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『私の解放日誌』が描いた「あがめる」と「解放」 復讐劇に対するカウンターに?

  • 2022.6.29
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『私の解放日誌』(JTBC公式サイトより)

Netflixで配信中の韓国ドラマ『私の解放日誌』が完結して約1カ月。『マイ・ディア・ミスター ~私のおじさん~』の脚本家パク・ヘヨンによるストーリー、セリフの数々は比喩的・哲学的でさまざまな解釈ができ、咀嚼に時間がかかる。あっちから観たり、こっちから観たりと考察をめぐらせるなかで出てきたのは、相対評価に傾倒した社会への疑問と、創作物を受け取る観客の視点を忘れない作家の矜持だった。

『私の解放日誌』の中心となるのは、ソウルから電車とバスを乗り継ぎ1時間半以上かかる郊外のサンポ市に暮らす、ヨム家の人々。長女ギジョン(韓国リメイク版『最高の離婚』のイ・エル)はマーケティング調査会社、長男チャンヒ(『この恋は初めてだから』のイ・ミンギ)はコンビニエンスストアの本社、次女ミジョン(『都会の男女の恋愛法』のキム・ジウォン)はカード会社のデザイン部署の契約社員として、それぞれソウルに通勤している。家業の建設業と農業の切り盛りに人生を費やす両親、父親の仕事を手伝う本名も素性もわからない寡黙なク氏(『D.P. ―脱走兵追跡官―』のソン・ソック)の6人はいつも一緒に食卓を囲み、3きょうだいの仕事が休みの日は農作業に勤しむ。そしてヨム家の人々を小蝿のように煩わせる、「歯の一本一本に“イヤな女”と書いてあるような」と形容される小悪人たち。いろいろな意味で人生に閉塞感を感じている彼らが、「あがめる」と「解放」をキーワードに、小さな解脱へ進むさまが描かれている。

映画・文化評論家のキム・ドーフン氏が韓国媒体で書いているように、このドラマは視聴率で目覚ましい好成績を収めたわけではないが、人々の心に深く残る作品だったようだ。

「パク・ヘヨン氏は、トラウマを抱えた登場人物たちが人生で最も底を打った瞬間に新しい人物に会い、その関係を通じて自身の新しい面を発見する過程を描くことに長けている」(※)

『マイ・ディア・ミスター』では、建築会社に勤める一見エリートのドンフン(イ・ソンギュン)が、ヤングケアラーで前科のあるジアン(IUことイ・ジウン)に出会い、彼女の境遇に寄り添うことで自身も再生していく。是枝裕和監督は、このドラマでのイ・ジウンを評価し最新作『ベイビー・ブローカー』にキャスティングしている。

『私の解放日誌』におけるジアンはク氏で、ドンフンはミジョンだ。元彼に裏切られ、上司や同僚からは軽く扱われ、自己肯定感が極限まで下がったミジョンは、日々目の前で黙々と食事をしている謎だらけの男に、「わたしをあがめて」と命令する。あがめる、崇める、崇拝する。英語ではworshipと訳され、神聖なものをただ認め、敬うことを表す。同時に、ミジョンは勤務先の会社の「幸福支援センター」による強制的同好会活動推進の目を逸らすため、同じ気分を抱えた同僚たちと「解放クラブ」を結成し、解放日誌をつけ始める。

アルコール中毒で、過去の仕事によるトラウマを抱えるク氏にとって、ミジョンをあがめる行為は、ただ労働し摂食し、それ以外の時間は酒に溺れる生活から“解放”される一歩となる。ミジョンは最終話で、「誰かの最低さを証明する存在として自分を立たせていたから自分には力がなかった」と告白する。あがめる関係を自分の意思で始めたことにより、ク氏が姿を消した期間にも逆に「同じ人間としてただ応援する」境地にたどり着いたという。

姉のギジョンは己を顧みず「ハズレを引きたくない」と男たちを値踏みしているから、恋人ができない。酔った席で「子どもを一番に思うシングルファーザーは、最も大切なものが一致しないから論外」と暴言を吐くが、その言葉を裏切るような相手と見返りのない恋に落ちる。兄のチャンヒは、店長の愚痴聞き係のコンビニ運営本社の営業職から、自身に備わる不思議な運を活かした仕事を目指すようになる。ヨム家の両親、人生計画というこの世代の男性が背負う価値観に囚われた父親、仕事と家事に追われ、いつも眉間に皺を寄せる母親にも、それぞれの“解放”が訪れる。財閥の人間でも得られない(お金では買えない)ような解放を遂げる母親。皮肉だが、おそらく究極の解放の姿だ。

ヨム家の人々は、世間による相対的価値観の外側にいるク氏の存在感が増すごとに、自分たちに閉塞感をもたらすものに気づく。ソウルを卵の黄身と見立て、中心を囲む白身の部分に属するサンポ市にある家を「遠い」と愚痴る。社内の女性に宝くじをプレゼントし口説く男が、自分にだけ目もくれないと嘆く。自分のことばかり大声で話す隣席の同僚を疎ましく思う。契約社員だからバカにされていると感じ、仕事に自信も情熱も持てない。それらの相対から解放されること。ヨム家のきょうだいが通勤電車の車窓から目にする「今日はきっといい日になる」の標語には比較対象となる「昨日」も「明日」もなく、絶対的な決意を表明している。

このドラマが作られた背景には、ここ数年のドラマに市民による復讐劇が多かったことに対する反応があるのではないかと考えている。『ヴィンチェンツォ』や『模範タクシー』、それに対応する『地獄が呼んでいる』や『調査官ク・ギョンイ』については、別記事(『親切なクムジャさん』の影響大? 『地獄が呼んでいる』など韓国復讐劇の共鳴)で考察している。世界的現象となった『イカゲーム』も、経済という一つの指標に翻弄された人間のサバイバルレースだ。虐げられた市民が立ち上がり司法や公権力に立ち向かいスカッとする物語は「サイダードラマ」と呼ばれている。これらのドラマの源流にあるとした、「復讐3部作」で知られるパク・チャヌク監督が今年のカンヌ映画祭で発表した『Decision To Leave(英題)』が、「人はいかにして自己を解放するのか」という内面の葛藤に向かった物語だったことも印象深い。

キム・ドーフン氏は前出のドラマ評で、『私の解放日誌』についてこう書く。

「主人公たちは救われるわけではない。彼らは完全に他の世界から来た人物を通じて少し変わるだけだ。主人公たちを苦しめる些細な日常の敵は、普通の韓国ドラマとは違い、倫理的に処断されない。悔い改めもしない。敵たちはおそらく、ドラマが終わった後も同じ傷だらけの人間として生きていくだろう」(※)

日常の敵は、自らを相対化することなく本能のまま行動するから、他人を傷つける。サイダードラマの主人公たちは、世界を強者と弱者に分け、一方を完全なる悪として怒りの制裁を加える。だが実際の社会はそんなふうに白黒つけられるものでもない。分断を促すよりも、息苦しさを生む同調圧力をひらりと交わせば、呼吸するスペースができる。そのための電力源が、ミジョンがク氏に勧めた「1日5分間のときめき」貯金である。

『マイ・ディア・ミスター』同様、『私の解放日誌』の最終話でも、このドラマのインスピレーション源となったような映画がほのめかされる。今作で長男チャンヒのセリフとして言及されているのは、1998年の『リターン・トゥ・パラダイス』というアメリカ映画。ヴィンス・ヴォーン、ホアキン・フェニックス、ヴェラ・ファーミガという豪華キャストが揃っているが、決して知名度の高い作品ではない。休暇中に訪れたマレーシアで、羽目を外して大麻を吸った3人のうち、現地に残った1人に大麻密輸罪で死刑が求刑される。3人が揃って出頭すれば刑も三等分されて死刑を免れることができる……という物語だが、パク・ヘヨンがこの映画から受け取ったものは友情や倫理観ではない。解脱し解放された人生を歩み始めたミジョンは、自分の人生に迷いを抱えるク氏に、自分が生き残る方法として「1日5分ときめく時間を作る」ことを心がけていると語る。『リターン・トゥ・パラダイス』からチャンヒが受け取ったメッセージは、この「ときめきの5分間」を与えるために彼は生きていくという決意だった。また、悪に堕ちる一歩手前のミジョンを、絶望の淵にいたク氏がかけた1本の電話が救ったのは、この映画が成し遂げられなかった“もう一つのエンディング”のように見える。『マイ・ディア・ミスター』では、それが是枝裕和監督の『誰も知らない』(2004年)で、一般的に映画から受け取るテーマとは異なる、人間の自然治療力を信じるというメッセージに繋げている。

脚本家のパク・ヘヨン氏は、映画が本来伝ようとしているようなテーマやメッセージとは異なるものを受け取り、ドラマの筆致に活かしている。「映画やドラマ、小説などの創作物から観客がどんなことを受け取ろうが自由である」という、当たり前のことを体現しているように思う。それこそが、パク・ヘヨン氏がクリエイターを息苦しくさせる評価や指標から解放され、どんな人生をもあがめるように物語を紡いでいる理由のようだ。

※ https://www.hani.co.kr/arti/culture/culture_general/1045590.html

(平井伊都子)

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