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家入レオ「言葉は目に見えないファッション」vol.56背中に吹いた風

  • 2022.6.10
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クォーター・ライフ・クライシス。それは、人生の4分の1を過ぎた20代後半〜30代前半のころに訪れがちな、幸福の低迷期を表す言葉だ。27歳の家入レオさんもそれを実感し、揺らいでいる。「自分をごまかさないで、正直に生きたい」家入さん自身が今感じる心の内面を丁寧にすくった連載エッセイ。前回はvol.55映画館での音楽体験

vol.56背中に吹いた風

昔に読んだ平野啓一郎さんの著書『私とは何か「個人」から「分人」へ』は人間の最小単位を「個人」とせず、1人の人間の中には複数の人格が存在しそのどれもが自分である「分人」という考え方を私に教えてくれた。例えば今、中学時代からの友人と社会人になってからできた友人2人が私の家に遊びに来たら、私はどういう自分でテーブルに座り、コーヒーを飲み、何をどんな風に話すのか上手くイメージ出来ない。それまで関わる相手によって自分が変化してしまう事に、ぼんやり罪悪感を感じていたけれど、対人関係ごとに複数の性格、「分人」が生まれることは自然で、そのうちのどれか1つだけが自分な訳ではなく、その全てが本当の自分である。だから例に戻って、中学時代からの友人と社会人になってからの友人と私の3人で集まる機会があったら、私は自分の中に新たな「分人」を発見することになるのかもしれない。

私が東京で歌い始めて圧倒されたことは、いくつかあるけれど、そのうちの1つが出会いの多さだ。たくさんの人に出会うことで、たくさんの自分に出会う。引き合い、暴かれ、晒され、磨かれていく。音楽は、私にとってその過程全部を含んだものだ。提供していただいた曲を歌う時、どなたかの曲をカバーさせていただく時、近頃背中にすーっと風を感じる。

描かれた情景の中に立っている人物が抱えている心情を一体私はどう歌おう。この曲を歌うのが、どうしても私でなくちゃいけない理由。それを作るのか、探すのか、深めるのか、辿り着こうとするのか。方法はきっと人それぞれだけど。歌を歌って生きていくことの奥深さと厳しさに、やられっぱなしで、悔しい。ぐっと奥歯を噛みしめる。

人との関わり合いの中で、私が自分の中の新しい「分人」を発見する時も、そこには必ず物語がある。傷付けたり、傷付けられたり、やっぱり手を取り合ったりしてやっと発掘される「自分」。この曲を歌うのが私じゃないと駄目な理由。真に音楽に命を吹き込むということは、その物語を私が音楽とやり切ることでしか生まれないんだと思う。途方に暮れる。だけどそれでも、今日も歌ってしまう。

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