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「120cmの男児は女湯禁止」「小学生にブラジャーは必要ない」日本の謎ルールはどこから生まれるのか

  • 2022.7.2
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学校でも社会でも、意味不明なルールに出合うことは少なくない。なぜそのようなルールが生まれるのか。人気エッセイストであり、ハーフでもあるサンドラ・ヘフェリンさんは「例えば、子供の混浴制限を年齢でなく、身長でする温泉がありますが、背の高い異性の子供がいて『不愉快に感じる』というのは、まわりの大人の都合です。おかしなルールの背景には間違った前提や思い込みがある」という――。

※本稿は、サンドラ・ヘフェリン『ほんとうの多様性についての話をしよう』(旬報社)の一部を再編集したものです。

記述されたルールとチョーク ボード
※写真はイメージです
男児が女湯に入っていいかが「身長」で決まるおかしさ

先日、子供を持つ知人が「このあいだうちの子(男の子)と同い年の子供を持つママ友と4人で温泉に行ったら、背が高いうちの子だけ温泉に入れなかったの」と話していました。

彼女が行った温泉では、男児が女湯に入る際、年齢ではなく「身長」で区切っているとのこと。そのため彼女とママ友の息子さんはどちらも同じ年齢であるにもかかわらず、背の高い彼女の息子さんだけ女湯に入れなかったそうです。

私に子供はいませんが、温泉が好きでよく通っています。そこで先日、よく行く温泉のルールをチェックしてみました。すると、今まで気づかなかったのですが、女湯の前に「誠に申し訳ございませんが、身長120センチ以上のお子様の混浴はご遠慮ください」という注意書きがありました。

私が暮らす東京都の条例では「7歳以上の男女を混浴させないこと」としていますが、浴場によっては年齢のほかに110センチや120センチなど身長に制限を設けているところが少なくありません。

同じ年齢なのに、背の低い男児は母親と一緒に女湯に入ることができ、背が高い男児はできない、というのはある種の問題をはらんでいるように思います。

というのも、背の高い異性の子供がいて「不愉快に感じる」というのは、言ってみればまわりの大人の都合だからです。

背が高いからといって、しっかりしているわけではない

日本では背が高い子供に対して「性格も大人びている」と考えがちです。

自分の話で恐縮ですが、私は2歳だった頃、母と一緒に日本に一時帰国しました。母によると、当時2歳にしてすでに日本の4歳児ぐらいの身長があったそうです。

でもなにせ2歳ですから、母親に抱っこしてもらうのが好きないわゆる甘えん坊でした。ところが背が高くて幼稚園児に見えることから、母は周囲から「子供がそんなに大きいのに、まだ(歩かせないで)抱っこしているの?」「子供がそんなに大きいのに、まだ一人でできないの?」といったことをひんぱんに言われたそうです。身長のわりにあまりに赤ちゃんぽいのがミスマッチに映ったのか、遠回しに「発育が遅れているのでは?」というようなことを言う親戚もいたとのことです。

背の高さを一つの指針にすることは、日本では昔からわりと当たり前に行われてきました。けれど、ドイツを含むヨーロッパで、身長を基準にするのはあまり見られない考え方です。

子供の背が高いからといって「しっかりしている」わけではありません。ところが子供を見た目、つまりは身長で判断すると、「それぐらい背が高ければ、これぐらいのことはできるはず」という考えにつながってしまいます。この点については今一度考え直してみてもいいかもしれません。

「小学生女児にブラジャーはいらない」はセクハラではないのか

子供の発育に関する「大人の一方的な思い込み」が深刻な影響を及ぼすのが学校現場です。小学校によっては、体操服の下にブラジャーや肌着の着用を禁止するルールがあります。

ランドセルを背負った女の子
※写真はイメージです

ルールを設けた理由について「汗で濡ぬれた下着をつけたままだと風邪をひくから」と説明している学校もあります。

でも、成人した女性に対して、たとえその女性が身体を動かす必要のある仕事に就き、汗をかくことが想定されていても「風邪をひくからブラジャーをつけるのは禁止」といったルールが課されることはありません。もしそのようなルールがあったらセクハラだと言われてしまうことでしょう。

ではなぜ大人の女性に対して課さないルールを、女児に課しているのでしょうか。

そこには「小学生の女の子なら身体がそこまで発育していないはず」「小学生ならブラジャーなど必要ではないはず」といった大人側の「子供とはこうあるべき」という思い込みがあるとみてよいでしょう。

小学生であっても胸の発育した子はいますし、ブラジャーが必要な子もいます。そういったことを考慮せずに「子供にはこうあってほしい」「子供には子供らしくあってほしい」「だから子供にブラジャーはそぐわない」というような大人側の願望がこのルールからは見て取れるのです。ルールを作った側に間違った前提があったといえます。

下着の色に中学生らしさを求める大人たち

小学校の「体操服の下にブラジャーや肌着をつけてはいけない」というルールもじゅうぶんに理不尽ですが、もっと理不尽な校則が多いのが中学校です。中には生徒の下着の色をルール化しているところがあります。

しかし、学校が「何色の下着を身につけてよいか」といった生徒のプライベートな領域に立ち入る背景にもまた、大人による「中学生らしさ」へのこだわりというか、勝手な理想があるように感じます。

下着について他人が言及してもいいことになってしまう

学校側が下着にまつわるルールを設けていることの弊害は「生徒が不自由な思いをする」ことだけではありません。

カラフルで 4 つの大きな物干しロープ
※写真はイメージです

一番の問題だと思うのは、子供たちが長年の学校生活の間で「下着などの女性のもっともパーソナルなことについて、他人が言及しても仕方ない」と思わせてしまうことです。

日本では大人の女性に対しても、下着について指摘する人がいます。

私もブラウスから少しブラジャーのひもが出ていたときに「ひもが見えているよ」と指摘されたことがあります。「ブラジャーのひもを出しているのって、わざと?」と質問され戸惑ったことも。なぜ戸惑ったのかというと、私が育ったドイツでは、他人がどんな下着をつけていようと、そのことには言及しないのが普通でありマナーだからです。

日本のいたるところで下着に意識が行き過ぎている

ドイツを含むヨーロッパでは、女性の下着の柄が服越しに透けていたり、肩からブラジャーのひもが見えていても、男性は「スルー」することがマナーだとされています。ちなみにドイツの学校に校則はなく、当然ながら下着にまつわるルールもありません。

サンドラ・ヘフェリン『ほんとうの多様性についての話をしよう』(旬報社)
サンドラ・ヘフェリン『ほんとうの多様性についての話をしよう』(旬報社)

日本の場合、小学校や中学校によっては下着に関する厳格なルールがあります。社会人になってからも、会社によっては「制服から透ける色の下着はダメ」などのルールがあったり、暗黙の規定がある会社もあります。

また、下着の盗撮や下着泥棒など下着にまつわる犯罪も目立ちます。日本のいたるところで下着に意識が行き過ぎている気がするのです。

中学校の校則には、あらためるべきものがたくさんありますが、校則を盾に実質的に生徒の下着について言及してもよいことになっている点がとくに問題だと思います。

おかしなルールの背景には、間違った前提や「こうした立場の人には、こうあってほしい」といった、ルールを作る側の勝手な願望や押しつけがあることをもっと意識してもよいのではないでしょうか。

サンドラ・ヘフェリン(さんどら・へふぇりん)
著述家・コラムニスト
ドイツ・ミュンヘン出身。日本語とドイツ語の両方が母国語。自身が日独ハーフであることから、「ハーフ」にまつわる問題に興味を持ち、「多文化共生」をテーマに執筆活動をしている。ホームページ「ハーフを考えよう!」 著書に『ハーフが美人なんて妄想ですから‼』(中公新書ラクレ)、『体育会系 日本を蝕む病』(光文社新書)、『なぜ外国人女性は前髪を作らないのか』(中央公論新社)など。

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