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「むしろ高所得世帯にバンバン振る舞ったほうがいい」給付型奨学金を親の年収で制限するおかしさ

  • 2022.4.27
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政府は親の年収が380万円~600万円の家庭を対象とした給付型奨学金の拡充を検討している。米国公認会計士の午堂登紀雄さんは「日本の未来のための投資なのだから、親の年収制限を設けるのはおかしい。本人の意欲と成績を基準にすべきだ」という――。

トップコインスタック上の卒業帽子
※写真はイメージです
世帯年収380万から600万円の家庭への支援を検討

私自身、高校と大学を旧日本育英会の奨学金を利用して進学しました。

卒業後はすぐに就職が決まらなかったため返済猶予制度を利用して返済を遅らせてもらいましたが、15年かけて完済しました。

奨学金のおかげで東京に出てくることができたので、奨学金には感謝しています。

そういった経緯があり、奨学金に関するニュースには敏感なのですが、政府の「教育未来創造会議」(議長=岸田首相)が5月にまとめるという提言の報道内容に強い違和感を覚えました。

学生支援機構が提供している公的な奨学金は現在、住民税非課税か年収の目安が約380万円未満の世帯が対象の給付型と、約1100万円以下の世帯が対象の貸与型があります(実際は年収ではなく所得によって決まりますが、わかりやすい目安として年収で表記しています)。

報道ではこの制度を拡充し、たとえば学費が高額になりがちな理工農学部系の学生や、子どもが3人以上の多子世帯を対象とし、世帯年収の目安が380万~600万円の家庭への支援を新設するそうです。

また、国が大学などの授業料を肩代わりし、卒業後に一定の年収を超えたら所得に応じた額を返済する「出世払い」方式も検討されているようです。

子どもの教育投資に親の所得は関係ない

これは中間層への「媚び」に感じます。

以前の記事(「児童手当無し、高校無償化も対象外」高所得者への“子育て罰ゲーム”が少子化を加速する)でも述べたことですが、将来の日本を担う子どもたちへの投資において、親の所得によって制限を設けることはナンセンスであると考えています。

未来の宝を育てる国家戦略に、親の経済力など関係ないだろうと。

そして返済不要の給付型の奨学金は、成績優秀者に限定した方がいい。

その理由は、国の奨学金の原資は国民の税金であり、ならば費用対効果がより大きいと思われる対象に絞るのが筋だと考えるからです。

むろん福祉などのように見返りを期待するものではなく費用対効果という考えがそぐわない分野もありますが、教育は国家の未来への投資ですから、リターンの見込める対象に投下すべきでしょう。

その指標となるのはやはり成績です。

ペーパーテストかAO入試かなど選抜方法が違ったとしても、現在優秀であることは、学問や探求に熱心であり今後の学習でも大きく伸びる素地があるという一定の担保になるからです。学校独自の給付型奨学金や海外の大学のスカラシップも、基本的に成績優秀な人を対象としています。

もちろん入試時点に限らず大学で一生懸命勉強して成績が上がったならば、給付対象にすればいいのです。

子ども3人・年収上限600万円という謎基準

国の未来への投資である奨学金の給付において、子ども3人で年収上限600万円などという基準を設けるのは、おかしなことです。

子が多くても少なくても、親の所得が多くても少なくても、本人が優秀で学業意欲が高いならば給付対象にすればいいし、そうでないなら一般の貸与型でいいと思います。

奨学アプリケーション
※写真はイメージです

仮にこれが未来への投資ではなく、少子化対策ということであれば、ある程度の啓蒙効果はあるとは思いますが、これだけではあまりに中途半端です。

それこそ以前紹介したハンガリーのように、4人以上産んだら生涯の所得税ゼロ、保育料ゼロ、住宅購入補助金支給、新車購入補助金支給、学費ローン返済減免など、親の所得に関係なく「子を増やせばこんなにメリットがあるよ!」という広範な政策パッケージが必要でしょう(子なし世帯や独身・高齢者から不公平だという批判が出るので、票田を失いたくない今の政治家にはできないのですが)。

学問に適性がないなら貸与型で十分

一方、親がお金を持っていようとなかろうと、勉強がそれほど得意でない(あるいはそれほど熱意がない)人にまで税金を投じるのは、投資に対するリターンが低いと考えられます。

かつての私のように(私も貸与型でした)、進学意欲はあるけれどもさほど優秀ではない(勉学に適性がない)人間には、貸与型の奨学金で十分でしょう。

昨今は奨学金の返済に苦しむ人が増えていることから奨学金悪玉論に傾きがちですが、貸与型でも利子がない第一種がありますし、利子が付く第二種であっても金利は0.268%(令和3年度)と格安で、しかも無担保で15年とか20年間も借りられるという大盤振る舞いです(連帯保証人と保証人は必要)。

事業者の私から見れば悪質な学生ローンどころか、とても優遇されている制度だと感じます。

奨学金のバラマキは“なんとなく進学者”を増やす

そもそも社会で生きる力は、高校までの学習でも十分身に着けることができます。

それ以上の高等教育は本人の自由意志に基づく選択であり、自由には責任が伴います。

その責任のひとつが、奨学金を借りて進学したなら卒業後は返済するということですから、返済に資する職を得るには、在学中の相応の努力が求められるでしょう。

そういう覚悟と強い意志があって進学するのなら問題はないと思います。

実際、ほとんどの人が完済しているのですから。

しかし今回のような奨学金のバラマキは、「とりあえず大学は出ておかないと」「周囲が進学するから自分も進学する」「就職に有利だから」「親が行けというから」といった「なんとなく進学者」を増やすように思います。

そういうなんとなくの進学では、在学中もなんとなく過ごしてしまい、何ら武器になるスキルや経験を身に付けておらず就職活動で苦労する、あるいは返済可能な収入を得られる仕事に就けない人を増やしてしまいかねません。

そう考えると、将来一定金額以上の収入に達したら返済が始まるという「出世払い方式」が有効なのか疑問です。

主婦(主夫)が配偶者控除から外れるのを避けるために、パートなどのシフト調整をして年収を抑える人がいるように、返済義務から逃れようと収入が低いままでいいや、という人が出るかもしれません。

だとしたら、借りられるだけ借りて自己破産されるようなもので、ムダ金になってしまいます。

学問だけが人間の生きる道ではない

そもそも生きていく方法は大学進学だけではなく、勉強が不得意とか学業が優秀ではなくても人生を切り拓くことはできます。

スポーツやクリエイティブ分野など、学歴や学業成績が問われない職業はたくさんあります。

学問以外のところで本人がやりたいこと、適性がある世界を探せばいい。そういう多様な仕事、多様な働き方ができる社会の方が健全でしょう。

通信制大学や専門学校の選択肢もある

奨学金を借りるのに抵抗があるなら、大学には行かず高卒で就職してもいいし起業してもいい。

即戦力となる技能が身に付く、もしくは公的資格が取得できる専門学校もあります。

大卒資格が欲しいなら安価な通信制大学もあります。入試のハードルも低くいつでも学習できますから、勉強したいという信念が本物ならこれでも大丈夫でしょう。

仮にそれで大企業に就職できなかったとしても、中小企業からスタートして実力をつければ、転職で大手有名企業に入ることは可能です(それが望ましいかどうかは別として)。

あるいは、たとえば防衛大学校や海上保安大学校、気象大学校などでは学費はタダでお給料までもらえます(こちらはある程度の学力が必要です)。

防大は将来の幹部自衛官を育成する全寮制の士官学校で、身分は国家公務員。学生生活はハードだそうで卒業後は原則任官ですが、国防に関心のある人は選択肢に入ると思います(漫画『あおざくら 防衛大学校物語』二階堂ヒカル著 参照)。

「大学を出ておかないといけない」は本当か?

いずれにしても、高学歴でも貧困に陥ったり職を失ったり、あるいは挫折して引きこもりになることもあるように、もはや大学に行きさえすれば人生が約束されるという時代ではなくなりました。

それにもかかわらず、世の中は「最低限、大学は出ておかないといけない」という固定観念に支配され過ぎている印象があります。

むろん、いわゆる難関大学と呼ばれる上位の高偏差値校に進学する人は基本的に優秀ですから、ある程度の成功や安定を手に入れやすい傾向があるのは事実です。

しかし私は、高学歴だから成功するというより「高学歴であることは、彼らの根源的な思考力の高さの副産物に過ぎない」と考えています。

「最低限、大学は出ておかないといけない」という考えのもと、学びたい内容や意欲が不明瞭なままに定員を割っているような大学、さほど勉強に熱心でなくても入れる大学、あまり勉強が得意でない人たちが通うような大学に、果たして奨学金を借りてまで進学する必要があるでしょうか。それこそ“なんとなく進学”となり、奨学金を返せずに苦しむことになりかねません。

むしろ高所得世帯にはバンバン振る舞ったほうがいい

これは親の方も同じで、「とにかく大学までは行かせないといけない」「大卒でないと良い会社に就職できない」という呪縛が子を塾や予備校やお受験に走らせ、「子育てはお金がかかる」「二人目が欲しいけど経済的に無理」などという、少子化の要因のひとつにもなっているように思います。

昭和の時代とは違い、いろんな生き方ができるにも関わらず。

そしてダメ押しが政府による「高所得者の児童手当廃止」などといった子育て世帯を軽視した政策です。

高所得者の多くは基本的に子の教育に熱心ですから、彼らにはむしろ逆にバンバン振る舞ってあげて、将来高額の納税をしてくれる優秀な二世三世を量産してもらった方が国のためにもなると思うのです。

そこで冒頭の話に戻りますが、「次世代を担う人材を育てること、優秀な人材に投資することに、親の所得は関係ない」というのが私の基本的な考えです。所得制限を設けるなら教育ではなく他の分野でやればいいと思います。

企業も国家も、最後は「人」なのですから。

午堂 登紀雄(ごどう・ときお)
米国公認会計士
1971年岡山県生まれ。中央大学経済学部卒。大学卒業後、東京都内の会計事務所にて企業の税務・会計支援業務に従事。大手流通企業のマーケティング部門を経て、世界的な戦略系経営コンサルティングファームであるアーサー・D・リトルで経営コンサルタントとして活躍。2006年、株式会社プレミアム・インベストメント&パートナーズを設立。現在は不動産投資コンサルティングを手がけるかたわら、資産運用やビジネススキルに関するセミナー、講演で活躍。『捨てるべき40の「悪い」習慣』『「いい人」をやめれば、人生はうまくいく』(ともに日本実業出版社)など著書多数。「ユアFX」の監修を務める。

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