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誰もがを意味する「猫も杓子も」その由来は何?そもそも杓子って何?

  • 2022.6.23
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「猫も杓子も」とは、何もかもといった意味の言葉です。 「みんな同じような様子」を指すことから、良い意味で使われることもあれば、悪い意味でも使われる事もあります。

しかし、なぜ登場するのは「猫」なのでしょうか? そこでここでは、「猫も杓子も」という言葉について、その意味や類義語、由来について見ていきましょう。

「猫も杓子も」とは

 

まずは「猫も杓子も」とは、どのような言葉なのかを見ていきましょう!

「猫も杓子も」の意味

「猫も杓子も」には、誰も彼もや、何もかもという意味があります。

肯定的にも否定的にも使える言葉です。 ネガティブなニュアンスとしては、どいつもこいつもなんでもかんでもというような意味合いで用いられます。 ポジティブもしくはニュートラルなニュアンスとして、みんな同じような様子をあらわして用いられる事もあります。

「猫も杓子も」の類義語

「猫も杓子も」のように周りの人が同じような様子を意味する言葉はいくつかあります。 例をあげると、一陽に・右も左も・揃いも揃って・あの人もこの人も・一人残らずなどがあります。

共通しているのは、みんな同じような様子を表していることです。

杓子とはなんのこと?

 

「猫も杓子も」の「猫」はわかりますが、「杓子」とは何を表しているのでしょうか?

杓子とは「しゃもじ」のこと

「猫も杓子も」の「杓子」とは、ご飯をよそう際に使うしゃもじのことです。 いまでこそ「しゃもじ」という呼び名が一般的ですが、かつては「杓子」という呼び方の方が一般的でした。

杓子が「しゃもじ」に変化したのはブームだったから

ではなぜ、「杓子」が「しゃもじ」に変化したのか。 これは室町時代に起きたあるブームが由来とされます。

当時、宮中で働く女房と呼ばれる女性たちの間で、既存のもの名前を少し変化させるというブームが発生しました。 その中のひとつに、名前の後ろを「もじ」に変えて婉曲表現するというものがありました。 当時の女性たち的には、「~もじ」という響きがウケたようです。 このように当時の女房たちによって生み出された新しい言葉を「女房言葉」と言います。

そして、杓子もこの「もじ」に変更するブームの対象となりました。 結果、杓子の「しゃ」だけが残り、「しゃもじ」という女房言葉になりました。 この「しゃもじ」という言葉は、広く広まった結果宮中だけで通じる言葉では済まなくなり現在まで通用するようになっているのです。

この「もじ」に変化させるブームでは、様々な新しい言葉が作られました。 おめにかかるの古めかしい表現に「御目文字」という言葉がありますが、これも「お目」に「もじ」が付け加えられて生まれた言葉です。 和服の下着に「湯文字」というのがあるのですが、これは平安時代に生まれた「湯巻」が女房言葉になったことで湯文字に変化したものです。

現在でも日常で使われることがある言葉としては「ひもじい」があります。 この言葉は、空腹を意味する「ひだるい」の「だる」が女房言葉に置き換えられ生まれたのです。

「猫も杓子も」の由来

 

ここからは「猫も杓子も」の語源についてまとめていきます。 由来に関しては諸説ありますので、いくつかピックアップしてご紹介します。

「女子も弱子も」だったとする説

「猫も杓子も」はもともと「女子も弱子も」だったという説があります。

かつては女性を「女子(めこ)」、子供を「弱子(じゃくし)」と表現されていました。 そこから女性も子供もという意味で「女子も弱子も」と言われるようになり、これが変化して「猫も杓子も」となったとされています。

もともと落語の「横丁の隠居」に出てくる話が起源とされ、作中の「女子も弱子も」を「猫も杓子も」と聞き間違えたことで世間に広まったとされます。

杓子を「主婦」の事を指して生まれたとする説

「猫も杓子も」には、主婦が関係しているという説もあります。

かつては、猫は家の中で飼育されており、主婦は家庭のこと一切を任される立場にありましたので、一日中家の中にいる存在でした。 この様子から、家族がみなという意味で使われるようになったともされています。 食事も任される主婦の代名詞として、「杓子」となったのだともされています。

神職と僧侶を指す言葉だったとする説

神社で務めるひとの役職のひとつに「禰宜(ねぎ)」があります。 また、僧侶の事をお釈迦様の弟子という意味で「釈氏(しゃくし)」と言う事があります。

そこから、神に仕える者も仏に仕えるものもという意味で「禰宜も釈氏も」というようになり、これが後に「猫も杓子も」になったという説もあります。 この「禰宜も釈氏も」という言葉は、滝沢馬琴の代表作「南総里見八犬伝」の中で実際に使用されています。

一休さんの逸話から生まれたとする説

とんちで知られる一休さんの説話集「一休咄」に起源があるとする説もあります。 「一休咄」には一休さんが残した伝説が記されています。 その中に「生まれては死ぬるなりけりおしなべて釈迦も達磨も猫も杓子も」という一文が出てきます。

これは「どんな存在であっても、生を受けたものは死んでいく」ことを説いたものです。 「釈迦も達磨も」は、日本の仏教界にとって非常に重要なお釈迦さまと達磨大師の事を指していますが、「猫も杓子も」と続くのは語呂が良かったために使われたのだろうと考えられています。 そこに深い意味はないと考えられているものの、語呂のよかった「猫も杓子も」だけが残り、現代でも使われるようになったのだとされているのです。

まとめ

「猫も杓子も」は、誰も彼も、何もかもという意味があります。 みんな同じような様子を指す言葉として、ネガティブな意味でもポジティブな捉え方でもどちらでも使える言葉です。

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