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「昨日できたことができなくなる日がくる…」生命科学の第一人者が考える人生を味わい尽くす歳のとり方

  • 2022.5.21
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老いとどう向き合っていけばいいのか。JT生命誌研究館名誉館長の中村桂子さんは「それぞれの年齢の自分は一度しか味わえないのですから、その時を楽しむ方が人生を充分味わったことになるのではないか」という——。

※本稿は、中村桂子『老いを愛づる 生命誌からのメッセージ』(中央公論新社)の一部を再編集したものです。

JT生命誌研究館名誉館長の中村桂子さん
縄文時代の労働時間は「週に15時間」ほど

どんな時にどんな所で生まれるかは、自分では選べません。私はこんな時代に生きたんだというしかありません。ただ、歴史や社会を勉強していくうちに、私はよい時によい場所で生まれたと言っていいのではないかな、運がよかったなと思うようになりました。

もし日本で生まれたとしても他の時代だったらどうでしょう。縄文時代に生まれたらどうだったでしょう。最近の研究によって縄文時代、つまり狩猟採集時代は今想像するよりよい時代だったということがわかってき始めました。現在、アフリカで狩猟採集をして暮らしている人々の調査からもなんだか羨ましい生活が見えてきています。衣食住の基本が得られればよく、それはどれも周囲の自然から手に入れているので、そのために必要な労働時間は週に15時間ほどで後は自由だというのですから。必要なときに必要なものが必要な量だけあることに誰もが満足し、争いごとはせず、皆が対等で周囲の人との関係を大切にしていることもわかってきました。

今の日本に生まれてよかったと思える

縄文土器など、とても芸術的なものもたくさんありますから、身近な道具や身につけるものをていねいに作ることを楽しんでいたのだろうなと想像できます。私はこういう生活が大好きなので、縄文時代の方がよかったかなあと思いもするのですが、実は私は小学校の頃からひどい近視でした。眼鏡なしでは暮らせません。縄文時代には眼鏡はなかったでしょうから、生きることが難しかったに違いありません。眼鏡があり、そのうえコンタクトレンズまで開発されて便利になった今は、やっぱりありがたいなと思います。平安時代のお姫様だったらよいかもしれないと思いつくやすぐに、それも窮屈かしらと思い返します。こうして、さまざまな時代を考えたり、世界各地をイメージしたりしたうえで、今の日本に生まれてよかったと思っています。

社会全体が貧しい時代に感じたこと

私が生きた時代の中で、誰もが影響を受けた大きな出来事と言えば、まず太平洋戦争の敗戦です。小学校4年生の時でした。少し年上の人たちは、男性の場合戦地で戦ったわけですし、女性も銃後を守れと言われ、自分を犠牲にして暮らしていました。母は、愚痴を言わない前向きの人でしたが、「もしもう一度戦争が起きたら、もう嫌、死んだ方がましよ」と言うのを聞いてどきりとしたことを思い出します。子どもには辛いところをなるべく見せないようにしてくれていましたが、箪笥たんすの中の着物が次々お米に換わっていったのは覚えています。

着物の手入れをする人の手元
※写真はイメージです

中学生の頃までは、社会全体が貧しい時代でした。食べ物も、グルメなどという言葉はなく、いわゆる普通の家庭料理を楽しめることが幸せだったのです。ぜいたくなものであったはずはありませんが、母のつくってくれるカレーライスやコロッケの味は、今もとても美味しかった記憶として残っています。子どもの頃、今日はコロッケという日はお肉屋さんへ行くのが私の役目でした。当時は目の前でミンチをつくってくれます。お肉屋のおじさんも今日の我が家の献立をお見通しで、ニコニコしながら竹の皮に包んだ挽肉を渡してくれます。東京の街も和やかな人間味のある場でした。しかも、これからは平和で、皆で豊かなよい社会をつくっていけるのだという明るい気持ちでしたから、やはりよい時代だったと思うのです。

物が豊富=幸せとは限らない

高校、大学と進むにつれて少しずつ豊かになり、これはすばらしいと喜んでいましたが、その後、物が豊富になれば皆が幸せな社会になるというわけではないことがわかり悩むことになりました。細かいことはとばしますが、なんでも競争になって、勝つことだけが高く評価され、しかもそこで幅を利かせるのがお金という社会になってきたのですから、私にはまったく合わない時代への変化です。そろそろ次の世代に社会を渡そうとする頃になって、こんな社会をつくりたくて生きてきたんじゃないのにという状態になってしまい、今とても悩んでいます。

悩みを解決してくれる、同じ時代を生きた仲間

そんな悩みをわかってくれるのは、やはり同じ時代を生きてきた仲間です。ですから最近はクラス会に出席して、さまざまな生き方をしている昔の仲間と若い頃抱いていた夢の話をしたり、今思うことを語り合ったりして、若い人たちに自信を持って渡せる社会にするために自分のできることを探していこうとしています。

中村桂子『老いを愛づる 生命誌からのメッセージ』(中央公論新社)
中村桂子『老いを愛づる 生命誌からのメッセージ』(中央公論新社)

中島みゆきさんが好きなので、『時代』はよく歌います。ピアノの先生にお願いして弾き語りも楽しみました。

どんな「時代」に生きても「そんな時代もあった」と思える、大変な時は誰にもありますよね。「だから今日はくよくよしないで 今日の風に吹かれましょう」というのは、私だけの小さな悩みで困っている時にも、今の社会はダメだなどと大きなことを考えている時にも共通する大事な気持ちです。

くよくよしても仕方がない。私の中になんとかよいところを探してごらんと言われれば、いつまでもくよくよせずに忘れるのが上手なところかなと思います。

そんな気持ちで、同じ時代を生きた仲間と共通の価値観の中で大事なことを見つけ、次の世代のために何かをするのが、年齢を重ねた者の役割ではないでしょうか。

それぞれの年齢の自分を楽しむ

生きていく中で、年をとるということほどはっきり決まっているものはありません。一年経ったら必ず年齢は一つ増えています。どんなにお金を積んでもこればっかりは止められません。

私は生きものの研究をしているものですから、生きものはいつだって先がどうなるかがわからないものだと思わされることが多く、事実毎日の暮らしでもそう感じることが少なくありません。

その中で、年齢だけははっきりしているわけですが、困ったことに、これが実生活の中ではあまり嬉しくないものになっています。赤ちゃんのように成長している時は先が楽しみですけれど、ある時を過ぎてからは、昨日までできていたことができなくなるなどということが起きて、老化に向き合わなければならないからです。そこで、なんとかこれに抗おうとして、いわゆるアンチエイジングの努力をすることになる。これがよく見られる流れです。でも考えてみると、50歳代、60歳代、70歳代……とそれぞれの年齢の自分は一度しか味わえないのですから、その時を楽しむ方が人生を充分味わったことになるのではないかしら。そんな風に考えています。

中村 桂子(なかむら・けいこ)
JT生命誌研究館名誉館長
1936年東京生まれ。理学博士。東京大学大学院理学系研究科生物化学専攻修了。国立予防衛生研究所をへて、71年三菱化成生命科学研究所に入り、日本における「生命科学」創出に関わる。しだいに生物を分子の機械ととらえ、その構造と機能の解明に終始することになった生命科学に疑問をもち、独自の「生命誌」を構想。93年「JT生命誌研究館」設立に携わる。早稲田大学教授、大阪大学連携大学院教授などを歴任。

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