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【『七日の王妃』の姑問題】端敬王后はどんな嫁だったのだろうか

  • 2022.4.24
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ドラマ『七日の王妃』は、パク・ミニョンが演じる端敬(タンギョン)王后がヒロインになっている。1487年に生まれた彼女が晋城大君(チンソンデグン/後の中宗〔チュンジョン〕)と結婚したのは、1499年のことだった。

そのときは12歳で、晋城大君は11歳であった。

晋城大君の父であった成宗(ソンジョン)はすでに世を去っていて、王位は異母兄の燕山君(ヨンサングン)が継いでいた。

そして、晋城大君の母は貞顕(チョンヒョン)王后であり、端敬王后は姑の貞顕王后によく仕えた。そういう意味で、端敬王后はよく出来た嫁であった。

貞顕王后は1497年に「慈順(チャスン)大妃」という尊号を受けたので、端敬王后が嫁に来たときはすでに慈順大妃と呼ばれたはずだ。

彼女は息子の晋城大君を溺愛していた。そんな愛息が燕山君にいじめられることは我慢ならなかったはずで、常に晋城大君を見守っていた。そして、息子に不都合があれば、慈順大妃は最善を尽くして物事を収めようとしていた。

端敬王后は夫と姑によく仕えた(Licensed by KBS Media Ltd. © 2017 KBS. All rights reserved ドラマ『七日の王妃』より。DVD好評リリース中・U-NEXTにて見放題配信中)
国王の実母として君臨

そういう場面を端敬王后はよく見ていた。それだけに、端敬王后は慈順大妃を見習って、夫の晋城大君が安寧に暮らせるように尽くしていた。

そんな一家の環境が激変したのが1506年だ。

悪政がひどかった燕山君は、高官たちによってクーデターを起こされて廃位となった。その直後、高官たちが次の国王に推挙したのが晋城大君だった。

しかし、慈順大妃は大反対した。

「息子には激務の国王が務まらない」

そう強く主張して高官たちの要請を拒んだ。それは、晋城大君も同じ気持ちだった。「兄を廃位させて自分が国王になったら後世で何を言われるかわからない」と考え、晋城大君は悪評を受けることを極度に恐れた。

しかし、高官たちが引き下がらなかった。執拗に晋城大君の即位を願い出て、ついに慈順大妃と晋城大君は承諾せざるをえなくなった。

それによって、端敬王后の運命もすっかり変わってしまったのだが……。

それからの慈順大妃は国王の実母として君臨した後、1530年に68歳で世を去った。

文=康 熙奉(カン・ヒボン)

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