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【新連載:宮司愛海の不器用の楽しみ方】転機を迎える私。ファイティングポーズの行方は…

  • 2022.7.26
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スポーツから報道へ――。30歳になり転機を迎えたフジテレビアナウンサーの宮司愛海さん。自らを“不器用”と評する宮司さんが、仕事やプライベート、様々な葛藤について、ありのままの言葉で語ります。お届けするのは毎月第4火曜日です。

外で遊んだり、本を読んだりの子ども時代

暑さ厳しい折、いかがお過ごしですか。この度、連載をさせていただくことになったフジテレビアナウンサーの宮司愛海です。
6月までと同じ入社8年目。4月からはこれまでのスポーツから担当が変わり、月曜と火曜の「FNN Live News days」(昼11時30分)のキャスターを務めているほか、「潜在能力テスト」(火曜夜7時57分)の進行をしたり、特番に出演したりしています。

そんな私は10月から――というのは最後にお話ししますね。

福岡市で生まれた私は、3人兄弟の長女として育ちました。自宅付近は今でこそ地下鉄が開通して便利になりましたが、当時は家の前は田園風景。小さな頃は放課後に外で遊ぶのが好きなお転婆な一方、お昼休みには図書館に入り浸たって、ずっと本を読んでいました。

アナウンサーを意識するようになったのは小学校4年のとき。母から「アナウンサーって機転が利くし、すてきよね」と言われて、心のどこかで「母が喜んでくれるなら……」と思った記憶があります。
もともと人前で話すのが好きで、始業式や終業式で代表して挨拶するタイプ。中学で吹奏楽部の部長を務めたときは、コンサートのMCや曲紹介の内容を考えるのが好きでした。
振り返るとテレビでは、「はねるのトびら」や「笑う犬」シリーズをよく見ていました。フジテレビに自然と親しみがあったのですね。

朝日新聞telling,(テリング)

東京行きをかけた人生初の「プレゼン」

そして“大学で上京”とサクッと話を前に進めたいのですが、実は紆余曲折がありました。

そもそも私は、高校から地元の大学に推薦で進学する予定だったのですが、高校3年生になって漠然とした憧れから「東京に出たい」と急に方針転換したんです。
しかし、福岡から東京は心理的にも距離を遠く感じる人が多く、東京行きの希望を打ち明けた私の両親もそうでした。「福岡が1番だし、九州から出ないでほしい」などという理由で反対されて。
だから私は、親に経済的な負担をかけないで東京の大学に進学するための方法を探しました。すると担任の先生が、早稲田大学には首都圏以外の学生を対象とした入試前に受給の可否がわかる独自の給付型奨学金制度がある、と教えてくれたのです。

そこで私は母に向けて、人生初のプレゼンをしました。早稲田の独自の制度と国の貸与型の奨学金制度を利用したうえで、バイトをすれば学費と生活費を賄えることなどを説明。東京に出ても実家にいる場合と出費は大きく変わらないと強調しました。母は「うん、うん」と言いながら聞いていましたね。

その後、早稲田の奨学金の審査に申し込み、要件のエッセイや学校の成績表を提出し、大学の入試を受ける前の12月に奨学金については“合格”。実際の入試に受からないと意味がないので、それを契機に試験に向けての勉強のギアも上がるし、両親も「奨学金が貰えるなら、東京に行ってもいいじゃないか」という雰囲気になりました。そして無事、文化構想学部の入試に合格し、上京することになりました。
担任の先生が、独自の奨学金の存在を教えてくれなかったら――私は今、ここにはいませんね。

朝日新聞telling,(テリング)

驚いたアナウンス室の“きらびやかさ”

自分で言うのもおかしいですが、私は「こうしたらいい」という直感や嗅覚が働くんですよね。あまり外れたことがないし、根拠は無いのですが、なぜかうまくいく確信があるんです。それは「運」と呼んでいいのかもしれない。

そして、上京。学生時代に出会った中には、感覚が私と似ている人も多かった一方、豪華なマンションに住んでいるような人も。世界は広いのだと痛感しましたね。ただ私はブレずに生きることを意識し、創意工夫をしながら生活していました。大好きなファッションも、予算に制限があるので、古着を取り入れながら自分なりに組み合わせたりして。そういった生きる知恵を授けてくれたのは母でした。

就職試験は幅広く様々な業種・職種を受けて、アナウンサー試験は数局のみ受験。その中でフジテレビの採用試験は最初から最後まで自分らしく、飾らずにいられた気がします。もちろん緊張はしていましたけど、試験中はずっと楽しかったですね。

入社して驚いたのは、天真爛漫な人が多かったことです。

私は“負けたくない”とか“バカにされたくない”という気持ちがとても強くて、それを原動力に生きてきました。東京に出ることさえ、必死のプレゼンが必要だった私は、知らず知らずのうちに競争してしまうし、他人に対しても勝ち負けを意識する。地方出身の私は東京生まれの人に負けることは許されないと思っていました。東京には心の底から落ち着ける家があるわけでもないし、働く場として住むのだから、自分の価値を上げる場所と捉えていた。だから、ハングリーで居続けなければならない、とも――。
特にフジテレビアナウンス室は和やかできらびやかで、びっくりしました。誰も私に勝負を挑んでこなくて、一時、アイデンティティーが揺らぎましたね(笑)。

朝日新聞telling,(テリング)

「負けちゃいけない」との思いが強すぎて…

入社後は「闘志が全面に出ない方がいい」とアドバイスされたり、突っ込みどころがある方がいいのだという雰囲気を感じたりもしました。

私は不器用で気が弱いと自分では思っているのですが、「気が強いね」と言われることも。「負けない、負けちゃいけない」と思って生きてきたので、どうしたらいいか、わからないだけだったんですけどね。
他人の発言に対しては言い返さないけれど、自分ができないことが許せなくて悔し涙を流したことはたびたびありました。

転機は2018年の4月に「S-PARK」というスポーツニュース番組で土日のメインキャスターになったことですね。私はただただ頑張っていただけなのですが、スタッフから「もう少し力抜いて」とか「隙が無い」といったことを言われる機会があまりに多くて。
そこでようやく、ファイティングポーズをとり続けるだけが大事なことではないのでは、と思い至ったんです。不器用過ぎて隙を見せられるタイプではないけれど、頑張り過ぎないことも大切だと気づきました。

とはいえ、ファイティングポーズを降ろしたわけではないんです。実力を付ければ誰からも文句を言われないという思いはあったので、自分の仕事のクオリティーを上げる方向へ一心に努力するようになりました。いわばファイティングポーズを自分に向けた。

スポーツの取材現場には必ずルーズリーフを携帯し、放送に向けてルールをおさらいしたり、選手のプロフィールや年表、プレーの特徴、過去の取材や試合後の発言、インタビューの文字起こしなどを書き込んだりしました。こうして、私の力を入れる方向や、負けん気の強さが取材へと向かったことが、スポーツの現場では生きたのだろうと思っています。
これらの経験を経て、私の負けず嫌いの引き出しを開けたり、閉めたりが自身でできるようになり、対応のバリエーションが次第に増えつつあります。

朝日新聞telling,(テリング)

転機を前に「感覚の変化や、人生観を伝えたい」

10月からは平日の報道番組「Live News イット!」(午後3時45分)のメインキャスターを務めさせていただきます。私にとって大きな転機になりそう。勉強をしっかりしながら、自分なりに社会や世界と向き合って誠心誠意、日々起こっていることをお伝えしていけたらと思っています。

この連載では、まもなく31歳になる私の20代からの過ごし方や、キャリアと結婚・出産との間で揺れ動く心境、現在の仕事とプライベートのバランスといったお話をしていければと思います。加えて月曜から金曜のニュース番組を担当するようになる、私の世の中に対する感覚の変化や、人生観もお伝えしたい。
不器用な私が葛藤を抱えながらも一歩ずつ前へ進もうとしている姿から、telling,読者のみなさんが何かを感じ取っていただければうれしいです。

新型コロナウイルスの感染が再拡大する中、暑さも続きますので、くれぐれもご自愛ください。改めてよろしくお願い申し上げます。

■宮司愛海のプロフィール
1991年福岡市生まれ。早稲田大学文化構想学部を卒業し、2015年にフジテレビ入社。18年春から週末のスポーツニュース番組「S-PARK」を担当し、東京五輪ではメインキャスターを務めた。現在は月曜と火曜の「FNN Live News days」や「潜在能力テスト」、「タイプライターズ」などを担当。趣味は落語鑑賞やカラオケ。

■岩田智博のプロフィール
ハイボールと阪神タイガースを愛するアラフォーおひとりさま。神戸で生まれ育ち、学生時代は高知、千葉、名古屋と国内を転々……。雑誌で週刊朝日とAERA、新聞では文化部と社会部などを経験し、現在telling,編集部。20年以上の1人暮らしを経て、そろそろ限界を感じています。

■岡田晃奈のプロフィール
1989年東京生まれ、神奈川育ち。写真学校卒業後、出版社カメラマンとして勤務。現在フリーランス。

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