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オ・ジェソク、9年ぶり復帰Kリーグでの近況は?「夫婦で名古屋に感謝伝えたい」結婚生活も語る【一問一答】

  • 2022.7.5
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2013年から2020年までJリーグで活躍したオ・ジェソクは現在、Kリーグ1(1部)の仁川(インチョン)ユナイテッドに所属している。

「帰国2日前に連絡をもらった」という劇的な名古屋移籍の経緯や、母国復帰を決断した理由については前回紹介したとおりだ。

そんなオ・ジェソクは、昨季に名古屋グランパスから完全移籍で仁川に加入。ガンバ大阪移籍直前の2012年に所属した江原(カンウォン)FC以来、9年ぶりのKリーグ復帰となったが、韓国ではどんなシーズンを過ごしているのか。

今年3月に結婚したばかりの新婚生活と併せて話を聞くと、Kリーグ特有の環境や新天地への適応、負傷との戦いを事細かに語ってくれた。

全5回でお届けするオ・ジェソクとの単独インタビュー一問一答。第2回となる今回は「Kリーグでの近況」と「結婚生活」についてお送りする。

「練習中に“ミギ、ミギ”と…」

―今季にガンバ大阪から蔚山現代に加入し、Kリーグ初挑戦のシーズンを過ごしているキム・ヨングォン選手は、「練習中につい日本語が出てしまう」と韓国メディアとのインタビューで語っていました。オ・ジェソク選手も、Kリーグ復帰当初は同じようなことがありましたか?

「最初は僕もありましたよ。ミギ、ヒダリ、キリカエロとか。最近もたまに出ることがあって、外国人選手とコミュニケーションをするとき、英語を織り交ぜて話すのですが、そこで日本語の単語が出てしまいます。今日の練習中もオーストラリア出身の選手に“ミギ、ミギ!”って話したりして(笑)。まだJリーグ時代の習慣が残っているみたいです」

―復帰1年目の昨季はリーグ戦で26試合に出場。毎年のように降格圏を争い、劇的に残留を決めることから「残留王」と呼ばれる仁川も、2試合を残して残留を確定。12チーム中8位と、チームとして好調なシーズンだったと思いますが、振り返っていかがでしょうか。

「仁川は毎年降格圏にいるようなチームで、1部残留が目標という風になっていました。ただ、昨季はもっと高い順位を目指そうとしていて、僕も日本で経験したことをたくさん活かそうと思いました。

仁川というクラブは本当に雰囲気が温かく、サポーターもすごく情熱的です。Jリーグで例えるなら、湘南ベルマーレのような雰囲気を感じました。チームのサッカーとしては走力が多く求められるスタイルで、これまで所属したチームとはまったく違ったスタイルだったので、そこに適応することが難しかったです。

ピッチコンディションも日本とは異なるので、その部分の適応も大変でした。元々、日本では(固定式と取り換え式のスタッドが混ざった)ミックスソールのスパイクを履いていたのですが、韓国だと足が痛くなってしまうので、固定式しか履かなくなり、その難しさもありました。それでも、チームとしては望む成績を収められて、8位でシーズンを終えられたので、成長できたと思います。僕自身、色々と多くの経験ができました」

―オ・ジェソク選手は新加入ながら副キャプテンを務めましたよね。

「先ほども言いましたが、仁川は毎年残留争いを繰り広げて、最後の最後にようやく残留が決まるというチームでした。そんなシーズンが3年、4年も続いていたので、その流れを変えようと選手同士で話し合い、実際に取り組みました。選手同士のコミュニケーションを活発にしたり、食事もなるべく選手同士で一緒に食べたり。練習中や練習後には若手の悩みを聞いたり、相談にも乗ったりしました。僕だけではなく、チーム全員で本当にたくさん努力をしました」

2021シーズンのオ・ジェソク

―シーズン中の昨年9月には、ご自身の出身地である議政府市から、体育振興部門でオ・ジェソク選手に文化賞が授賞されました。この賞は各分野で市政の発展に貢献し、市の名誉を高めた功労者を部門別に一人ずつ表彰するという、とても権威ある賞と聞いています。

「まさか自分が賞をいただけるとは思ってもいませんでした。自分の故郷から素晴らしい賞をいただくことができて、個人的にとても光栄に思っています。これまで自分が海外で長くプレーしてきて、昨年に韓国に戻ったことが話題になりましたし、両親もまだ議政府市に住んでいるので、そのような部分を評価してくれたんだと思います。それに、議政府市出身のサッカー韓国代表選手は僕が初めてだったので、そういったこれまでの10年間の努力を、賞として表彰してくれたんだと思っています」

リーグ戦出場ゼロも「良い経験」

―ただ、昨季と打って変わって今季は現在までリーグ戦出場ゼロで、ベンチ入りも一度もなし。公式戦通算ではFAカップの出場1試合のみと、例年になく厳しいシーズンとなっています。

「昨季終盤にふくらはぎを負傷したのですが、韓国の冬は日本よりはるかに気温が低く、ピッチコンディションのこともあるので、それで復帰時期がどんどん延びてしまいました。今季はカタールW杯の影響でシーズン開幕が2月に前倒しされたことも、例年以上にコンディション調整が難しい要因となりました。

それと、復帰が延びたのは負傷以外の理由もあって、僕が3月下旬に結婚式を開いたのですが、その部分をチームが配慮してくれて、“復帰まで焦らずゆっくり”と伝えられました。なので、結果的に3~4カ月ほど休んだあと、本来の復帰時期よりも少し遅く復帰しました。ふくらはぎの負傷は韓国だと引退につながることも多くて、僕ももう若くない年齢なので、そこもチームは配慮してくれました。

―復帰戦となったのは、シーズン開幕から2か月後の4月27日に行われたFAカップ3回戦でしたね。オ・ジェソク選手は先発フル出場しましたが、チームは2部の光州FC相手にホームで1-6と衝撃的な大敗に終わりました。実際にプレーをしながら、コンディション面の難しさを感じる部分はあったのでしょうか。

「本当は復帰までもう少し時間が必要だったのですが、少し急いで復帰してしまい、コンディションも万全ではありませんでした。あの試合は自分以外にも長期離脱から復帰した選手がいたり、そもそもシーズン初出場という選手も多くいたりして。その時点で問題がたくさん出てしまいました。

それからは監督とも相談して、無理に急ぎすぎず、“コンディションが100%戻った”と自分で感じたときに復帰する予定です。なので、今はシーズン後半を見据えて無理のない範囲でコンディションを調整しています。トレーニング自体には復帰しているので、特に大きな問題はありません」

―負傷の影響があるとはいえ、これだけ試合出場がないというシーズンはあまりなかったと思います。今シーズンを過ごしながら、これまでと違う点、難しさを感じる点はありますか。

「これまでサッカーをしてきて、2カ月以上も休んだのは今回が初めてなんです。プロキャリアでは筋肉損傷以外に大きな負傷もなかったので、4カ月、5カ月と長い時間休んだのは初めての経験でした。自分が思った以上にコンディションが上がらなくなっているのも気づいていますが、そこから新しい学びがあると思っています。それに今は結婚して妻もいて、精神的な頼りになる人もそばにいるので、今は“これも良い経験だ”と前向きに受け入れています」

―オ・ジェソク選手も今年で32歳になりました。やはりコンディション調整の難しさなど、若手の頃から変わったと感じることはあるのでしょうか。

「そもそも、KリーグのチームはJリーグのチームよりも練習量が多いんです。そのなかで、仁川はKリーグでも特に練習量が多いですし、たくさん走らなければならないスタイルなので、リスクは少しあります。日本にいるときはサプリメントを飲むことなんてなかったのですが、今はチームからの支給以外に自分でもドリンクやサプリを探し、飲むようになりました。

ただ、体力や年齢の問題というより、チームのスタイルそのものがこれまでとまったく違うので、その面でコンディションの回復が今までより長くかかると感じています。自分自身はまだパフォーマンスを十分発揮できると思っていて、むしろこの年齢になってこうしたスタイルのチームでプレーするという経験は、今後のキャリアに十分活きると思っています」

―ただ、仁川自体は今季も調子が良く、現在は12チーム中5位。序盤は首位の蔚山現代に次ぐ2位につけていた時期もあったほどです。チームとして例年になく好調な戦いを見せていると思いますが、オ・ジェソク選手としてもその感覚はあるのでしょうか。

「毎年残留争いをしていたチームが昨年から変わりつつあり、もう一段階レベルアップできていると感じています。元々は守備的でカウンター主体のチームでしたが、今は試合を通してボールを持つ時間が増えました。それに、今季から韓国代表経験のあるイ・ミョンジュという良い選手が加入し、より相手の中盤を圧倒するプレーが出るようになったところに、チームの成長を感じますね。昨年の経験が基盤となり、そこに今年から新しい要素が加わったことで、チームとしてさらに成長できていると実感しています」

「僕たち夫婦は名古屋に感謝している」

―先ほど話されていたのでお聞きしたいのですが、今年3月にSNSで結婚を発表しました。投稿にはJリーグ時代のチームメイトからたくさんお祝いのコメントが来て、日本でもニュースになったほどでした。あれから数カ月経ちますが、結婚生活はいかがでしょうか。

「すごく良いですね。本当に幸せです。日本でプレーしていた頃は、シーズンの目標や人生の目標を書くとき、いつも“結婚”というのも書いていたのですが、韓国でそれを達成することができました。

やっぱり、家に誰かいるということが本当に落ち着きますね。自分の味方が一人増えたような気がします。妻と一緒にスタジアムに行くこともありますし、妻が自分の試合を見に来てくれるので、それがとても幸せで嬉しいです。

妻は僕がガンバから名古屋に移籍したときに難しい時間を過ごしたことをわかっていますし、僕自身、妻のおかげで日本生活を上手く過ごせたと思っています」

―奥さまとはJリーグでプレーしていた頃からお付き合いされていたのですね。

「僕たち夫婦は日本に対する感謝の気持ちを持っていて、僕がKリーグに復帰して半年が経った2021年の夏に、名古屋が僕にもう一度オファーをしてくれたんです。当時は“また行くべきか”と少し悩みました。ただ、クラブが早い段階で断ったので、移籍は実現しませんでしたが。

それでも、名古屋が僕のことを忘れず、獲得の意思を示してくれたことに対して感謝の気持ちでいっぱいでした。その後、(名古屋が優勝した)昨年のルヴァンカップ決勝も、韓国から一生懸命応援していました。この機会を借りて、名古屋グランパスには本当に感謝していて、僕たち夫婦が感謝の気持ちを持っていること、今も恋しく思っていることを必ず伝えてください。

振り返ると、名古屋時代には大森征之スポーツダイレクター(当時)やマッシモ・フィッカデンティ監督(当時)、チームメイトが本当によくしてくれました。今も名古屋には本当に最高の思い出しかないですし、家には名古屋のユニホームを飾っています。それほど名古屋に対する感謝の気持ちが大きかったので、ぜひ感謝の言葉を伝えたかったんです」(つづく)

(取材・文=姜 亨起)

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