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野口英世の功績は間違いだったという事実…それでも世界で尊敬される理由

  • 2022.5.21
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「結果が出なくても努力することに意味がある」、野口英世の人生を知るとそういうふうに思えるかもしれません。彼は功績の多くが後に否定されますが、現在でも偉大な人物として世界中で愛されています。

5月21日は野口英世が亡くなった日です。今日は野口英世の人生と、2024年から新千円紙幣の肖像に採用される北里柴三郎について学びましょう。

紙幣にもなった野口英世の偉業

野口英世は1876年、福島県に生まれます。幼少期に左手に大やけどを負い手指が癒着してしまいますが、手術で不自由ながらも動かせるようになったことに感激し医師を目指したとされています。

1911年、野口英世は「梅毒スピロヘータの純培養に成功」と発表したことから世界的に名を知られるようになりました。1914年と1915年にはノーベル医学賞の候補にも選ばれます。

野口英世のエピソードで最も有名なものは黄熱病の研究でしょう。1918年にエクアドルへ渡り、現地での研究を基にワクチンが作られました。この集団接種によって南米の黄熱病は収束したとされ、野口英世の名がさらに世界中に知られるようになります。このとき3度目のノーベル医学賞の候補に挙がりました。

野口英世は主に海外で研究を続け、他にもポリオや狂犬病などさまざまな病原体の特定を発表します。最後にはガーナで黄熱病にかかり亡くなってしまいますが、その功績は現在でも色あせていません。

結果が間違っていても現在まで愛される努力の人

野口英世が多くの病原体の発見を報告できたのは不断の努力があったためだと考えられています。

野口英世が研究者となった当時、発見されやすい病原体の多くはすでに発見されていました。残っているものは発見が難しいものばかりでしたが、野口英世は「実験マシーン」と呼ばれるほどあらゆる実験を行いさまざまな病原体の発見を報告します。

しかし現在、これらの発見の多くは認められていません。野口英世の代表的な研究対象だった黄熱病はウイルスが原因で起こりますが、ウイルスは一般的に非常に小さく、当時は観察できる顕微鏡がありませんでした。つまり野口英世が黄熱病の病原体を発見することはできないのです。同じく野口英世が発表したポリオや狂犬病も現在ではウイルスによって引き起こされると知られています。

結果的に成果の多くは間違いでしたが、野口英世は現在でも多くの人に愛されています。黄熱病の研究を行ったエクアドルでは生誕100周年にあたる1976年に記念式典が行われ、記念切手も発行されました。近年では2019年にメキシコで来墨100周年記念式典が開催されています。

野口英世の名を冠した施設も少なくなく、エクアドルには「野口英世小学校」が、ガーナには「野口記念医学研究所」も設立されました。野口英世がいかに愛されているか分かりますね。

野口英世はアメリカに埋葬され、墓には「科学への献身により、人類のために生き、人類のために死んだ」と刻まれています。研究成果は評価されませんでしたが、医学のために努力を絶やさなかった姿勢が今日まで慕われる理由かもしれません。

新千円札の北里柴三郎はどんな人?

野口英世は2004年から千円紙幣の肖像に採用されていますが、2024年からは北里柴三郎にデザインが変更される予定です。

北里柴三郎は野口英世の師匠にあたる人です。1898年に北里柴三郎が所長を務める研究所に野口英世が入所しました。1900年に野口英世がアメリカへ渡った後も論文をやりとりするなど師弟関係は続きます。

北里柴三郎は1889年、世界で初めて破傷風菌の純粋培養に成功し、さらに血清療法という破傷風の画期的な治療法を開発した人物です。血清療法は現在でも破傷風の治療に用いられています。

1894年には日清戦争直前の香港でペスト菌を発見し、1899年にペストが日本に上陸した際は治療とねずみの駆除(ペストの発生源と考えられている)を徹底的に行いました。ペストは現在でもアジアやアフリカなどで発生していますが、日本で根絶されているのは北里柴三郎の功績が大きいといわれています。

北里柴三郎のエピソードは「脚気(かっけ)菌論争」が有名でしょう。脚気とはビタミン不足で起こる疾患で、白米食が進んだ江戸時代に流行したことから「江戸わずらい」とも呼ばれていました。日清戦争では約4000人、日露戦争では約3万人の病死者が出ますが、その多くは脚気だったと考えられています。

当時の日本に医学研究施設は東京大学しかなく、そこでは脚気は細菌によって引き起こされるという説が支持されていました。北里柴三郎の師匠にあたる人物も「脚気菌」の発見を発表しています。

しかし、北里柴三郎は実験を行い「脚気菌」とされる菌と脚気は無関係であると発表しました。師の主張を弟子が否定したのですから、北里柴三郎は「忘恩の徒」とのそしりを受けてしまいます。北里柴三郎は師匠であっても忖度しない、学問に忠実な研究者だったようです。新紙幣の発行まで時間はありますが、もし手にすることがあればこのエピソードを思い出してみてください。

出所:北海道立衛生研究所 北里柴三郎と森鷗外とノーベル賞と

執筆/若山卓也(わかやまFPサービス)

証券会社で個人向け営業を経験し、その後ファイナンシャルプランナーとして独立。金融商品仲介業(IFA)および保険募集人に登録し、金融商品の販売も行う。2017年から金融系ライターとして活動。AFP、証券外務員一種、プライベートバンキング・コーディネーター。

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