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「仕事があるうちは、働かねば」97歳現役看護師が辞めたいという若者に伝えていること

  • 2022.4.19
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10代で看護師になった池田きぬさんは、80年間看護師として働き続けている。親の介護が重なったときも辞めずに働き続けた。そんな池田さんが今、「辞めたい」という後輩にかける言葉とは――。

※本稿は、池田きぬ『死ぬまで、働く。』(すばる舎)の一部を再編集したものです。

仕事をする限り、きちんとやる

若い人たちの仕事は、手際がいいですね。見ていて、とても気持ちがいいし、元気をもらえます。

私もみなさんのようにキビキビ動けたらいいですが、なかなかそうもいかない。でも、年寄りだからと甘えてはあかんですね。年齢を言い訳にしたらいけない。仕事をする限りはきちんとやりきらないと。

「年をとっているからあかんな」と思われても、しゃくやし(笑)。

社長さんは、年齢関係なしに仕事に対してお給料をくださるので、みなさんと同じ時給をいただいています。だからこそ、「しっかり働かないと」という気持ちもあります。

入居者さんの様子はこまめにメモに記録する。
現在勤務するサービス付き高齢者向け住宅で。入居者さんの様子はこまめにメモに記録する。

若い人のようなスピードを出せないのは、しかたがない。自分のペースでさせてもらっていますが、心がけているのは「ミスをしない」こと。

どの入居者さんにどんな看護をするか、取りこぼしがないように、細かくチェックしています。看護が終わった後も、体温や血圧などバイタル数値はもちろんのこと、施した措置や入居者さんの様子、気になったことなどをすぐにメモします。

忘れたらあかんので。あとで看護記録をまとめるとき、記入漏れがないように。

「しんどい」と思っても口には出さない

施設でする看護のひとつは、胃ろうです。食事がとれない入居者さんに、朝昼晩と看護師が行います。チューブが外れないように、手で押さえてていねいに。大人しくさせてくれる人もいるし、手を動かす人もいます。チューブがずれてしまうと、中身があふれて洋服を汚してしまうことがあるのです。

その他の措置も、ていねいに、ひとつずつ確実にするようにしています。やり直しになれば、それだけ時間がかかってしまいますから。

自分より年下の入居者のほうが圧倒的に多くなった。
自分より年下の入居者のほうが圧倒的に多くなった。(撮影=林ひろし)

入居者さんへのバイタル測定、胃ろう、痰を取るなどの看護はずっとしてきたこと。手順や段取りも体にしみついているので、年齢を重ねた今も、スムーズに動くことができています。

80代はまだまだ体が動いたけれど、90歳を超えたら、仕事中に「えらいな(=しんどい)」と思うことも出てきました。でも、口には出さないし、休むことはしません。

担当する訪問看護が終わって時間ができたときは、体温計を拭くアルコール綿などの材料作りをしています。決められた時間内は、きちんと働くようにします。

手があいたとしても、仕事に関係ない雑談はしません。職場の雰囲気がだらしなくなるので、雑談は休憩時間にします。昔からずっと心がけてきたことですが、今の職場でも守っています。先輩として、職場の雰囲気作りには貢献したいと思っています。

年を重ねたからこそできる仕事がある

入居者さんとは同世代ですので、気持ちも理解できるし、会話ができなくても打ち解けられることもあります。

看護をするときに、相手の気持ちを考えて話しかけたり、話を聞いたりすることを心がけています。それは、年を重ねたからこそできる、私の仕事なのかなと思います。

胃ろうの人たちは話すこともできないし、意思表示もあまりないですね。いつも、「ご本人たちはどういうふうに思っているんだろう」と、考えながらしています。

話をすることはできなくても、その人の部屋に入ったら、「おはよう、○○さん」と顔を見ながら声をかけます。「ああ〜」と言うだけの人もいますが、顔はこちらを向けてくれます。

手を握って冷たいときは、「お布団の中に入れとき。あったかいで」と話しかけることも。

唇が乾燥しがちな人にクリームを塗ってあげると、気持ちがよかったのか訪問のたびに口をあけて待っているように。

話はできなくても、コミュニケーションはとれているのかなと思います。

足手まといになったら退く覚悟で

いちしの里で働き始めた頃は、80代。まだまだ元気でフルタイムで働けました。でも、80代と90代は違います。やっぱり体がえらい。

仕事ばかりの仕事人間ですが、本当は「もうそろそろ辞めなきゃあかんかな」と、ずっと思っているんです。仕事をする限りはきちんとやりたいので、足手まといになったら、辞める覚悟でいます。

社長さんにも「年寄り扱いするなら辞めます」と伝えているから、きちんと働けなくなったら退かなきゃいけない。

勤務を始めて2〜3時間なら、まだ元気があるけれど、4〜5時間すると、えらくなってきます。看護師は、半日は職場にいないと仕事になりません。半日勤務ができなくなったら、辞めるときだなと思います。

退職願いは2~3回書いた

退職願いは、もう2〜3回書きました。そのたびに、社長さんや橋口さん(同じ職場でともに働く80代の看護師)には、「また池田さんが書いてきた」と笑われますが、私は、いつでもその覚悟はできています。

池田きぬ『死ぬまで、働く。』(すばる舎)
池田きぬ『死ぬまで、働く。』(すばる舎)

でも、管理者の岡野さんから、「人が足りないので入ってほしい」と言われると、「家にいるのもな」と思って職場に出ていくんです。

私も管理者をしていたから、シフト作りの大変さがわかります。人が足りないと、働いている人が忙しくなってイライラします。それは、働いている人にも入居者さんにもよくないから、人に余裕があるのは大事なことなのです。

来月はそろそろ辞めようかと思っても、「来月は人が足りない」と言われてシフトに入り、その翌月も同じようなことになって、またシフトに入り……を繰り返していたら、9年経っていました。

でも、「今月もまた勤務せなあかんのかな」とぶつぶつ言いながら、喜んで職場に出かけている自分もいます。

やっぱり、仕事が生きがいなんでしょうね。

昼間は仕事、夜は義母の介護…それでも続けてよかった

ありがたいことに2018年、75歳以上の医療関係者(当時)に贈られる「山上の光賞」をいただきました。

この賞は、過去の業績も考慮しますが、現役で活動を継続している人に贈られるそうです。看護師が長く働ける職業であることを示せたのは、うれしいことですね。

50代の頃、同居していた義母が脳梗塞で倒れました。仕事と介護との両立が難しいかなと考えて、仕事は辞めようと思いました。でも、主人が会社を定年退職したときだったので、昼間は主人、夜は私と手分けをし、仕事は辞めずに2年間介護を続けました。

昼間は仕事、夜は介護と忙しかったので、「この生活が何年続くんだろう?」と思うときもありました。でも、仕事は辞めずに続けてよかったですね。

「辞めたい」という後輩たちに伝えていること

育児や介護の両立が難しいと、仕事を辞めてしまう人もいます。でも、私は、夜介護して、翌朝出勤すると、仕事で気分転換することができました。体はえらかったけど、家と職場で、気持ちが切り替えられたのはよかったです。

辞めずに勤めたことで、職場へ恩返しすることもできました。

「親の介護をするから仕事を辞めたい」とスタッフから相談されたとき、

「あんた、仕事があるんだから職場でがんばり。介護だけだと息が詰まってしまうけれど、職場で気分転換できるよ」

と、自分の体験を踏まえてアドバイスできました。

同じように、「子どもが小さくて、仕事との両立が大変」というスタッフにも、

「今は、いろいろ制度が整った、いい時代だから、制度を利用して、辞めずに続けたほうがええよ」

と言います。子育ても介護も、仕事を辞めずに両立できたら、ご本人にとっても、職場にとっても、いいことなんじゃないかなと思います。

仕事があるうちは働かねば

看護婦になろうと決めた10代の私は、「自分に向いているかどうかわからないけど、せっかく入ったところだから、がんばらないといけないな」と、ささやかに思いました。それが、80年前。ずっと仕事を続けてきました。

80年前、看護師になったばかりの10代の池田さん。
80年前、看護師になったばかりの10代の池田さん。(写真提供=筆者)

「そのお年まで働き続けるなんて、すごいですね」と言われます。すごいことなんて、ひとつもありません。ただ、目の前に仕事があるから、それをしてきただけ。仕事があるうちは働かねば、という使命感です。

患者さんが元気になり、ご家族が喜んでくれるのが、何よりのやりがいです。看護師という仕事が、私は心底好きなんでしょうね。

看護師という専門資格職だったから、ずっと働いてこられた面もあります。高齢になっても、資格があったから雇ってもらうことができました。

資格はとても大切。たくさんあって邪魔になることはないですね。75歳のとき、当時できたばかりのケアマネジャーの資格を取りました。ケアマネ資格があれば、現場に出られなくても、事務方で働くことができます。

だから、周囲の看護師にはケアマネ資格の取得を勧めているんです。介護士さんたちには、昇給につながる介護福祉士資格を。

長い年月、それは苦労もたくさんありました。でも97歳になった今は、「苦労が私という人間を作り上げてくれたんだな」と思っています。

池田 きぬ(いけだ・きぬ)
看護師
1924(大正13)年、三重県生まれ。地元の女学校を卒業し、赤十字の救護看護婦養成所へ進む。1943年、19歳のとき、海軍に療養所として接収された湯河原の旅館に、看護要員として召集される。終戦後、地元に戻り結婚。長男・次男を出産。中部電力津支店の保健婦として勤務。その後、精神科の県立病院で副総婦長を約20年。最後の1年は総婦長に。定年退職後、訪問看護や介護老人保健施設、グループホームなどの立ち上げにも関わった。75歳のとき、三重県最高年齢でケアマネジャー試験に合格。88歳のとき、サービス付き高齢者向け住宅「いちしの里」に看護師として勤務。現在も週1~2回の勤務を続ける。2018年6、75歳以上の医療関係者(当時)に贈られる第4回「山上の光賞」を受賞。

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