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【京都俳句めぐり】青もみじ&花手水彩る境内☆夏を伝える松尾芭蕉弟子の句碑「真如堂」

  • 2022.5.26
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汁物大好きな三杯目 J Soup Brothersです!FU~FU~☆彡今回は左京区吉田山の麓にあるお寺。境内は青もみじや花手水で彩られ、ちょうど今の季節にふさわしい俳句を詠んだ石碑があります。

秋は紅葉、夏は青もみじの名所・真如堂を俳句で詠む

最近俳句にハマっていて、京都にある俳句にまつわるスポットを巡っているライターの三杯目 J Soup Brothersです!FU~FU~☆彡若干、推しが強すぎて巷では食傷気味の方も多いかもしれませんが(汗)今回もまた懲りずに俳句めぐり連投です。

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左京区、標高105mの吉田山の南に位置する開放的な境内が魅力の寺院『真如堂』。正式名称『真正極楽寺』。平安中期の永観2年(984)、僧・戒算上人が開創した、比叡山延暦寺を本山とする天台宗のお寺。

秋は紅葉の名所として知られるお寺ですが、今の時期なら青もみじの名所として全国的にも知られ、JR東海『そうだ京都、行こう。』でもお馴染み。この日は休日の朝。新緑シャワーを浴びるとともに、境内に俳句を詠んだ句碑があると聞きやってきました。

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参道には濃く淡く青もみじが旺盛にせり出しています。新緑というより、夏だからもう万緑ですね。

元々神楽岡東に創建されましたが応仁の乱で焼失。その後、将軍足利義昭の命により、新しい寺地を一条通北(現存の元真如堂町)と定め移転。さらに豊臣秀吉の政権下、聚楽第建設のため京極今出川(現石薬師御門場所)に移転。さらに本堂が焼失し再建されるも、元禄6年(1693)、東山天皇の命によってふたたび現在地の神楽岡に移転。流転の歴史をたどっています。

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文化14年(1817)に再建された三重塔。この周囲にもモミジが配置され、三重塔に清々しい緑を添えています。

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花手水には、少しだけ開花を始めた紫陽花と鮮やかな桜空木が飾られて、水中には青もみじ。手水舎の額縁の雄々しい青もみじは水面にも映ります。

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本堂。
度々の戦火で焼失し、享保2年(1717年)に再建。市内の天台宗寺院の本堂としては最大級。ご本尊である、阿弥陀如来立像が安置。

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本堂周囲の青もみじの風景は木漏れ日と相まって、とりわけ涼やかな風景。ここを通るだけで、心が洗われるような、浄化されるような、そんな緑のシャワーが降り注いでいる雰囲気。

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そんな境内の茶所脇にある句碑。真如堂へはしょっちゅう訪問していましたが、俳句に興味を持つようになって初めてこんな句碑があることに気づきました(笑)

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『涼しさの野山に満つる念仏かな』

江戸時代の俳人・松尾芭蕉の弟子であった向井去来の詠んだ俳句になります。向井去来といえば、嵐山・嵯峨野エリアにある別荘跡『落柿舎』に住んでいたことでも知られ、蕉門十哲の一人。その去来が元禄7年(1694)に真如堂で行われた信濃・善光寺如来の出張御開帳法要に参列した時の様子を詠んだ句。

季語『涼し』で季節は夏。その時如来を一目拝みたいと多くの人であふれていたようですが、暑い夏にもかかわらず、お念仏の響きがこの吉田山に満ちて涼やかであった、という句。その涼やかな雰囲気は、この青もみじの境内からも感じ取れます。

出張御開帳法要は善光寺本堂再建の資金勧募のために行われ、真如堂もこの前年からこの地へ復帰再建を進めている最中でした。信濃・善光寺の阿弥陀如来、京都嵯峨・清凉寺、真如堂の阿弥陀如来は『日本三如来』とも言われ、そんなつながりも感じさせる句。

ちょうどこの俳句と相まった季節に、青もみじの涼やかさを感じてみてはいかがですか?

詳細情報

名称:真如堂(真正極楽寺)
場所:京都市左京区浄土寺真如町82
電話番号:075-771-0915
拝観時間:9:00~16:00
関連URL:https://shin-nyo-do.jp/

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