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いつから同性愛はダブー視されるようになったの? プライド月間に考えてみた日本歴史上の同性愛【夫婦・子育ていまむかし Vol.3】

  • 2022.7.1
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ウーマンエキサイトをご覧の皆さん、こんにちは。tomekkoです。

6月って、日本では梅雨のイメージばかりが強く、あまり目立った季節の行事も無いような気がしますが、実はプライド月間と呼ばれるLGBTQ+(性的少数者)の権利を啓発する活動が行われているって知っていましたか?

昔は同性愛は普通のことだった?

まさに今国内でも同性婚についてとても先進国とは思えない議論がされているわけですが…家庭内でもちょうど子どもたちの会話から気になるワードが出たのもいい機会だったので…。

学生時代に遊女の研究をする過程でジェンダーやさまざまな芸能者の性にも触れてきたワタシとしては、同性の恋愛や結婚に対する日本の歴史的な価値観について黙っていられない…!!

今回もこちらのお二方にご案内してもらいます!

そもそも日本で同性愛がタブー視されたのは明治以降のようでして…。

そう、この連載でもたびたび触れてきましたが、日本は西洋化が進む前と後では価値観ががらりと変わっているのです。

戒律(宗教上の禁忌)の無い八百万の神を祀る神道と女性を穢れとする仏教で文化が成り立ってきた日本では、主に僧侶とその身の回りの世話をする稚児(貴族の子弟で未成年)の関係から同性愛は広まったと言われています。

ただしこれは男性同士…と言ってもあくまでも『女性の代用』として子どもが使われていたという、現代の感覚で子を持つ親という立場から見ると許せない気持ちになってしまいますが…。

歴史研究において恩師からもよく言われた言葉ですが、

「歴史上の事実に対して現代の常識や価値観で善悪を判じてはいけない」

歴史を知るとモヤモヤすることも多いんですが、ここは気をつけたいところです。

とりあえず、当時はそうだったということで…。

平安時代は『政治に関わる重要な関係』

この稚児愛から始まった男色文化は貴族間へ広まっていきます。そういえば大学時代にすごい史料を読み解く講義があったなぁ…なんて思い出すワタシ。

藤原頼長という貴族が好みの男性を取っ替え引っ替えしてはその夜の感想を細かく綴っている、これがホントの黒歴史日記というものがありまして…(正式名称は『台記』)。一緒に講義を受けた友人と「自分の死後1000年経って教材にされたら恥ずかしいと思う手紙や写真は焼き捨てよう…!!」と誓い合いましたとも。(1000年後に“何が恥ずかしいこと”になってるのか…わからないんですけどね!)

ただひとつ真面目な話をすると、この頃には『女性の代用』ではなく男色が『趣味』兼『政治に関わる重要な関係』になっていることがわかります。

戦国時代は『武将と小姓の主従関係』

その後、戦国時代に入ると武将と小姓という上下関係の中での男色が流行っていきます。

この時代も『女性の代用』ではないみたい。

有名どころで言うと織田信長の小姓、森蘭丸のような美形(史実かどうかは不明ですが)の小姓を連れた戦国武将というのは確かに絵になるショットですが、お飾りのお供ではなく実際武道の腕にも優れ主人のボディガード役でもあったんですって。

江戸時代は『庶民の趣味娯楽』

江戸時代に入ると武士から庶民へも広まっていきます。

女歌舞伎が風紀の乱れを理由に禁止されると、若衆(未成年の男性)歌舞伎が流行。

女性がダメなら少年を使えばいい、という概念がやっぱり根底に染み付いてるなぁ、とわかる施策ですが、若衆は若衆でまた風紀を乱す結果になってしまったので、結局成人男性しか出られない『野郎歌舞伎』に落ち着き、現代までそのルールが引き継がれているわけですね。

ここで、歌舞伎役者(主に女形)の見習いが女装して客の相手をする『陰間』文化も盛んになりますが、こちらは明治時代にほぼ消滅したようです。

さて、ちょっと子どもに見せるにはモザイク強めな話はここまで。

ここで気づいた子どもたち。

女性はまるで存在してなかったかのよう…

そう、日本の歴史上認識されている『同性愛』って、ほぼ男性同士のみ。性的マイノリティーなら女性だっているはずなのに、なぜ?

少なくとも日本史上の同性愛って、性的指向や性同一性障がいに寄り添ったものではなく、男性主体の趣味、だったんですね。

恋愛(性愛)の決定権や趣味を持つこと自体が、男性にしか許されなかったってことなんだ、と気づいて呆然。

女性同士のカップルだって居たことは居たでしょうが、表向きに認知されていなかったり、それこそ隠さなければいけないことだったのかもしれません。歴史学は基本的には男性によって営まれる制度のみに焦点をあてることになり、女性はまるで存在してなかったかのように描かれてしまうようです。

明治以降は男女関係なく同性愛自体を禁忌とするイメージが強くなったけれど、性的マイノリティだった女性の生きづらさは江戸時代までと変わらなかったのかもしれないですね。

結婚と恋愛は別物…!

そしてもちろん、マイノリティの『結婚』というゴールは設定されていなかったわけで。

結婚は家同士の結びつき、そしてニュースでも騒がれていた「生産性」…つまり子孫繁栄のための義務でもあったんですよね。現代よりも結婚という制度は社会のシステムの一部であるという側面が強く、個人の意志は尊重されなかったことが多く…。

だからこそ『心中物』(現世で身分違いの恋が叶わない恋人同士が来世で結ばれることを願って自死する話をモチーフにした演劇)が大流行したりもしたのでしょう。

そう考えると「昔の日本の方が同性愛に寛容だったから自由だった」とか「昔の方が多様性の受け入れが進んでた」とも言えないです…。

最近は性別もいろいろな正当な性のあり方のひとつでしかないと受け止められる社会に、徐々になってきているような気もするけれど、同性婚などの制度が整っていない現実からも、まだ同性愛への理解は深まっていないように思いますよね。

家庭を築きたいと考えるカップルが同性か異性か、子どもを産めるか否かに関わらず望めば戸籍を同じくする選択肢が当たり前に国から認められるように…なって欲しいです。

社会というのは万古不変のものではなく、少しずつでも変えられるもの。次の一歩を踏み出した日本の姿を子どもたちにも見せてあげたいなぁ…とつくづく思ったのでした。

(tomekko)

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