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「山椒は小粒でもぴりりと辛い」とはどんな意味?その類義語や対義語は?

  • 2022.7.21
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小さくても優れていることの例えとなる「山椒は小粒でもぴりりと辛い」。 この言葉は、小さいものは侮れないという意味合いで用いられる言葉となります。

そこでここでは「山椒は小粒でもぴりりと辛い」という言葉について、その意味や類義語に対義語について見ていきましょう。

「山椒は小粒でもぴりりと辛い」とは

 

まずは「山椒は小粒でもぴりりと辛い」という言葉の意味や成り立ちについて見ていきましょう。

「山椒は小粒でもぴりりと辛い」の意味

「山椒は小粒でもぴりりと辛い」とは、体は小さくとも気性もしくは才能が鋭く優れている人の例えとなる言葉です。

意志の強い者は侮れない、ということをあらわすこともあります。 見た目で判断すると痛い目を見るぞという教訓的な用い方がされることもあります。

見た目に反して、能力や実力に長けている人を賞賛する言葉となっています。

由来は山椒の実の味わいから

「山椒は小粒でもぴりりと辛い」は、山椒の実が辛いことから来ています。 日本でも古くから香辛料として重宝されてきたその実は非常に小さいです。

ちりめん山椒に使われたり、七味唐辛子の中に加えられていたり、うなぎの蒲焼きにかけたりといった用いられ方しますよね。

「山椒は小粒でもぴりりと辛い」は、実こそ小さいけれど強い辛味を持つ山椒と、優れた才能を持つ人を掛けた言葉ということになります。

「山椒は小粒でもぴりりと辛い」の類義語と対義語

 

ここからは「山椒は小粒でもぴりりと辛い」の類義語と対義語について見ていきましょう。

類義語は「小さくとも針は呑まれぬ」

「小さくとも針は呑まれぬ」とは、小さくても侮れないことの例えとなる言葉です。 針は小さくても飲むことなんて到底できない、というところから来ています。

対義語は「独活の大木」

「独活の大木」とは、体ばかり大きくて役に立たない人や物の例えです。 「独活」という植物は、まるで木のように高く伸びていきますが、その茎は柔らかいので材木にしたりといった事ができません。

この「独活」の特性をネガティブに捉えたのが「独活の大木」という言葉になります。

「一寸の虫にも五分の魂」との違い

 

同じく小さいものの『あるもの』を例えとなる「一寸の虫にも五分の魂」。 この言葉との違いについて見ていきましょう。

「一寸の虫にも五分の魂」の意味

「一寸の虫にも五分の魂」とは、どれだけ小さく弱いものでも意地や誇りがあるのでむやみに馬鹿にしてはいけない、侮ってはいけないという意味があります。 確実にある命なので、粗末に扱ってはならないという教えとして用いられることもあります。

「山椒は小粒でもぴりりと辛い」との違い

「山椒は小粒でもぴりりと辛い」と「一寸の虫にも五分の魂」は、どちらも小さい者でも侮ってはならないという戒めを込めて用いられることがあります。

しかし、「山椒は小粒でもぴりりと辛い」は、見た目ではわからない鋭い才能や激しい気性があるかもしれないため、というのに対して、 「一寸の虫にも五分の魂」は意地や誇りがあるためと、侮ってはいけないとされる理由が異なります。

まとめ

「山椒は小粒でもぴりりと辛い」は、体は小さくとも気性もしくは才能が鋭く優れている人のたとえとなる言葉です。 小さいからと言って侮ってはいけないという意味合いで用いられることもある言葉です。

似た言葉に「一寸の虫にも五分の魂」がありますが、こちらは弱く小さくくても意地や誇りを持っているので侮ってはいけないという趣旨の言葉となります

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