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51歳女性。通い始めた「水泳教室」が、人生を変えた。

  • 2022.7.6
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「50歳を過ぎても、敗者復活の大逆転!」

篠田節子さんの『セカンドチャンス』(講談社)は、「トド」体型のアラフィフ独身女性が「水泳教室に飛び込んだら、人生がゆるゆると転がり出した」ストーリー。

「もう〇歳だし」「もうおばさん/おじさんだし」と自虐まじりに言ってしまう、言いながらもまだどこかでセカンドチャンスをつかみたいと思っている......という人の背中を押す「応援歌」のような1冊。

麻里(まり)、51歳。長い介護の末母親を見送った。婚期も逃し、病院に行けばひどい数値で医者に叱られ、この先は坂を下っていくだけと思っていたが......。親友・千尋の「自分ファーストにしな。一生、利用されっぱなしで終わるよ」で一念発起。人生、まだまだ捨てたもんじゃない。

少しは自分ファーストにしな

20年あまりの介護を終えて、麻里は昨年、母を見送った。この20年で、麻里の見た目はあまりにも変わった。若い頃は華奢でほっそりした体型だったが、今や腹が寸胴を通り越して肥大し、兄からは「トド」呼ばわりされている。

高血圧、高脂血症。還暦前に心筋梗塞の発作を起こしてから、片時も目を離せなくなった母。「いずれ同じ道を辿るのだ」「母より若い年齢で自分は死ぬのかな」と諦めていた。「それも運命」だと。

検査結果の数値は落ちこぼれ。食事制限も運動もできない理由をならべる麻里に、医師は「治らない人っていうのは、必ずそういう言い訳を用意して、ここに来るんだよね」と冷たい。うなだれていると、看護師が「プールの中で歩くのでもいいんですよ。体重の負担がないし」と教えてくれた。

麻里は友人の千尋を誘い、会費の安い地元のジムに行ってみることにした。すると当日、千尋の孫が発熱。ジムをキャンセルしようとする麻里に、千尋は厳しい顔で首を振った。

「少しは自分ファーストにしな。このままじゃ、あんたの人生は人に利用されるだけで終わるよ」
「こういうのは、きっかけが大事なんだよ、麻里。自分で決めたことなんだから一人ででも行きな」

新しい世界が開けそう

ジムの第一印象は「建物全体が老朽化しているうえに、あまりの貧乏くささにもはや言葉もない」だった。即座に退散したかったがそうもいかず、しぶしぶレッスンに参加した。するとそこに、岸和田という爽やか好青年のインストラクターが。

続けたかった仕事を介護のために辞め、子ども好きなのに婚期を逸し、気づけば51歳。ジムはぼろぼろ、ぜんぜん泳げない、女性たちのグループには無視される......。それでも麻里は(岸和田の影響もあるが)、頑張ろうと思った。

「五十で母を看取ったときには、この先の人生は、ゆるゆると下りながらただ生きていくだけという諦念じみた感慨に捕らわれたものだが、こうしてみると何か新しい世界が開けそうな気がしてくる。(中略)千尋に言わせれば『人に利用されるだけ』だった人生から一歩踏み出せるかもしれない」

あのときああしておいてよかった、と振り返って思う決定的な出来事が人生には時々あるものだが、麻里にとっては水泳教室に飛び込んだことが、まさにそれだった。

「イケメン・イケボディ」の岸和田をはじめ、「あたしさぁ、命かけてんだよね、全国大会に」と言いながら初級クラスにいる謎の上級者・伊津野(いづの)、接待、残業、徹夜で「太って太って、デブキャラが身についた」と言う元文芸編集者・古矢......。

健康体を手に入れることが当初の目的だったが、なんといっても、あらゆるタイプの人たちとの出会いが麻里にもたらしたものは大きかった。ほしくても仲間はなかなか手に入らないからこそ、うらやましく思う。

泳法にかんする描写がくわしく、人前で水着姿をさらす勇気はなくても泳ぎたくなってくる。そして麻里の交友関係、もっと言うと恋模様に注目した。堅実なタイプの麻里が、「更年期の動悸」とは別の「ときめき」を感じる相手は現れるのか――。

「人生がゆるゆると転がり出した」というところに現実味があり、親近感が湧く。「敗者復活戦」に挑む麻里に自分を重ねて、元気をもらえるだろう。

■篠田節子さんプロフィール

1955年東京都生まれ。90年『絹の変容』で小説すばる新人賞を受賞しデビュー。97年『ゴサインタン―神の座―』で山本周五郎賞、『女たちのジハード』で直木賞、2009年『仮想儀礼』で柴田錬三郎賞、11年『スターバト・マーテル』で芸術選奨文部科学大臣賞、15年『インドクリスタル』で中央公論文芸賞、19年『鏡の背面』で吉川英治文学賞を受賞。ほかの著書に『夏の災厄』『弥勒』『田舎のポルシェ』『失われた岬』、エッセイ『介護のうしろから「がん」が来た!』など多数。20年紫綬褒章受章。

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