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カップルの広報官は、なぜいつも女性なの?

  • 2022.7.16
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男は行き当たりばったり。女は段取り上手......。ステレオタイプは手強い! 2022年のいまも、交友関係や家庭内でも、ビジネス上の人づきあいでも、采配を振るい、計画を立てるのは、大抵の場合女性だ。スケジュール管理でも役割分担を見直してみるとしたら? フランスのマダム・フィガロが考察してみた。

カップルの広報を担当する女性たち。 photography: Getty Images

1~8歳の3人の子ども、責任の重い仕事(妻はマスメディア系企業の上級管理職、夫は公証人事務所の共同経営者)、会うのが楽しみな友人たち。マリーとジュリアンは充実した生活を送っている。週末、ディナー、レストランデート、子どもたちとのおやつタイム。間近に迫った今年の夏には、繰り返しのロックダウンで台無しにされてきた社会生活もいよいよ再開できそう。やりたいことはたくさんある。

お出かけのプランを立てるのは、いつもマリーだ。ジュリアンはというと……彼女に従うばかり。外出したくないわけではない。「夫はいつも何か行動することには乗り気なのですが、計画を立てるとなると腰が重い」と39歳の彼女は説明する。「友人と会うときも、みんなに声を掛けるのは私。逆に友人から誘いを受けた時は、彼は私に聞かないと返事ができない。私たちの“スケジュール帳”が頭に入っていないので、その日にディナーの予定がすでに入っているかどうかがわからないのです」

採用担当の30歳のアロイーズと、研究活動を再開したパートナーの28歳のジェレミーも同じケースだ。「ふたり一緒の活動は私が計画します。人との繋がりを維持するのも私。友人と会う、週末に出かける……。何かしたかったら、まず自分が行動を取らなくてはいけない」

42歳の編集者のカミーユも、夫婦の社会生活の細部に到るまで自分が管理しなければならないという。「友人と食事に行くことになった場合、レストランを見つけて予約するのは、暗黙のうちに私が担当することになっている。私がひとりでする時もあるし、メンバーと一緒にすることもあるけれど、手伝ってくれるのはもちろん女性」

ではもし、無性に優等生をやめたくなったり、WhatsAppの通知機能をオフにしたくなったら? 「週末をだらだら過ごすだけになる」とマリーは声を上げる。「子どもたちもそう。夫が子どもたちをどこかに連れて行くときは、大抵は私がアイデアを出します。だからあまり出掛けなくなると思う。あるいは、誰かとすれ違って、その場でこれからうちで一杯どうと誘ってもらって、ばたばた出掛けることになるか」。

ジェレミーもかなりの行き当たりばったりタイプだ。「彼にアレンジを任せる? 一度も試したことがない」と、パートナーのアロイーズは言う。「きっとランチの2時間前に友人たちに連絡して出掛けることになるでしょうね。もし奇跡的に相手に予定が入っていなければだけど。でも、彼が直前まで友人たちに連絡しないことで、私はストレスが溜まって大変だと思う」

女性たちが担当する渉外任務が、時に仕事の領域にまで及ぶ場合もある。公証人の夫を持つマリーは、公証人地方会議所が企画したパートナーも同行できる週末旅行に参加したことがある。「旅行がしたかったので行きました。ジュリアンは新しい役職に就いたばかりで、また、コロナで人と会うことや、ネットワークづくりが難しくなっていた時期でもあったので、新しい事務所のスタッフ全員をよく知っていたわけではなかった。だから彼も私を当てにしていました。私がいれば会話がスムーズに進むだろうと。これは私の強みのひとつで、社交面は得意なんです。メールも手伝うことがあります。たとえば彼が同僚同士の年末の食事会を企画しなければいけない時とか。メッセージを書くのは私。私のほうが堅苦しくない、形式ばらない文章が書けて、コミュニケーションも得意だから」

パートナーの価値を高める......

もちろん、夫たちのビジネス上の出会いの場を設けるために、有閑マダム同士が付き合いを維持しなければならなかった時代は過去のもの(19世紀のニューヨーク上流社会の黄金時代を描いたドラマ「ギルデッド・エイジ ーニューヨーク黄金時代ー」でも、契約が結ばれたり、鉄道計画が決定されるのは、洗練された晩餐会の後だ)。夫の上司を迎えるために、妻が何時間もかけて料理の準備をする「マッドメン」のような時代もしかり。

逆に、1990~2000年代にもてはやされたパワーカップルも、もう流行らなくなったようだ。カップルや身近な人たちの間に、ライバル心や競争心や不公平感をもたらすこのモデルは、より「穏やかな」ものを求める私たちの時代にはもう合わないのかもしれない。

「現在、ほとんどのカップルは、交友関係やプライベートと、ビジネス上のネットワーキングが絡む活動はきっちりと分けたほうがいいと考えています」と言うのは、『一緒に成功しよう。共働きカップル:ブレーキ、罠、鍵』(1)の著者、アンヌ=セシル・サルファティ。「互いに助け合ったり、ちょっとはしごを掛けてあげたり、ネットワークを共有することも時々はあります。それぞれの人間関係において、相手の評価が高まるよう、互いに努めてはいる。とはいえ公私混同しないよう気をつけているのです」

自由か諦めか?

では、なぜいまだに女性たちが社会生活のオーガナイズを引き受けているのか? 「女性たちの方が、繋がりを大切にしなさい、人の気持ちに配慮しなさい、周囲に合わせなさいと言われてきたからだと思う」とマリーは分析する。「友達に協力し、結束することが評価される。女性同士の友情では、互いに助け合い、頻繁に会うことが大事です。反対に、男性の場合、何週間あるいは何カ月間、一度も顔を合わせなくても何の問題もない、という人もいます。男性はむしろ自分個人の楽しみが中心にある」

社会の進歩にもかかわらず、そんな状況は、さまざまな研究からも明らかになっている。「友人や家族といったプライベートな領域から仕事の世界まで、いまもなお女性が親密な人間関係を維持する役割を担っている」と主張するのは、労働の変遷についての専門家で、『生産性と手を切る:経済と労働のキー概念についてのフェミニスト的批判』(2)の著書のあるレティシア・ヴィトーだ。「職場で男性と同等に働く女性たちが、男性たちより大きな疲労を抱えているのはそのためです。子どもと家族、さらに義理の家族も抱えている女性にとって、女性であることは、それだけでもうパートタイムで働いているようなものです」

前述のサルファティは、著書の中でこのことを掘り下げている。「異性愛カップルでは、一人前の女性であることは、依然として、柔軟性や自己犠牲の精神を意味する。それに加え、女性には、平和で美しく調和のとれた場所として家庭を構築する任務があるというブルジョワ的レトリックが数世紀もの間まかり通ってきた。2018年に出版された、『服従者に生まれるのではない、服従者になるのだ』(3)の中で、哲学博士でハーバード大学教授のマノン・ガルシアは、ときに自ら進んでいいなりになる女性たちの両義性について分析している。“女性たちは板挟みになっている。自由を求める気持ちと自由に対する不安の間で。世界に飛び出したいという意欲と、引き下がりたいという誘惑との間で”」

自由、諦め。その両極の間を振り子のように行ったり来たりする私たち。自らの選択によってカップルの社会生活の指揮官となっているのか、それとも遠い過去から受け継がれた割り当てに屈しているのか?

計量化の問題

では、もしこのふたつが関連し合っているとしたら? 市民団体「Parents et Féministes(親とフェミニスト)」のメンバーで、男女平等問題コンサルタントのナデージュ・ダジーは次のように話す。「女性のほうが共感性や社交性を重視するという考えは、家父長制という大きなシステムから生じたものです。このシステムによって、夫がお金を稼いでいる間、家のことを取り仕切るのは主婦というイメージが歴史のなかで固定化された。これを社会生活にあてはめてみましょう。女性が快適さをもたらす活動やレジャーの段取りを引き受けているおかげで、男性は1日の仕事が終わった後、ゆっくり寛ぐことができる」

こうした文化構造がいまも密かに私たちの行動の根底に横たわっている。「女性の社会進出が進んでも、時間分配は変わっていません。ご存知の通り、家事も育児もいまだに女性たちが負担し続けています。その上、招待メールの送信までやらなければならない」とダジーは分析する。家事も費やされたエネルギーも評価されないものばかりだ。それどころか数値化さえされない。

そんなわけで、カップルの社会生活のプランニングに費やされる時間に着目した調査はひとつもない。今年4月7日に発表されたフランス世論研究所とコンソラブが共同で実施した調査では、女性の57%が「パートナーより多く家事をしている」と回答していた(男性はわずか16%)。この「家事」のなかに含まれていたのは、アイロンがけ、掃除、ベットメイキング、料理、買い物。週末のプランやパーティーの計画に関してはひとことも触れられていない。ダジーによると、こうした仕事は娯楽や余暇の領域に属し、「生死に関わること」ではないため、掴みどころがないのだという。「それだけに、より表面化しにくい傾向があります。確かに外出の予定を立てるのは楽しいものですが、それはたまにのことだから。女性ひとりにこの役割が託されている場合は特に。そうでなければ、もはや喜びではなく、強制です」

矛盾した気持ちもあるし、全能感に酔うということはあっても、強制は、恨みやフラストレーションに発展する可能性を秘めている。男性も手分けしてくれたらどうなるのだろう? という密やかな疑問が、フラストレーションをますます募らせる。それによって私たちの生活の何が自由になるだろう? おそらく、まずは時間だ。自分のことをもっと考え、ひいては自分のキャリア、アイデア、創造性を追求する時間ができる。それだけではない。ある種の喜びも。くつろぎの時間を(現代的な表現を使うなら)「ちゃんと意識して」生きる喜び。そして、予期しない出来事を味わい、新しい場所を発見し、視野を広げてくれる新しい人と出会い、自分自身を再発見する喜び。「私には世界を知りたいという渇望がある。それが自分の働きかけによらずに起きたら、いっそう感動的だと思う」とカミーユは言う。「私の夢は、パートナーがパーティーをアレンジして、そこで私に新しい友人を紹介してくれること。新しいテリトリーを探検するように。そこで初めて、私は肩の力を抜いて、流れに身を任せることができるかも」

対話を促す

バランスを取り戻すためには、新たな手立てを探る必要がある。デジタルツールはもちろん状況を変えるのに役立つ。共有スケジュールやグループメッセージを利用すれば、明日のスケジュールや次の週末の予定を知らないということはなくなる。しかしサルファティが重視するのはむしろ、話し合い、それぞれに役割を割り当てているメカニズムを探ること。時にはこうしたメカニズムの存在を意識していないこともある。「これは重要です。なぜなら、相手に対して恨みの気持ちが募っていくと、上手くいかないのは相手の責任だと考えがちだからです。原因は個人の問題をはるかに越えている場合もあるのに」

また、家から出ることで何が得られるか一緒に考えてみるのもいいだろう。「共働きカップルの場合、往々にして友達付き合いから遠ざかりがちです。働かないといけないし、子どもの面倒を見なければならないからと。しかし、自分の殻や自分の家族に閉じ込もるのは間違いです。なぜなら他者と繋がることは、まさに“義務”から抜け出すことを可能にするからです。楽しみに時間を割かず、仕事や家族に尽くさなければという義務感から。小さな子どもがいたり、仕事の面で上昇中だと、出かける気力がないときもあります。しかしバッテリーをチャージするためにも、これは必要なことです。大人同士で集まり、仕事や子ども以外の話をすることで、職業人や親としてではなく、人間としての場所を取り戻せるのです」

役割分担の見直しはやはり大切なようだ。何事も均等に。

1.『Nous réussirons ensemble.  Couples à double carrière : les freins, les pièges, les clés』Anne-Cécile Sarfati著、Albin Michel社刊、2021年2.『En finir avec la productivité, critique féministe d’une notion phare de l’économie et du travail』Laëtitia Vitaud著、Payot社刊、2022年3.『On ne naît pas soumise, on le devient』Manon Garcia著、Flammarion社刊

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