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何も起こらないのに寒気が......。芥川賞作品『むらさきのスカートの女』の"怖さ"とは

  • 2022.7.7
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令和最初の芥川賞受賞作、今村夏子さんの『むらさきのスカートの女』(朝日新聞出版)が、待望の文庫になった。世界17言語・23の国と地域での翻訳が決まっており、TikTokでも一般読者の紹介動画が話題となるなど、注目を集め続けている本作。一体、何がすごいのだろうか。

なにもおこらない、それなのに寒気が止まらない小説。

(「ほんやのなす@小説紹介」さんTikTok投稿動画より)

うちの近所に「むらさきのスカートの女」と呼ばれている人がいる。いつもむらさき色のスカートを穿いているのでそう呼ばれているのだ。

近所の公園の、一番奥のベンチにいつも座っている「むらさきのスカートの女」。小柄で髪はいつもパサパサ、決して若くはない。この街のほとんどの人が、その存在を知っている。むらさきのスカートの女は、「ジャンケンで負けた人が肩をタッチしてくる」という子どもの遊びにされたり、「むらさきのスカートの女を一日に二回見ると良いことがあり、三回見ると不幸になる」などというジンクスまで作られていたりする。街の中の異質な存在だ。

語り手である「わたし」は、そんなむらさきのスカートの女と友達になりたいと思っている。二人は知り合いでもなんでもない。ただ「わたし」が一方的にむらさきのスカートの女を見ているだけだ。

ただ見ている、「わたし」

本作はただひたすら、「わたし」が一方的にむらさきのスカートの女を見ているだけの小説だ。むらさきのスカートの女は、一週間に一度くらいの割合で商店街のパン屋にクリームパンを買いに行く。クリームパンを買った日は必ず公園のベンチに座りに来る。「わたし」は隣の隣のベンチからそれを見ている。

むらさきのスカートの女の家は公園の近くのボロアパートだ。帰るときはいつも、手すりには手をかけず、這うようにして階段を上って行く。部屋は一番奥の二〇一号室だ。

むらさきのスカートの女は、時期によって働いたり働かなかったりする。ネジ工場や歯ブラシ工場、目薬の容器工場などに、おそらく日雇いや期間工として働きに行っている。去年の九月は働いた。十月は働いていない。十一月は前半だけ働いた。十二月も前半だけ働いた。新年は十日から働きだした。二月は、......。

もし自分の生活が見ず知らずの他人にここまで知られていたら、かなり気持ち悪い。しかし「わたし」はさも当たり前のようにむらさきのスカートの女を観察し続ける。そこに異常さを感じるのは読者だけだ。

しかも、「わたし」は「わたし」自身のことはほとんど明かさない。読者と同じ視点に立っているはずの「わたし」が何者なのかわからず、ただ「この人ちょっと普通じゃない」という予感だけがあり続ける。

「わたし」は、「同じ職場なら自然に声をかけて友達になれるかもしれない」と思い、むらさきのスカートの女がいつも座っているベンチに求人情報誌を置いておく。しかも、自分の勤め先に蛍光マーカーで丸をつけて。それから、働くためにはパサパサ頭をどうにかしたほうがいいだろうと、「わたし」は以前アルバイトでもらった試供品のシャンプーをビニルバッグに入れて、むらさきのスカートの女の部屋のドアノブにかけに行く。かなり気持ち悪いが、むらさきのスカートの女は何とも思わないのだろうか(もちろんそんなことは「わたし」は考えない)。「わたし」はむらさきのスカートの女と友達になれるのか、それとも。

むらさきのスカートの女が主人公になる予定だった

文庫判には作品本編に加え、各文芸誌や新聞に寄稿した8本の受賞記念エッセイと、第161回芥川賞受賞のことばが収録されている。エッセイの1本「むらさきのスカートの女と、私」には、本作執筆の裏話が語られている。

今村さんは進まない原稿を携えて、お気に入りのドトールへ向かった。そのドトールの二階の奥の方にある丸いテーブル席が、今村さんの「専用」席だ。以前、『星の子』(朝日新聞出版)をこの席で執筆した。

アイスコーヒーを受け取り、意気込んで二階へ上がると、今村さんの「専用」席に誰か知らない人が座っている。「すみません、そこ、私の席なんですけど......」喉まで出かかった言葉を飲み込み、別の席に座る。さっきまでのやる気は消え失せてしまい、結局その日は何も書けなかった。

そのとき、今村さんが想定していた書き出しはこうだ。

わたしは「むらさきのスカートの女」と呼ばれている。

翌日、今日こそはとドトールへ行くと、また「専用」席に昨日と同じ人が座っている。「そこ、私の席なんですけど!」と今村さんは心の中で訴えた。「誰か、この人に言ってやってくださいよ!」

それからすぐに今村さんは、むらさきのスカートの女を陰から見守る女を登場させようと思いついた。知らない人にそっと「すみません、そこ、わたしの友達の席なんですけど」と言ってくれる存在だ。そしてこの女に物語自体を語らせてみることに決め、ドトールの席が空かなくても自宅で本作を書き上げることができたそうだ。

カフェの席に専用もなにもないじゃないかと思う人も多いだろうが、一方で、自分の中で落ち着く定位置があるときに、そこを誰かに先取りされていたら地団駄を踏みたくなる気持ちも、誰もがわかるのではないだろうか。そう考えると、誰でも心の中に「あの人、ちょっとやばい」と周りに思われる芽を持っているのかもしれない。表に出さないだけで。

「わたし」という語り手の怖さを通して見えてくるのは、本作を読むあなた自身の怖さでもあるのかもしれない。

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