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【『七日の王妃』の真実】中宗のように国王の弟が即位した例は何回あったのか

  • 2022.8.14
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『七日の王妃』の第18話でイ・ドンゴンが演じた燕山君(ヨンサングン)はクーデターで廃位となり、ヨン・ウジンが扮した晋城大君(チンソンデグン)が国王になった。

異母兄弟であった燕山君と晋城大君はドラマの中で争いが多く、結局は兄を廃位させるために動いた晋城大君の圧倒的な勝利に終わった。

とはいえ、史実では晋城大君が即位に意欲を見せていたという事実はない。彼はむしろクーデターが成功しても即位を拒んだほどであった。結局は重臣たちの度重なる要請によって、仕方なく国王に就いている。重ねて言うと、晋城大君は国王になることを望んでいなかった。あくまでも、断り切れなくて国王になったのだ。

それでも、歴史的な事実として、晋城大君は兄に代わって11代王の中宗(チュンジョン)として即位した。

彼のように、兄弟2人が国王になっている例はどのくらいあっただろうか。518年間の朝鮮王朝には27人の国王がいたが、兄弟で即位した例を調べてみた。

最初は、2代王・定宗(チョンジョン)が1400年に弟の3代王・太宗(テジョン)に王位を譲った例である。当時、定宗は完全に傀儡(かいらい)の国王であり、最大実力者の太宗が王位を引き継ぐのは自然の流れだった。

ドラマでは激しく争った中宗と燕山君(Licensed by KBS Media Ltd. © 2017 KBS. All rights reserved ドラマ『七日の王妃』より。DVD好評リリース中・U-NEXTにて見放題配信中)
政治的な業績が多い弟

2つ目の例は、世宗(セジョン)の長男だった文宗(ムンジョン)が5代王になった後の出来事だ。文宗は2年で亡くなり、息子の端宗(タンジョン)が国王を引き継いで6代王になったが、その王位を強奪したのが文宗の弟の世祖(セジョ)であった。彼は7代王となって兄と同じく国王になったが、それは兄の息子を強引に退位させて獲得した王位だった。そういう意味では、非道の国王でもあった。

兄弟国王の3番目の例が燕山君と中宗である。

そして、4番目の例は、20代王の景宗(キョンジョン)と21代王の英祖(ヨンジョ)である。

2人とも19代王・粛宗(スクチョン)の息子であり、1720年に景宗が粛宗の後を継いだが、わずか4年で世を去り、その後を異母弟の英祖が引き継いだのである。

以上の4つの兄弟国王を見ると、兄より弟の在位期間のほうがずっと長い。必然的に、弟のほうが政治的な業績が多い。燕山君と中宗の場合もそうした典型的な例になっている。

文=康 熙奉(カン・ヒボン)

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