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激減するラブコメの需要と『モエカレはオレンジ色』人気の理由 山岡潤平が描く“愛”の本質

  • 2022.7.21
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(c)2022「モエカレはオレンジ色」製作委員会 (c)玉島ノン/講談社

時代が進むにつれて、需要が減ってしまった映画ジャンルというのがある。それは恋愛映画だ。ジェンダーレスな時代に突入し、男女格差がなくなりつつあることからも、男性優位主義の象徴のような“俺様キャラ”が登場するものは、白い目で見られてしまうのが現状。

さらにその中でもラブコメ、ロマコメといわれる、比較的ティーン向けジャンルの作品は、コンプライアンスの強化によって、容姿いじりネタが使えなくなっていたりと、需要が減るのと同時に制限が増えていったことで絶滅寸前である。

それでも作品自体がないわけではないが、なかなか劇場公開の枠も取ることができなくなってきている。製作段階では劇場公開を目指していても、劇場が確保できないまま、ソフトや配信スルーになってしまうことが多い。

特にアメリカやイギリスの場合は、良くも悪くも近年の動画配信サービスの普及で、はじめから劇場公開を諦めた作品がNetflixやディズニープラスなどに大量に流れてきている。さらに言うなら、新型コロナウイルスの影響も後押しして、動画配信サービスはラブコメ墓場のような状態だ。

しかし、日本の場合は少し事情が違っている。恋愛映画の劇場公開枠がまだあるのだ。

『花束みたいな恋をした』(2021年)や『ちょっと思い出しただけ』(2022年)のように、恋愛映画と言えなくはないが、人生の一部、通過点として、少しドライな視点で描いたような、どちらかというと人間ドラマ寄りのものが多い。

恋愛映画だったとしても、『ぼくは明日、昨日のきみとデートする』(2016年)や『九月の恋と出会うまで』(2019年)といったタイムトラベルのようなSF要素、『10万分の1』(2020年)、『余命10年』(2022年)のような難病要素が多用されている。もしくは、『かぐや様は告らせたい~天才たちの恋愛頭脳戦~』(2019年)や『午前0時、キスしに来てよ』(2019年)のように、極端にコメディ要素を強調したりと、他の類似作品との差別化、常にプラスワン要素が求められるがゆえに、多ジャンルの要素を組み込まないド直球の恋愛映画は作られなくなってきている。

ちなみに2021年に劇場公開されたラブコメ、もしくはド直球な男女の恋愛映画は、ドラマの再編集版やインディーズ系作品を除くと、『胸が鳴るのは君のせい』、『ハニーレモンソーダ』、『ライアー×ライアー』の3本しかない。約14本あった2018年に比べると極端に減っていることがわかる。

この3本の共通点は何かというと、ジャニーズが主演ということだ。つまりアイドル映画がこの枠を維持させていると言っても過言ではない。

プロモーションとして機能し、一定の観客数を獲得できるという利点があるようにも思える一方で、「アイドル映画なんでしょ」というようなドライな目で見られがち。それでいて逆にハードルが高く、極端に批判されることが多いなど、非常に難しく繊細な映画ジャンルだ。

『モエカレはオレンジ色』の原作は『月刊デザート』(講談社)で連載中の同名少女マンガで、女性目線の物語である。しかし、映画版は原作の視点は尊重しつつ、中立な物語として構成されている。

女性目線だからといって、極端にフェミニズムに向いた作品は求められていなければ、逆に時代錯誤のようなマッチョイズムも求められていない。そんなユーザーの要求に対して、どのような回答を提示するかで作家性が発揮されるのだ。

実は今作、監督は村上正典、脚本も山岡潤平と、どちらも男性。このパターンは珍しくない。『花より男子ファイナル』(2008年)や『僕の初恋をキミに捧ぐ』(2009年)なども同じである。というより、映画業界の男性比率の方が多いという根本的な問題もあるが、男性が女性目線のラブコメを撮ることは昔から多かった。

それによって価値観の相違を生み、結果的にマッチョイズム的な作品になってしまっていることも多いのだが、少女マンガそのものが、そもそも「強い男性に守られたい」といった趣旨の作品が多いため、問題点を見えづらくさせていた。

2010年以降、割と最近になって、女性の脚本家が採用されることが多くなったが、今作のように必ずといったものでもない。その分、かえって今回は男性だから、女性だから、という偏見的な見方がされてしまうこともあり、作り手としては、プレッシャーが半端ではないのに加え、急加速で価値観がアップデートされ続けている現代においては、それが言い訳として通用しない。

ところが、このプレッシャーは良い方向に向いているといえる。真の中立とは何かを改めて考えさせられる作品を目指すために、より脚本に工夫を凝らさなければならない傾向にあるのだ。そして今作の場合は、男女が対等の立場として、互いを想う気持ちの大切さを描いてみせている。

そこで思い出されるのが、山岡潤平が脚本を務めた『ピーチガール』(2017年)である。

『ピーチガール』の原作は、ガングロギャルが一般的に認知されていた90年代から2000年代前半が舞台となっている。しかし映画版は、それを現代の設定に置き換えたことで、ガングロギャルという根本的な素材を活かすことができず、少し日焼けしている程度の肌が黒い女子高生という設定にされてしまっていたため、そもそもの「見た目とのギャップ」という設定が弱くなってしまっていることに対する指摘がされてしまったのは残念でならない。だが、目を向けてもらいたいのは、こちらも自己犠牲、互いを想う気持ちが描かれているという点だ。

ちなみに、同じく山岡が脚本を務めた『honey』(2018年)も同様のテーマが描かれている。どちらの原作においても、そういったテーマは含まれているのだが、脚本によって、それを強調している。つまり今作においても山岡の作家性が存分に発揮された作品ということだ。

どうしてもアイドル映画、若者向け映画という偏見からは逃れることはできない。だが、その枠組みの中で試行錯誤され、生み出されたものが、実は単純なことなのに、私たち人間が日々の生活の中で忘れがちになってしまっているものを描いていることも多い。ド直球に描かれているからこそ本質が伝わることもあるはず。

はじめから「興味がないジャンル作品だから」といった偏見を一度捨てて、観てみると意外な発見があるかもしれない。

さすがにアイドル映画とあって、恥ずかしくなるようなセリフのオンパレードではあるものの、恋愛だけに留まらない「人間愛」として描くことで、そんなセリフにさえも説得力をもたらしているのだ。(バフィー吉川)

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