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「かつては子どもに優しい国だった」世界中を旅したイギリス人旅行家が驚いた、日本人の子育て

  • 2022.5.22
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「私は、これほど子どもをかわいがる人々を見たことがない」。世界中を旅した19世紀のイギリス人旅行作家、イザベラ・バードがそう記している。彼女が見た日本人の子育て風景とは——。

※本稿は、中村桂子『老いを愛づる 生命誌からのメッセージ』(中央公論新社)の一部を再編集したものです。

川沿いの土手を散歩する親子
※写真はイメージです
世界的な旅行作家「イザベラ・バード」

「私は、これほど自分の子どもをかわいがる人々を見たことがない」――イザベラ・バード

イザベラ・バードという名前をどこかで聞いたことがおありでしょうか。と言っても、活躍中の女優さんでも小説家でもありません。昔の人です。

今から140年も前の1880年に『日本奥地紀行』という本を出版したイギリス女性なのです。子どもの頃は病弱でほとんど家から出ずに暮らしていたのですが、ある時お医者さまから「転地療養をしなさい」と勧められました。そこで、20代半ばから旅を始めたのだそうです。本来好奇心が強かったのでしょう。

旅を始めてみたら、未知の世界への関心が生まれました。まずアメリカとカナダを旅し、41歳の時にはオーストラリアにも行っています。今と違って海外へ出かけるには長時間かけての船旅をしなければなりませんし、とくに女性の一人旅など珍しい時代です。

訪れた先々でのその地の人々の生活に目を向け、見聞きを記した旅行記で名が知られるようになりました。そこで、ますます旅が面白くなり、辺境の地にも目が向くようになっていきます。

人間ってどこでどう変わるかわかりませんね。病弱で一日中ソファで寝たり起きたりしていた人が、ちょっとしたきっかけで、誰も行かないようなところへ行ってみようという旅人になるのですから。私にできるはずがないなどと思わずに、何でもやってみることが大切なのですね。

ヨーロッパ人から見た「日本」

旅を続けていたイザベラがある時関心を持ったのが、日本でした。実は1862年に開かれた第二回ロンドン万国博覧会で駐日英国公使が収集した版画、漆器、刀剣など日本独自の趣を持つ美術品が展示されました。今私たちが見ても蒔絵まきえの漆器などほれぼれするものがたくさんありますから、ヨーロッパの美術品とは異なる美しさが評判を呼んだのは当然でしょう。当時のヨーロッパの人にとって日本は遠い国です。

東の端っこの方にある小さな国だから大したことはなかろうと思っていた日本が、どうも高い文化を持っているらしいということがロンドン万博によって認識されたのです。そんな評判で少しずつ日本を訪れる人が出てきて、富士山や日光や京都などをすばらしく美しいと伝えるようになり、ヨーロッパでの日本への関心が高まっていきました。そこで、旅行家イザベラとしてはどうしても日本に行ってみたくなったのでしょう。

イザベラが驚いた日本人の日常

1878年、46歳のイザベラは横浜に上陸し、そこで伊藤鶴吉という通訳兼案内人を雇い北へ向かいました。まず3カ月かけて北日本の日光、会津、新潟、東北、北海道南部まで、馬や人力車を使って旅をします。その後西日本も歩いています。その頃の社会を考えると、外国の女性の一人旅は大変だったでしょう。事実、『日本奥地紀行』には、蚊や蚤に悩まされたり、皮膚病の蔓延を気にしたりする様子が書かれています。でも、日本社会はおそらく初めて接したであろう異国の女性に大らかに対応したようですし、一方彼女は日本人の日常をよく観察しています。

最初に引用した言葉は、日光で出会った親子の様子を描いたものです。

「私は、これほど自分の子どもをかわいがる人々を見たことがない。子どもを抱いたり、背負ったり、歩くときには手をとり、子どもの遊戯をじっと見ていたり、参加したり、いつも新しい玩具をくれてやり、遠足や祭りに連れて行き、子どもがいないといつもつまらなそうである」(高梨健吉訳、平凡社東洋文庫、一九七三年)

旅行の準備
※写真はイメージです
父親も子どもの世話をしていた

ここで描き出されているのは、母親だけではありません。「父も母も自分の子に誇りを持っている」とあって、お父さんが優しく子どもを抱いている様子が書かれています。さらに、「他人の子どもにもそれなりの愛情と注意を注ぐ」ともあります。

今の社会ではお父さんは会社人間というイメージが定着しているものですから、私自身江戸から明治へと移る頃の日本のお父さんについても子どもたちの世話をしている姿を思い浮かべることはありませんでした。実は子どもとよく接していたのだと外国女性に教えられた気持ちです。日常のことなので知っているつもりで知らなかったということはよくあります。気をつけなくては。

好転してきた日本の育児環境

私が実際に知っている昭和以降の社会では、最近になってやっと子どもは母親だけが育てるものではないという意識が持たれるようになってきたように思います。保険会社が、ゼロ歳から6歳の子どもがいる人を対象にして行った「育休についての調査」(2021年)を見ると、育休を体験した男性の半分が「子育ての大変さが分かった」と答えているとあります。私が若い頃は男性の育休など思いもよらないこと、いやそもそも女性が外で働くことをよしとしない男性が主流だったのですから、世の中よい方に変わってきたなあと思います。

まじめな育児に疲弊する母親

子どもの世話は、確かに大変と言えば大変です。実は私の一番の幸せは、ぐっすり眠ることなのです。逆に言えば、一番辛いのは眠りたい時に眠らせてもらえないこと……。

中村桂子『老いを愛づる 生命誌からのメッセージ』(中央公論新社)
中村桂子『老いを愛づる 生命誌からのメッセージ』(中央公論新社)

ですから、赤ちゃんの夜泣きは本当に辛かったですね。当時は、アメリカから「科学的育児」が導入されて、授乳は3時間おきにしましょうと先生に言われ、しかも抱っこしすぎると甘えた子どもになり自立心が育たないので、できるだけ抱かないようにとの御指示です。

何しろ新米ですから、先生のおっしゃることは守らなければならないと真剣です。夜中に起きてミルクを飲ませ(当時は、母乳でなく成分がはっきりわかっているミルクを飲ませなさいと言われたのです)、それだけでも辛いのに、そのうえ夜泣きをされたらこちらが泣きたくなります。本当は可愛いとわかっていながら、あまり続くとどこかへ放り出したくもなってきます。

虐待を食い止める社会のつながり

子どもへの虐待という話を聞くと、そんなとんでもないことしないでと思う一方、私も心の奥では、眠くて仕方がないのにいつまで泣いてるのといらいらしたことがあったのを思い出します。ここで自制心がはずれたら、本当に放り出したのだろうなと思います。そんな小さなきっかけで、虐待にまで行ってしまうこともあるのかもしれないと想像すると、ちょっと恐いです。虐待をする親は、自分が小さい頃にひどい目に遭わされた体験がある場合が多いと聞きます。でも、人間には虐待する人としない人の二種類があるわけではないと私には思えます。誰もが持つ迷いを解決できるような状況をつくることが大切なのであり、子どもを育てている時の大変さを周囲が理解し、できるなら手を貸せるような社会にしなければいけないでしょう。

子どもとのかけがえのない時間

子どもとの時間は本来楽しいもののはずなのに、子育ては大変というところばかり強調してしまうのもよくないのではないでしょうか。先にあげた育休をとったお父さんが「子育ての大変さが分かった」と言っているのは大事なことですけれど、子どもと一緒にいる楽しさもわかったに違いありません。

事実、ほんの少しですが、「子どもがなついて、子育ての時間が楽しくなった」という答えもありました。アンケートとなるとどうしても「子育ての苦労」を浮き彫りにしますけれど、子育ての本質は楽しさのはずであり、本当はそれを皆でニコニコしながら話し合っている社会がいいなと思うのです。

ここでふと思い出しました。私が子どもの頃、父が会社の帰りにお土産にお菓子を買ってきてくれるのが嬉しかったなあとか、日曜日には一緒にレコードをかけて音楽を楽しんだなあとか。育児というと食事やおむつ替えなどを思い浮かべますが、楽しみ係も大事でしょう。キャッチボールやサッカーなどお父さんも大切な係をやっていますね。

人間は、“みんなで”育てるように産まれてくる

人間は脳が大きくなったので、それが完成してからでは母親の産道が通れません。ですから早めに生まれます。しかも、脳を守るために脂肪をたっぷりつけて生まれますので、早産なのに体重は3キロもあり、ゴリラやチンパンジーなど他の霊長類の赤ちゃんに比べたら重いのです。ちなみにゴリラはお母さんは100キロもあるのに、赤ちゃんは人間より小さい1.8~2キロくらいで生まれてきます。人間の場合、お母さんがずっと抱き続けているには重すぎるので、離して寝かせておくことになりますし、しかも自分で歩けるまでには1年以上もかかるのです。

ですから、人間の赤ちゃんはお母さんだけでなく、周囲の皆が面倒を見る共同保育をするように生まれるのだといえます。一人で寝かされていますから、泣いて自分の存在を知らせ、誰かに助けてもらおうとしますし、抱き上げてくれた人に向かってはニコリと微笑むのです。脳が大きいという人間の人間らしさを示すための最も大きな特徴は、皆で育てることとセットになっているのです。

子育てにおける年寄りの役割

そこで年寄りの役割が大切なものとして浮かび上がります。「おばあさん仮説」という言葉をお聞きになったことがおありでしょうか。生きものは子孫を残すことが大切なのだとしたら、閉経後の女性は不要ということになりそうですが、そうではないという考え方です。経験豊富な年寄りが子育てを引き受けることが、次の赤ちゃん誕生につながり(ゴリラやチンパンジーに年子はいません)、そこで人類は単に継続するだけでなく繁栄の道を歩いてきたというわけです。

共同保育とそこでの年寄りの役割が基本にあることを忘れずに、虐待社会はなしにしなければいけません。進んで手を貸しましょう。もっとも、今は、私たち年寄りにもやりたいことがたくさんありますから、ゴルフや俳句も、仲間とのおしゃべりも楽しみながら、孫たちが元気に育つお手伝いもしていくのが、人間としての生き方でしょう。

言い方は少々大げさになりましたが、私たち人間が生きものであることを忘れずに、次世代、さらには次の世代へと幸せが続くよう、お手伝いしていきましょう。

中村 桂子(なかむら・けいこ)
JT生命誌研究館名誉館長
1936年東京生まれ。理学博士。東京大学大学院理学系研究科生物化学専攻修了。国立予防衛生研究所をへて、71年三菱化成生命科学研究所に入り、日本における「生命科学」創出に関わる。しだいに生物を分子の機械ととらえ、その構造と機能の解明に終始することになった生命科学に疑問をもち、独自の「生命誌」を構想。93年「JT生命誌研究館」設立に携わる。早稲田大学教授、大阪大学連携大学院教授などを歴任。

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