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立ち止まってもいい。Netflix『私の解放日誌』にみる韓国エンタメの新潮流

  • 2022.6.23
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「一生懸命生きる」から「頑張りすぎない」時代へ

韓国の映画やドラマ、そしてエッセイや小説に描かれるものが変化しているのではないか、そう思い始めたのは、2019年あたりからだ。きっかけは、2016年に韓国で出版され、100万部を超えるベストセラーとなった『私は私のままで生きることにした』(キム・スヒョン)が2019年3月に日本で出版されたことにある(日本でも50万部を超えるベストセラーに)。その後、2020年1月には『あやうく一生懸命生きるところだった』(ハ・ワン)も翻訳された。

『私は私のままで生きることにした』(キム・スヒョン著/ワニブックス)

それまで、韓国の人たちは、成長を目指し、そのために「一生懸命に生きる」というイメージがあった。アイドルを見ても、厳しいレッスンの先に成功があると示されていた。しかし、これらの本では、他者と自分を比べることなく、自分を愛して生きていくことや、頑張りすぎないことの重要さが書かれていた。

2019年12月には、ポン・ジュノ監督の映画『パラサイト 半地下の家族』も日本公開となった。全員が失業状態にある家族が、あるお金持ちの一家に「寄生」していく様子をコミカルに、かつシニカルに描いた作品であり、ご存じの通り、カンヌ映画祭でパルム・ドールを受賞、米アカデミー賞では6部門でノミネートされ、作品賞を含む4部門を受賞した。

『パラサイト』の中では、ソン・ガンホ演じる一家の父親が息子に「絶対に失敗しない計画は何だと思う? 無計画だ。ノープラン。なぜか? 計画を立てると必ず、人生そのとおりにいかない。だから人は無計画なほうがいい。最初から計画がなければ何が起きても関係ない。人を殺そうが、国を売ろうが知ったこっちゃない」というセリフがあり、衝撃を受けた。

もちろん、これは額面通りに受け取ってはいけない。「人を殺そうが、国を売ろうが知ったこっちゃない」という言葉でわかる通り、“無責任な状態”を表している。

無責任に一生懸命頑張ることを煽られる時代の終焉

しかし、その「無責任さ」は自分以外のところにある。映画全体からも、「無責任に一生懸命を煽られ、成長のために頑張らされてきた自分たちは、何を得られたというのだろう」と振り返る思いが伝わってきた。その“成長”とは、個人の成長ではなく、社会のため、国のため、組織のため、そして経済のためといった、自分自身以外のもののために強いられたものではないか、その中で“自分”というものはないがしろにされているのではないかという目線が感じられた。

「一生懸命頑張ることを煽られている」という状態は、人々を疲れさせる。筆者は、2021年の3月に、日本映画大学准教授のハン・トンヒョン氏と共に『韓国映画・ドラマ──わたしたちのおしゃべりの記録2014~2020』という対談本を出版したが、その中でハン・トンヒョン氏が『マイ・ディア・ミスター〜私のおじさん〜』(18)――主演のIUの演技を見て、是枝裕和監督が『ベイビー・ブローカー』(22/6月24日公開)に抜擢したそうである――や、『椿の花咲く頃』(19)、『サイコだけど大丈夫』(20)を挙げながら、「何というかこれから感じるのは、韓国社会の人はみんな、疲れてるんだな、ということ」「その疲れた韓国人が、人とのつながりを求めたり、自分はひとりじゃないと感じられるものを求めているんじゃないかと」と語っている。

『韓国映画・ドラマ──わたしたちのおしゃべりの記録2014~2020』(西森路代/ハン・トンヒョン著/駒草出版)

その傾向は今も続いている。2021年には『海街チャチャチャ』の放送が始まった。本作はソウルに住んでいた歯科医のヒロインが、経済的な利益を優先する院長を糾弾したことがきっかけで、海街を訪れ、田舎町での交流を深めていくというもの。今年4月からスタートして日本のNetflixでも上位にランクインしている『私たちのブルース』も、済州島を舞台に、イ・ビョンホンなどが演じる島に暮らす人たちの人間模様を描いた群像劇である。これらの作品も、「疲れた」都会の人が、田舎町に行き、人との交流によって、新たな道を見つけ出すという一面のある作品である。

そもそも、韓国では2010年代中盤から、『私たちのブルース』の脚本家、ノ・ヒギョンの『大丈夫、愛だ』(14)や『キルミー・ヒールミー』(15)など、「ヒーリングドラマ」と呼ばれるものが、徐々に増えてきていた。その流れと、2016年に韓国で出版された『私は私のままで生きることにした』は、近いものがあるのかもしれない。

社会に違和感をもつ2人が出会うドラマ『私の解放日誌』

そして、2022年4月からは『私の解放日誌』が放送され、日本でもNetflixによって、ほぼリアルタイムで視聴することができた。

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脚本は、先述の『マイ・ディア・ミスター〜私のおじさん〜』のパク・ヘヨン。ヒロインのミジョン(キム・ジウォン)と、長男のチャンヒ(イ・ミンギ)、姉のギジョン(イ・エル)は共にソウルの会社で働いている。しかしミジョンは同僚たちとの会話にも、どこかついていけないところがあり、社内の同好会の活動にも参加していない。理由のひとつには、彼女の実家が、地下鉄を乗り継いで一時間以上かかる、サンポ市という郊外にあることも関係があった。

これまでのヒーリングドラマは、田舎町には自然がたくさんあって、そこにいるだけで癒やされる場所とされがちであったが、このドラマでは、田舎町ではなく、ソウルの“郊外”であるからこそ、閉塞感が漂い、決して癒やされるだけの場所ではない。そこが、これまでとは違った描かれ方である。

そんな郊外にあるミジョンの家で働く男性。彼は、ク(ソン・ソック)という苗字だけを名乗り、仕事が終わると、いつも焼酎を飲んでいる。口数は少なく、それ以外のことは謎に包まれているが、ミジョンは彼に妙に惹かれるようになり、ある日突然、彼に対して「私を崇めて」と告げるのである。

どこか社会や人間関係に違和感を持っており、そこはかとなく「疲れている」ふたりが、シンパシーを感じるのは必然のように思える。それ以上に、謎めいていて、悲しみを全身から漂わせるクを演じるソン・ソックの魅力でこのドラマが成立しているようなところもある。

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作詞家の松本隆氏も、このドラマを見て、「ソンソックの野生の色気に1秒ごとにやられる」と自身のTwitterで綴っているほどである。

ソン・ソックについてもう少し書くと、1983年生まれで2016年デビューという遅咲きの俳優ながら、『D.P. -脱走兵追跡官-』(21)などの話題作や、アメリカのドラマ『センス8 シーズン2』(16)にも出演。韓国でリメイクされた『Mother』や『最高の離婚』(共に日本の原作は坂元裕二脚本)では、どちらのドラマでも、綾野剛が演じた役を演じた。2022年はマ・ドンソク主演で、コロナ禍以降で初めて1000万人を超える動員を記録した『犯罪都市2』にも出演しているため、韓国で今、一番ホットな存在となっている。そして、そんな彼が、ある意味、今の韓国の気分を表すような、それでいて、これまでにドラマでは見たことのないような役を魅力的に演じているのが『私の解放日誌』なのである。

自分を見つめる時間が、自分を愛し“解放”することを可能にする

もともと、この“解放”という言葉は、社内で同好会活動をすることに馴染めなかったミジョンや、部長、姉と後に交際することになるチョ・テフンが、自分たちで「解放クラブ」を結成するところで、出てくるものである。

この「解放クラブ」の規則には、「幸せなふりをしない」「不幸なふりをしない」「正直に向き合う」というものがあり、クラブのメンバーたちは、それぞれに「解放日誌」をつけていて、ある意味“書く”ことが、自己を見つめ、癒やしたり、認めたりすることにつながっているともとれるようになっていた。

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しかし、このドラマの“解放”は、これ以外でも、さまざまなところに描かれていて、答えがひとつではないのも良いところだ。

郊外の閉塞感からの解放ともとれれば、都会の複雑な人間関係からの解放ともとれるし、アルコールに依存し世を捨てたような謎のクをミジョンが解放しているようにも見えれば、クという社会とは隔絶した存在にシンパシーを感じることでミジョンも解放されたようにも見える。

こうした「あいまいさ」は、あいまいだからこそ多くの人の共感を呼ぶことになるし、かつては「はっきりした敵に対して、はっきりした答え」を出していたように思われた韓国ドラマの、新たな一面だとも捉えられる。むしろ「あいまいさ」は日本のドラマに顕著であったものであるし、坂元裕二の作品が韓国でリメイクされるのもわかるような気がしてくる。

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この原稿を書いていて、いつ触れようかと考えていたが(冒頭で書けば話題に安易にのっかったようで、この文章の本質が薄れて見えたら残念だからだ)、先ごろBTSのRMが「アイドルというシステム自体が人を成熟させない」のではないかとし、グループでの活動について立ち止まることを発表した(後に事務所はグループとソロ活動を並行して行うと発表)ことは、ある種の“解放”であると見ることもできる。

自分を見つめたり、振り返る時間を持つことこそが、自分を愛し、肯定し、そして解放することになるという意味では、ここで書いてきた本やドラマとも繋がっているように思える(もちろん、BTSのジョングクが『私は私のままで生きることにした』を読んでいることは有名なエピソードであるが)。そして、「前を向くために立ち止まれる」ということにこそ、社会の成熟が感じられるのだ。

作品紹介

『私の解放日誌』

性格がまったく違うソウル郊外に住む三兄弟。代わり映えしない毎日から抜け出そうと、自由と生きがいを求めて奮闘。そこに謎の男・クが現れて……その目的とは?

文/西森路代

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