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ジョイマン高木「再ブレイクは怖い」一発屋経験からの視点、今後の目標は“同じネタをやり続ける”

  • 2022.4.9
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ジョイマン高木晋哉 ※ザテレビジョン撮影
ジョイマン高木晋哉 ※ザテレビジョン撮影

【写真】カッコイイ…!舞台裏でスタンバイするジョイマン

お笑いコンビ・ジョイマンの高木晋哉が、再ブレイクの足掛かりになったとも言えるTwitterの投稿をまとめた書籍「ここにいるよ ジョイマン・高木のツイート日記 2010-2020」をこのほど出版した。高木によると、はじめのブレイク後に仕事が減り、巷で「一発屋」と呼ばれるようになった際には「最初は受け入れられなかった」との葛藤があったという。そんな高木は“一発屋”時代を乗り越え、現在は再ブレイク状態であるが、「消費されてしまうのが怖い」と本音を漏らし、「一回ブレイクを経験したからこそ、冷めた目で見ちゃう」と述べた。また、「今後も同じネタをやり続ける存在でいたい」と今後の目標を力強く語った。

「やけくそな気持ちで書いた」“ラップネタ”でブレイク「今に繋がっています」

――まずは今回の本のオファーが来た時、率直にどう思ったか教えてください。

「待ってました」という気持ちでしたね。Twitterの投稿は時が経てば経つほど埋もれてしまうものなので、僕としてはいつか形にしたいと考えていました。だから、すごくうれしかったです。

――ジョイマンさんといえばラップネタですが、そもそもラップネタが誕生するきっかけは何だったのでしょうか。

デビュー当時に「M-1」が始まった直後だったこともあって、最初は正統派漫才師に憧れていました。僕が台本を書いてオーソドックスな漫才をやっていたんですけど、ランキング形式の事務所のライブでなかなか結果が出ず、自分の感覚としてもしっくりきませんでした。

そこで、相方と新しい形を作ろうと考えたところ「もう、やだ」「こんなことやってても売れるわけない」と投げやりになり、最終的に「もう、歌いたい」という結論に至ったんです(笑)。その時にやけくそな気持ちで書いたラップネタを翌日披露したところ、すごくウケて。僕自身もその芸風がしっくりきて、今に繋がっています。

――ジョイマンさんは2008年にブレイクされましたが、きっかけは何だったのでしょうか。

「ぐるぐるナインティナイン」の「おもしろ荘」で初めてテレビに出させていただいたことがきっかけでした。僕は「ナインティナインのオールナイトニッポン」を聴いていたこともあって、ナイナイさんが憧れだったんですが、初めてのテレビでナイナイさんに会えちゃったんですよ。運命的なものを感じました。その後も、当時のショートネタブームの波に乗って、「爆笑レッドカーペット」や「エンタの神様」など、多くの番組に出演させていただいたという感じですね。あの頃は1年間まるまる休みがなく、自分がどこにいるのかもわからないようなスケジュールでした。

――多忙な中、ネタはいつ書いていたのですか。

当時は寝ないで飲みに行ったりもしていたんですが、飲みに行かない日に相方と二人で夜通し書いていました。日々、ネタ番組用のネタ作りに追われていて、どこの舞台にもかけないままテレビの本番で披露するということを繰り返していましたね。常に脳内で韻を踏み続けて、頭おかしくなりそうでした(笑)。

仕事の急減も…芸人をやめなかった理由は「本当にTwitterがあったからかも知れない」

――しかしその後、2010年頃よりブームが去り、仕事が減ってしまいます。そんな2010年には、Twitterをスタートされています。

あの時はとにかく暇だったので、「露出しなきゃ」という思いがありました。そんな時に楽屋で「Twitterっていうのがあって、仕事に繋がるよ」とオリラジのあっちゃんが教えてくれて、その場にいる芸人仲間みんなで登録したんですよ。

――高木さんといえば「ジョイマン消えた」という投稿に対し、「ここにいるよ」と引用リツイートすることで知られています。このつぶやきを開始された理由は何ですか。

Twitterを使い出してエゴサーチをするようになり、ものすごい数の「ジョイマン消えた」「ジョイマンどこ行った」「ジョイマン死んだ」といった書き込みを目にしました。これをなにかに利用できないかと考え、「僕らのことを見失っているんだったら一人ひとりに思い出してもらおう、そのためにはこちらからアクションを起こさなくては」という気持ちで、引用リツイートで「ここにいるよ」と返答するようになったんです。

――苦境に立たされる中で芸人をやめなかったのはなぜでしょうか。

本当にTwitterがあったからかも知れません。Twitterが仕事で、唯一のメディア露出だと捉えていたので、何とかならないかなという思いがあったんですよね。

“一発屋”は「最初は受け入れなかった」、他の一発屋芸人の存在で「前向きに」

いつもと違う表情…真剣な顔で見つめるジョイマン高木 ※「ここにいるよ ジョイマン・高木のツイート日記 2010-2020」より
いつもと違う表情…真剣な顔で見つめるジョイマン高木 ※「ここにいるよ ジョイマン・高木のツイート日記 2010-2020」より

――巷で「一発屋」と呼ばれたことについては、どんな気持ちだったのでしょうか。

最初はやっぱり、受け入れられなかったですね。もちろん、テレビに出ている時は自分が一発屋になるなんて思ってもみなかったですし。「世間から一発屋だと思われてる」と理解した時は、現実との折り合いがつかず、悩んだりもしました。でも、ムーディー勝山さん主宰の「一発屋オールスターズ」に参加してお仕事をさせていただく中で考え方が変わりました。みんな同じ道を辿ってきていて、同じ悩みや傷を抱えているから話が合うんです(笑)。それによって気持ちがすごく前向きになり、「一発屋だ」と胸を張って言えるようになりました。

――売れなくなったことでラップネタをやめて、まったく違う方向性のネタをやろうとは思いませんでしたか。

実は当時、ラップのないコントとか、新ネタもかなりやっていたんです。でもやっぱり、ラップネタは超えられなくて、いい意味でラップネタが一番面白いと気づけたんですよね。試行錯誤したことによって、「プレーンなジョイマンでやれることがあるんじゃないか。まだ燃え尽きてない」と思えたんですよね。

“サイン会0人事件”が再ブレイクのきっかけに「仕事が明らかに増えた」

――2014年には大きな話題を呼んだ「サイン会0人事件」が発生します。改めて当時の話を聞かせてください。

あの日は、ショッピングビルの屋上でこれからネタを披露する前に、フロアの一角でサイン会をすることになっていました。僕らも、「ジョイマンがサイン会をやって人が集まるものなのか?」と心配してたんです。でも事前に「50枚ある整理券が全部はけた」と知らされていたので、じゃあ大丈夫かと安心して、長テーブルにパイプ椅子2つでずっと待っていたんですけど、1時間経っても、整理券を持った人が一人も現れなくて(笑)。

しかも、時々通りかかる人から「あ、ジョイマンだ。サイン会やってるの?じゃあ、もらおうかな」というふうに飛び込みで言われても、スタッフの人が「いや、整理券がないとダメなので」と制止しちゃうんです。「いや、誰も来ないんだからしたらいいじゃないか」と思ったんですけど、整理券を持った人が来た時のために断らなきゃいけなくて。だから結局、誰にもサインをせずに握手会が終了したんです(笑)。

――あの出来事をなぜTwitterにアップしようと思ったんですか。

「こんなことがあるんだ」と衝撃的だったので(笑)。場所もフロアのほんのちょっとしたスペースで、哀愁漂う面白い場所でもありましたし。せっかくだから思い出に…と写真を撮ってもらって、「町田モディ7階にてサイン会やってます。」ってつぶやきました。

――すごい反響でしたよね。

これまでの投稿で一番反応がありました。それまでジョイマンという存在は、本当に忘れられていたんです。こういうサイン会などを行っていたことも、世間の人はもちろん、吉本社内にさえ伝わっていなかったと思うんですよ。それが「あ、今こういう状況なのね」と理解してもらえて、可哀想だから仕事を振ろうという流れができました。ジョイマンを思い出してもらうきっかけになったことは確かですね。この投稿以降、仕事が明らかに増えましたし。

――「サイン会0人事件」が再ブレイクの足掛かりになったという側面もあるのでしょうか。

完全に「サイン会0人事件」がきっかけだと思います。社内と一般の両方が「いじっていいんだ」となりましたからね。やはり一発屋に対しては、「可哀想だから」という理由でいじりづらい人もいるわけですよ。でも、「笑いになるんだったらいいか」ということでみんなにいじってもらえるようになりました。

再ブレイクへの本音「怖いですね」…一発屋経験からの“冷めた目”

ジョイマン高木晋哉 ※ザテレビジョン撮影
ジョイマン高木晋哉 ※ザテレビジョン撮影

――現在ではメディア露出が増えて「再ブレイク」と呼ばれることも多いですが、その実感はありますか。

仕事はたしかに増えましたが、怖いですね。僕らのレベルから考えるとちょっと仕事し過ぎだなと。消費されてしまうのが怖いから、もうちょっとひっそりやりたいというのが本音です。

――まったく浮かれてないんですね。

一回ブレイクを経験したからこそ、「この状況も長くは続かないだろうな、いずれ落ちるんだろうな」と知っているので、冷めた目で見ちゃうんです。あと、一発屋時代が長くて、褒められるのに慣れていないということもあるかもしれません。そういった意味では、「ここにいるよ」とTwitterで言ってるのに、そんなに大っぴらに見つかりたくないという矛盾した気持ちですね(笑)。

同級生・秦基博からの“だったら辞めちまえ!”に感謝「これは優しさだな」

――最近では、ジョイマンさんのネタを星野源さんや花澤香菜さんが真似するなど、さらに大きな広がりを見せていますね。

そうなんですよね。ラップを真似してくれる人が本当に多くて。ジョイマンのネタって見てるより、やってる人のほうが楽しいんですよね。劇場だったら、お客さんよりもやってる僕が一番楽しいですし。だから、真似した時に「あれ?めちゃくちゃ楽しいな、これ」と気づいて、皆さんにコピーしていただいている気がします。

――著名人というと、高木さんは秦基博さんと小・中学校の同級生として知られています。特に思い出深いエピソードがあればお聞かせください。

秦くんは、僕が仕事がなくなってから、よく仕事に呼んでくれるようになりました。救いの手を差し伸べてくれて、マジで頭が上がらないです。秦くんは否定しているんですが、1つ思い出深いことがあって。一緒に飲んでいるときに、当時の僕は仕事が減った後だったので愚痴を言ってたら、秦くんは「だったら辞めちまえ!」って怒ったときがあって。普段の秦くんはそんな人じゃないですけど、厳しく言ってくれて、これは優しさだなと思いました。言われたときは腹が立ちましたが、頑張ろうと思いましたし、それもすごく感謝してます。

――ブレイクを経て「一発屋」と呼ばれ、現在は「再ブレイク」と呼ばれるジョイマンさんですが、今後の目標は何でしょうか。

目標は「続ける」というだけですね。今後も芸人が増えて、いろんなネタが生まれていくでしょうが、僕らは変わらずにいると思います。同じネタを提供し続ける方が楽しいので、今後も同じネタをやり続ける存在でいたいですね。

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