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バージンロード、ファーストバイト 結婚式に見え隠れする「ジェンダー問題」から自由になりたい

  • 2022.5.20
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結婚式の様々な演出に違和感を持ったことはありませんか? 「バージンロード」や「ファーストバイト」、家族への感謝の手紙は新婦だけ……。かねてジェンダーの観点から様々なモヤモヤを抱いていた筆者がこの3月、自身も結婚式を挙げました。その内容とは?両家、親族、友人らを巻き込むだけに、声をあげにくい結婚式の「慣習」について、改めて考えてみました。

結婚式の演出に違和感を持ったことはありませんか? こういうと誤解を招きそうなのですが、結婚式を挙げることや、新婦のみなさんを非難したいわけでは決してありません。ただ、結婚式でよく見られる演出に、「ジェンダーを誇張しているのではないか?」という違和感を覚えるのです。

違和感のひとつめは、「バージンロードを父と一緒に歩き、新郎に引き渡す」という演出です。そもそも「バージンロード」という表現にも疑問がわいてきますが、それはさておき、入場から祭壇までの距離と時間は、新婦の過去・現在・未来を象徴するといわれています。

新婦、もっというなら女性は、「生まれてからずっと誰かに守られているのだ」という見え方をするな、と感じます。新婦は過去は父親に守られ、そして現在から未来においては新郎にその役割が引き渡されるという意味なのでしょう。もちろん、誰にしたって幼少期はだれかに守られています。ただ、とりわけ結婚式のバージンロードには、常に誰かに守られているという女性としてのしおらしさを表現するのだ、という意図を、わたしは感じてしまうのです。ちなみに、新郎が両親のどちらかと歩くシーンを私は見たことがありません。

写真はすべて筆者提供

また、披露宴が始まると、新郎が出席者へ「ごあいさつ」に立つことはあっても、新婦が挨拶する場面はほとんど見られません。たとえ、その家の世帯主は新郎だとしても、2人の結婚式なのだから交互にあいさつしたっていいはず。

一方で、家族への手紙は新婦だけが読むことが多いですよね。新婦はそれまでの両親との「家」に分かれを告げ、新たに夫側の「家」に入ることから、新婦から両親へ「感謝と別れ」を表すという趣旨と思われます。従来からの結婚が当人同士ではなく「家制度」を前提としており、「女性は相手の家系に嫁ぐもの」ということの表れと感じます。

出席者への挨拶は新郎の役割で、感謝の手紙は新郎の役割ではない。一方挨拶は新婦の役割ではなく、感謝の手紙は新婦の役割。ここにも男性らしさ、女性らしさ、家制度といった固定観念が根底にあるように思えるのです。

家事分担の固定化を誓う!?

極めつけは、ケーキ入刀からのファーストバイト。ファーストバイトには、新郎から新婦へは「一生食べるものに困らせない」、新婦から新郎へは「一生美味しいごはんを作るね」という意味が込められているらしいです。現代では結婚後も女性も働き続けることが多く、夫婦での家事分担、そして時には外部に家事のアウトソースも必要だとされるような時代に、大勢の前で、なぜ家事分担の固定を誓わなければいけないのだろう…。

もちろん新郎新婦の2人の新しい門出を祝う気持ちはありますし、結婚式にご招待いただけることもとっても嬉しい。ただ、結婚式の中で旧来の固定観念を感じさせる演出には強い違和感を持っています。結婚式によくある演出のいくつかは、時代の変化に応じたアップデートがなされないまま、男女の役割を誇張しているのではないか?

もちろん、これらの演出が2人なりの意味や意図をもって選択したものならいいと思うのです。でも、本当にその演出は2人らしいもの、意味があるものとして選んでいるのだろうか?かねてそんな疑問を持っていました。

バージンロード、一人で歩いた

そんな私が、2022年の3月に結婚式を行いました。日常的に抱いていた違和感も手伝って、結婚式を挙げることにはポジティブな気持ちはなかったことが正直なところです。ただ、両親たっての希望もあり、結婚式は実施することになりました。

結婚式の準備は「結婚式で絶対にやりたくないこと」をプランナーさんにお伝えすることから始まりました。
バージンロードを父と歩く演出はしない。ケーキ入刀も、ファーストバイトもしない。そしてパートナーだけが挨拶する式にもしない。家族への手紙を花嫁のミッションにしない。

朝日新聞telling,(テリング)

やらならいことを決めたのは、なによりも、「しおらしい、慎み深い、女性らしさ」の枠にはめられたくないという強い思いからでした。
バージンロードは1人で歩く。挨拶の場面はできるだけ2人で一緒に、順番も交代で。家族への手紙は、2人で両方の家族へ気持ちを伝える。できるだけジェンダー的な違和感を抱かせることなく、フラットな関係性であることがわかる式にすることを心がけました。

それらの演出を選んだのは、なによりも異なる個性を持つ2人が、これからも自分らしく生きていくことをきちんと伝えたいという思いからでした。社会が求める妻や、夫という役割も大切なものだとは思います。でも、役割以上に、そういう自分が1人ではなく、2人として生きていく。そのことが私たちという家族なのだ、という気がしていました。2人がそれぞれ得意なことをやり、苦手は補って生きていく、そんな家族が私たちだと、結婚式を作る過程で強く確信しました。

まずは結婚式に見え隠れするジェンダーから自由になること、それを通じて私たちらしいパートナーシップを見つけること。これらが私たちにとっての結婚式の意味だったように思います。

コロナの影響もあり、結婚式を行わず、写真を撮るだけで済ませる「なし婚」も増えていると聞きます。いろんな選択肢があっていいですし、大きなお金のかかる結婚式の費用をほかのものに回すというのも合理的な判断だと思います。

もし、結婚式をすると決めたなら、ぜひ、2人にとって結婚式や夫婦、家族とはどんな意味をもつのか、を考える機会にするのがよいのではないでしょうか。そして、2人が考えた結婚式の意味を表現できそうな会場、プランナーさんを探す。そんな視点で会場を選ぶのもアリだと思います。時間もお金も労力もかかる結婚式。2人とってひとつひとつが意味あるものにするために、それまでの「当たり前」を改めて考えてみる、そんな流れが生まれたらいいなと思っています。

■顧 文瑜のプロフィール
1993年生まれ。中国出身、東京都在住。慶應義塾大学で美術を学んだのち、外資系エージェンシーを経て現在は博報堂キャリジョ研所属。戦略プラナー/サービスデザイナーとして、食品、トイレタリー、化粧品などの分野で、クライアントのコミュニケーション戦略や商品開発、新規事業立案に携わる。男女ともにフラットな社会を実現するため、プランニングに日々邁進。最近は筋トレとコーチングの学びにいそしむ。

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