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川上未映子「ヘヴン」はこんな作品。「ブッカー国際賞」候補作を読む。

  • 2022.4.27
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「何が善で何が悪なのか。誰が強く誰が弱いのか。」

川上未映子さんの『ヘヴン』が、英国で最も権威ある文学賞「ブッカー賞」の翻訳部門にあたる「ブッカー国際賞」の最終候補6作品に選ばれた。受賞作は5月26日に発表予定。

『ヘヴン』は、いじめを通して「善悪」や「強弱」という「価値観の根源」を問う作品で、著者初の長編小説。2009年に講談社より単行本として刊行され、2012年に文庫化された。2010年に芸術選奨文部科学大臣新人賞と紫式部文学賞をダブル受賞。2021年に英訳された。

14歳のある日、クラスメイトからのいじめに耐える僕は、差出人不明の手紙を受け取る。いじめられる者同士が育んだ密やかで無垢な関係はしかし、奇妙に変容していく。葛藤の末に選んだ世界で、僕が見たものとは。

わたしたちは仲間です

1991年4月。僕のふで箱に「わたしたちは仲間です」と書かれた紙が入っていた。それから手紙はぽつぽつと届くようになった。いやがらせではないかと思ったが、朝、学校へ来て、手紙があるかどうかをたしかめることは僕の小さな習慣になった。

5月に入ってすぐの手紙には「会いたいです」とあり、場所と日づけも書かれていた。のこのこと出かけていったら、僕をいじめるクラスメイトが待ちぶせしているかもしれない。そう思ったが無視できなかった。

約束の場所には、同じクラスのコジマがいた。コジマは背が低くて色の浅黒い、もの静かな生徒だった。家が貧乏で不潔だということで、彼女もいじめられていた。

「べつに、これっていう話はないんだけれど、色々な話をしたいなあと思って。わたしと君で。そういうのが、わたしにも君にも必要なんじゃないかって、そういうことを、ずっと思ってて」

コジマは「友達になってほしいの」と言い、僕は反射的に肯いた。それから僕とコジマは手紙をやりとりするようになり、非常階段で時々会うようになった。

君をヘヴンに連れていきたい

コジマとの手紙のやりとりは、僕の「本当にゆいいつの楽しみ」になった。夏休み前の手紙には、「じつは君を連れていきたいところがあります」「どこかというと、それはヘヴンです」と書かれていた。

夏休みの初日、僕とコジマは電車に乗った。様々な話をしながら、「言葉がなかったら、どんなふうなんだろう」と僕はなんとなく言った。

もし傷ついていたとしても、物は誰にも言うことができないから、傷つかない。でも人間には言葉がある。だから見た目に傷がつかなくても、とても傷つくと思う、ということをコジマは言った。

「......わたしたちがこのままさ、誰になにをされても誰にもなにも言わないで、このままずっと話さないで生きていくことができたら、いつかは、ほんとうの物に、なれますかね」

駅について改札を出ると、美術館があった。「ヘヴン」というのはコジマが「いちばんすきな絵」のことで、恋人たちが部屋でケーキを食べている絵なのだという。

「その恋人たちにはね、とてもつらいことがあったのよ。とても悲しいことがあったの、ものすごく。でもね、それをちゃんと乗り越えることができたふたりなんだよね。だからいまふたりは、ふたりにとって最高のしあわせのなかに住むことができているって、こういうわけなの。ふたりが乗り越えてたどりついた、なんでもないように見えるあの部屋がじつはヘヴンなの」

かならず意味があるってこと

コジマの話が思いのほか哲学的で、あれこれ切り取って紹介したくなるほどいくつも印象に残っている。

あるとき、「ねえ、神様っていると思う?」とコジマは言った。「神様みたいな存在がなければ、色々なことの意味がわたしにはわからなすぎるもの」と。

「なにもかもをぜんぶ見てくれている神様がちゃんといて、最後にはちゃんと、そういう苦しかったこととか乗り越えてきたものが、ちゃんと理解されるときが来るんじゃないかって、......そう思ってるの(中略)大事なのは、こんなふうな苦しみや悲しみにはかならず意味があるってことなのよ」

ふたりはいじめに耐えてきたが、そのうち僕に、そしてコジマに異変が生じる。「ヘヴン」の絵のように、ふたりは「ヘヴン」にたどりつけるのか。それとも――。

陰惨ないじめのシーンには憤りを覚えたが、いじめられる側といじめる側の心理など、踏み込んで書きづらいであろう部分が鋭く言語化されている。いつの間にか作品の世界に入り込んでいって、当事者になった気持ちで読み進めた。

刊行から10年以上が経過し、再注目されている本作。ここにある言葉をいま必要としている人に届いてほしい。

■川上未映子さんプロフィール

大阪府生まれ。2007年『わたくし率 イン 歯ー、または世界』で早稲田大学坪内逍遙大賞奨励賞、08年『乳と卵』で芥川賞、09年詩集『先端で、さすわ さされるわ そらええわ』で中原中也賞、10年『ヘヴン』で芸術選奨文部科学大臣新人賞および紫式部文学賞、13年詩集『水瓶』で高見順賞、『愛の夢とか』で谷崎潤一郎賞、16年『あこがれ』で渡辺淳一文学賞をそれぞれ受賞。また、短編「マリーの愛の証明」がGranta Best of Young Japanese Novelists 2016に選出。19年『夏物語』で毎日出版文化賞を受賞。本作は英米、独、伊などでベストセラーになり、世界40ヵ国以上で刊行予定。その他『すべて真夜中の恋人たち』、『春のこわいもの』、村上春樹との共著『みみずくは黄昏に飛びたつ』など、著書多数。

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