想的なのは、空腹や寝不足、疲労などでイライラしやすい時には、車の運転を控えることです。車内ではストレス発散の方法も限られてしまい、あおり運転だけでなく、事故にもつながりかねません。

助手席に座っている人は、運転者がイライラしていると感じたら「ちょっと休憩しよう」と声を掛けてあげてください。運転手は、自分で自分のイライラ度合いがわからないこともあります。「ちょっとトイレに行きたいから休憩しよう」と言えば、運転手も止まってくれるでしょう。

あおり運転は、ひとごとではありません。誰もが加害者にも被害者にもなり得ます。あおり運転の背景にある心理や傾向を知り、安全にドライブを楽しんでください。

構成=池田純子

井上 智介(いのうえ・ともすけ)
産業医・精神科医
島根大学医学部を卒業後、様々な病院で内科・外科・救急科・皮膚科など、多岐の分野にわたるプライマリケアを学び、2年間の臨床研修を修了。その後は、産業医・精神科医・健診医の3つの役割を中心に活動している。産業医として毎月約30社を訪問。精神科医・健診医としての経験も活かし、健康障害や労災を未然に防ぐべく活動している。また、精神科医として大阪府内のクリニックにも勤務。

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