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社会から押し付けられる価値観に「No,Thank You」と言うために必要なこと

  • 2022.5.20
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「昨日、本気で脂肪吸引を考えちゃった」

小学校低学年の長男と二歳児の次男を連れ、私の車に慌ただしく乗り込んだ彼女は、晴天の日曜の朝に似合わない、大きなため息と共にそんな言葉を吐き出しました。大学時代から仲良しの彼女とは、年を越えてずっとお互いの変化を見届ける赤裸々な関係でいられている。飲んで遊んで、一緒に旅をした自由な時代もあったけど、最近では子ども達を公園へ連れていく週末の朝、車の中でバックミラー越しに会話することがルーティンになっています。

「めいはきっとそんなこと考えたことすらないだろうけど、〇〇と〇〇と会った帰り道、ふとそんなことを本気で考えている自分に気がついちゃった。私だって普段は脂肪吸引なんて考えたりしないけど、昨日はみんな子どもを産んで体形が変わったこととか、なかなか戻らないことを延々と話してばかりでさ。こんなに疲れていなければ、みんなの意見に影響を受けないはずだったとも、頭ではわかっているんだけどね」

わかる。

わかるとしか言いようがない。旦那さんは単身赴任で、自分もフルタイムで働いているワンオペ。寝不足はもちろんのこと、自分の時間がなかなか作れないストレスも募る。荒波に流されるように過ぎる日々のライフスタイルの中で、人間なら誰だって弱くなる時もあるでしょう。私だって、それはとてもよくわかるのです。

けれど、彼女が本気で脂肪吸引を考えたということ以上に「自分のコンディションさえ良ければ、それほどまで影響を受けなかったはず」と話したことが、私にとって印象的だったのです。

それって、脂肪吸引を検討する以前の問題ではないかと思うのです。私は、個人的には脂肪吸引や美容整形を選ぶことに反対している訳でも、賛成している訳でもありません。ただ、自分が本当はどうしたいのかを問う前に、どういう気分の時にその決断に至っているか、ということがポイントなのです。また、それ次第で自分以外の意見に大きく左右されているという点が気になります。

疲れていたり、落ち込んでいる時はメンタルからネガティブに陥りやすく、発想や思考力自体が負のスパイラルにハマりやすい。「弱っているな」と自覚することはあっても、「私、今弱っている時だから大きな決断はしない方がいい」と見極められている人はどのくらいいるのでしょうか? 自分のコンディション次第で他の意見に無防備になったり、多感に反応してしまうことまでわかっているなら、次に自分にできることはダメージ・コントロール。つまり、事態が悪化しないようにせきとめ、「今は決めない」と決めることが大事なのではないかと思うのです。

容姿については特に外野からのノイズが激しく、絶えない世界に私達は生きています。街中の看板やメディアなど、選んでいなくても垂れ流されて接する情報は、「痩せていないと美しくない」「男性に好かれない」「女性はキレイでいないといけない」などといったカルチャーの概念に染まっています。その多くはいつから始まったのかを覚えていないくらい、幼い頃から囲まれてきた、今の社会の価値観です。そして、それは代々受け継がれているものでもあり、自分に最も近い親や家族の口から出てくるメッセージを窮屈に、圧を受けるように感じてきた人も少なくないと思います。しかもそれはただ痩せていればいいというわけでもなく、痩せていたら胸が小さいとか、身長が高すぎるとか、顔が大きいとか……。とにかく私達を取り巻く美の批判はキリがなく、 そのプレッシャーから免れる人は一人もいないと思います。

欧米では、ボディ・シェイミングと言って、人の容姿について軽率なコメントや軽蔑的なことを言う行為を認めない、許さないという考えがムーブメントになっています。もっとも、そんなことがムーブメントにならないといけないほど、これまでの時代は久しぶりに会った友人に「太ったね」と言ってしまうようなファット・シェイミング(肥満であることを馬鹿にする行為)などが割と普通に行われていました。言う方にとっては悪気のない些細なひと言であったとしても、受け取った本人にとっては深刻な悩みであることも少なくなく、容姿のジャッジは人の自尊心を傷つける行為として、認知を広め意識を高めていく必要があります。

女性だけではないけれど、女性がターゲットになることが多い、ボディ・シェイミング。他の誰かに定められた美の基準に自分をはめ込もうとして、窮屈さに悲鳴をあげているのははみ出る脂肪以上に、命に対する無礼さに嘆いている精神の方。私にはそう感じられるのです。

最新のジェンダーギャップ指数で156ヵ国中120位。先進国の中では圧倒的な男尊女卑が問題だと注目を浴びる日本では、それだけカルチャーの考えに染まったジェンダー・ロール(性別による役割)のギャップが大きいこともポイントになってくるでしょう。女性の役割は、可愛く、綺麗であって、三歩下がって歩くこと。出しゃばらずに健気でいて、ビールを注いで、パートナーの分までカニの殻を剥いてあげること。昭和時代のノーマルから平成での変化を遂げ、さすがに令和ではカニの殻を剥く役割は変わりつつあるだろうけど、びっくりするほどその他の基準は付きまとっているのではないでしょうか。

何年もかかったのですが、私はある時に気づいたのです。そんな社会の基準や役割、枠組みの中で、自分の心が「身の危険」を感じていた、と。「出る杭は打たれる」と言う通り、私は自分らしく生きていたら、どこかで打たれる準備をせずにはいられなかったように思います。もちろん、女性でも男性であっても、食事を共にしている友人のグラスが空になったら、気づいた時に注いであげたいです。けれど、人の分までカニの殻を剥くことが私の役割だと感じたことがないことと同様に、お酌することも役割だからやっているのではありません。

私は、私らしくいて、ありのままで社会に認められると感じられなかった部分を危険やリスクとして捉えていたのですが、今思えばそれもそのはず。私自身が、自分の在り方を他の誰かの基準に合わせて生きている限り、私のありのままの姿を人に見せることも、知ってもらうこともできていなかったのですから。それでは認めてもらうことができなくて当たり前なのです。

後にわかったことは、私が「本当にありのままの姿でいて安心・安全」と感じられるのは、自分自身とアラインメント(まっすぐなつながり)が取れている時だ、ということ。自分の心とつながってさえいれば、恐いものがなくなる。逆に、冒頭の友人と同じように、疲弊している時や、自分で自分のことを大切にできていない時は、自分と自分自身との統合性が損なわれている時。心の声をよく聴き、自分自身のことを丁寧に扱うことができていると、統合性が高く、例え社会や時代の重みのある意見だったとしても、リスペクトフルに「No, Thank You」と言えるのではないかと思うのです。

自分自身とのアラインメントとは一体何なのでしょうか? 私にとってそれは、いかに自分が自分の味方でいられているか。ひと言で言ったら、自己肯定感だと思います。

体を整えたくてワークアウトする時、その原動力が自分の体と健康を愛するがゆえのワークアウトであって、容姿が嫌いでどうにかしたいというような自己に向けたヘイトから始まる行為ではないように。

美味しくてバランスのいい食事を心がける時、それは自分の中の生命を愛し尊重するから「いいものを食べたい」のであって、太ることを恐れたり、病気を恐れて強いるように規律する厳しさに基づくものではないように。

朝、目を開いて今日という日を迎え、生きることを決めて動き始める時。それは、生きづらい人生を少々マシにしようとするような生き方ではなく、今、目の前にある現実にありがとうの気持ちを持ち、今日という日を私なりにベストでいくね! という心もちで生きたいのです。

インド独立の父、マハトマ・ガンジーは、“Be the change that you wish to see in the world.” (「世の中に変化を求めるなら、あなた自身がその変化そのものになりなさい」)という言葉を残したことで有名ですが、いつか日本の社会や学校でも、メディアや広告でも「あなたはあなたのままで美しい」という考えで満ちてほしいと思うのです。

自分の子どもには毎日言っているけど、今日は勇気を出して、鏡の中の自分に対して、「あなたはあなたのままで美しい」と思うことから始めてみようと思います。

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