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1本の木に会いに行く【37】平等院鳳凰堂を彩る藤の花<京都府>

  • 2022.4.8
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ユネスコの世界遺産に登録されている平等院鳳凰堂。平安末期、時の関白・藤原頼通によって建てられた寺院です。飛鳥時代の中臣(藤原)鎌足を祖先として数多くの公家を輩出し、長く栄華を誇った藤原氏。その家紋も藤の花。春になると藤の花がこぞって咲き誇り、鳳凰堂を彩るのです。

宇治駅から平等院へのんびり散策

JR京都駅から快速列車に乗り、20分ほどで宇治駅に到着。京阪本線でも30分ほどでしょうか。沿線の住宅密集地にお茶畑が点在する様子に、有名な茶どころだったと思い出しました。

宇治川畔の京阪宇治駅のほうが平等院に近いようです。JR宇治駅からは宇治の街なか(宇治橋通り)を通り抜けて平等院に行くことになります。

お茶を焙じる芳しい香りもします。古くからの街並みのようで、テレビCMによく出てくるお茶屋さんも建ち並び、和菓子屋さんや土産物屋さんもたくさんあります。

鎌倉時代に始まったとされる宇治茶の栽培。とくに室町時代になって評判が高まり、江戸時代には立派なお茶屋さんが建ち並んだそうです。千利休の「茶の湯」も、宇治の抹茶を第一としたとか。

平等院の春を彩る藤の花

JR宇治駅からゆっくり歩いて15分ほどで平等院の入り口に到着。途中でお店を覗きながら、のんびりと楽しい散策です。

入口手前に藤棚があり、薄紫色をした藤の花が咲きこぼれていました。ここでもたくさんの人が写真撮影しています。藤はフォトジェニックですね。そして大人600円(庭園とミュージアムの拝観料)を支払って入場です。

阿字池に美しく建つ「鳳凰堂」が見えてきました。この鳳凰堂は平安時代末期の天喜元年(1053年)、時の関白・藤原頼道が極楽浄土を現世に再現しようと造らせた寺院です。平成の大改修によって、創建当時の極彩色の輝きを取り戻したといいます。

優雅に咲き誇る樹齢280年の藤

その阿字池の手前にあるのが、目的の藤棚。藤の花は藤原氏を象徴する花でもあるそうです。大きな藤棚が作られているのですね。

樹齢280年ということは江戸時代半ばの藤の木になります。それ以前はどうだったのかスタッフの方に伺ってみたのですが、わかりませんでした。藤の木はそれ以前から受け継がれてきたものかもしれませんし、江戸の世になって植栽されたのかもしれません。

長いものは1m以上もの花房になって地面に届きそうだったことから、古くから「砂ずりの藤」とも呼ばれ、讃えられていたといいます。

藤棚いっぱいに藤の花が広がっているのですが、1本の木から四方にツル状に伸びているのです。どうやら1本ではなく、4〜5本の根っこがあるようです。年齢を重ねて太くなった立派な根っこです。

とはいえ、植栽される藤の木は葛の根っこに藤の枝を接木するともいいます。ひょっとしたらそうなのかもしれません。

多くの人が撮影しているので近寄ってみると、藤の花房から覗く鳳凰堂がまた優美な印象です。平安時代の雅な世界を想像します。

極楽浄土の再現 平等院鳳凰堂

1994年、鳳凰堂は「古都京都の文化財」の構成資産のひとつとしてユネスコの世界文化遺産に登録されました。

大きな特徴は、阿字池に浮かぶ中島に建てられていること。風が穏やかな時には鳳凰堂の姿が水面に写り込んで、さらに優美に見えることでしょう。「幽玄」という言葉を思いました。

上の写真は真正面から見た鳳凰堂です。もともとは阿弥陀如来を祀る阿弥陀堂ですが、中堂と両脇の翼廊、尾廊からなる建物で、鳳凰が羽を広げたように見えることから江戸時代になると「鳳凰堂」と呼ばれたそうです。

もともと宇治には平安貴族の別荘があったといい、藤原頼道の父・道長の別荘もありました。しかしこの時代、疫病や自然災害が多発した上に、末法思想が広がります。

当時の歴史書『扶桑略記』によれば、永承7年(1052年)の疫病流行が末法の始まりだったというのです。人びとは世の中がすさむことや死を恐れ、極楽浄土に憧れました。こうして頼道は自分の別荘をお寺に作り変えたといいます。

屋根の上にいるのは鬼のように見えますが、実は魔除け。鳳凰堂には50以上もの魔除けがいるそうです。そして瓦の装飾は蓮華。仏教への帰依を表すハスの葉です。

先着受付の鳳凰堂の内部拝観(300円)の受付をしてから鳳凰堂をぐるりと一周し、鳳凰堂の中も見学させてもらいました。高さ3m近くの大きな阿弥陀如来像がいらっしゃいます。そうしてふたたび藤棚に戻ってきました。

藤原氏と藤の花の関係とは

この鳳凰堂を建てた藤原頼通(992~1074年)は、平安時代中期から後期の公卿で、父・道長から若くして後一条天皇の摂政を譲られ、その後見となったそうです。そして後朱雀天皇と後冷泉天皇の治世に50年間も関白を務め、父とともに藤原氏の全盛時代を築いた人物です。

大化の改新で中心的役割を果たし、中大兄皇子(天智天皇)の腹心として働いた中臣鎌足(614~669年)。彼が天智天皇から「藤原」の姓を賜ったことが藤との関わりの始まりといいます。

こうして藤原氏の藤の家紋=「藤紋」が生まれることになります。子孫たちが家の印として藤の家紋を使うようになったのです。たとえば子孫の九条家の家紋は「九条藤」と呼ばれ、また二条家の家紋は「二条藤」と呼ばれるそうです。

さらに藤という植物は藤原氏の存在自体を表しているようです。生命力の強い藤は支えとなるほかの木や棚に絡みついて成長し、美しい花を咲かせます。天皇家を支えることで権力を手に入れたことと酷似しているといわれてきたのです。

古くから愛されていた藤の花。優美な花房とともに、寿命は長く繁殖力も強く、めでたい木とされてきました。『万葉集』でも藤を詠んだ歌が26首もあるといいます。

平等院 春の陽気に憩うなら

季節的にはちょうど桜が散った頃でしょうか。境内ではツツジやヤマブキの花もちょうど見ごろを迎えていました。

境内の見どころとしてもうひとつ、「ミュージアム鳳翔館」も忘れてはなりません。地下室を歩くような不思議な雰囲気で、国宝の梵鐘や鳳凰、雲中供養菩薩像、重文の十一面観音立像など貴重な文化財を見ることができます。またCGによる鳳凰堂内の彩色復元映像も展示しています。

散策に疲れたらちょっと休憩。ミュージアム鳳翔館の横にはガラス張りの茶房「籐花」がありました。大きなガラス窓から明るい陽射しと新緑が差し込みます。

ここは本格宇治茶を楽しめる日本茶の専門店だそうです。日本茶インストラクターのオリジナルブレンドの茶葉を使っているとか。陽射しが強い日だったので冷たい宇治の煎茶をいただきました。いままで飲んでいた煎茶は何だったのかと思うほど、香りものど越しもたいへん素晴らしいお茶でした。

4月の温かな陽射しの中、平安時代の気分でのんびり、ゆったり平等院を歩き、藤の花とともに世界遺産の鳳凰堂、そして宇治ならではのおいしいお茶で癒やされました。

平等院鳳凰堂

住所:京都府宇治市宇治蓮華116

電話:0774-21-2861

拝観料 庭園とミュージアム600円、鳳凰堂内部拝観300円

[All Photos by Masato Abe]

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