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まっすぐに見つめること。三浦春馬の『東京公園』

  • 2022.4.5
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いま片想いをしている人、おそらく相手は自分の気持ちを知っている、と感じている人におすすめしたい作品です。

常々思っているのですが、人には「傍観者タイプ」と「表現者タイプ」がいるような気がします。もちろん両方の要素を誰もが持っているのですが、それぞれの濃度が違う。作品での佇まいは美しき表現者ですが、三浦春馬さんは、キャラクターとしては傍観者タイプ、と私は思っています。『東京公園』は、カメラ、つまり写真を撮ることが趣味であり、将来の仕事も写真に関わりたいと思っている大学生の光司(三浦春馬)が、周囲の人々に愛され頼りにされながら暮らす日々のなかで、恋や執着について静かに学んでいく物語です。彼のひとり暮らしの家には亡き友人ハル(染谷将太)が幽霊となって棲み、ハルの恋人だった富永(榮倉奈々)はしょっちゅう光司の家に訪れ、光司のバイト先のカフェバーに血の繋がりのない義理の姉美咲(小西真奈美)が頻繁にやってきます。みな、光司との時間を心の底で求めている。安らぎを、他者に与える存在が光司です。そんな彼の元に、妙な依頼が歯科医から持ち込まれます。毎日子連れで東京の公園を散歩する女性(井川遥)を盗み撮りして、状況報告してほしい――。歯科医は、その女性に執着を抱いています。

光司は、美しさを纏い切れていない役柄です。本当は美しいのに、美しさをことさらに表現しない。だから美しいことに、自分自身も周囲も気づいていないかのごとく、平凡な空気感を纏っています。そういう人のほうが、他者を傍観したり、他者の想いを受け止めるには適役なのだと思います。「きちんと傍観する」ことは、相手の気持ちを受け止めることとほぼイコールだから。『東京公園』の登場人物たちは、居場所が定まらない想いの行きどころを探して、その想いのやり場に困っています。が、あくまでも品よく、自分のいたたまれなさを抱きながら、粘り強く過ごしています。ただ、カメラのファインダーを通して人々を見つめる主人公の光司だけが、自分の心に気づいていないのです、映画の途中まで。周囲の人々との時間と、みんなからまっすぐ見つめられることによって、光司はゆっくりと自分の心を見つめることに気づき始めます。これは、青山真治監督が描いた、多くの人々が持つ「リアリティ」だと感じました。映画のなかで、たくさんの名言が語られます。特に光司のバイト先のカフェバーのマスターと、富永の口から。その言葉は、コンコン、と心の扉をノックされるかのようです。恋の悩みを抱えている人であれば、何かが溶けるような気持になるかもしれません。ちなみに撮影ロケ地であるカフェバーは、フィガロジャポン編集部がある目黒のご近所さん、チャムというカフェレストランです。本作が公開されたのは、2011年、東日本大震災後でした。記者会見の時に三浦春馬さんは、「いままで自分が演じてきた役柄のなかで、もっとも自分自身に近いような気がしている」と言いました。ラスト付近で光司の長回しのセリフのシーンがありますが、それを「素晴らしい!」と青山監督が褒めてくれたことが役者冥利に尽きる、とも三浦さんは語っていました。

カメラを持つことが似合う人、三浦春馬。映画のなかでは、カメラマンらしく脇をしっかりと締めてぶれないようにポーズしている。

2011年の段階で、三浦春馬さんがそのように感じることができた、小品であるかもしれないけれど、とてもリアルな美しい映画を脚本・監督してくださった青山真治監督に心から感謝したいです。見つめることは、時に、言葉よりも正しく真実を証明することができる。映画を好きな人間にとっては当たり前のことですが、あらためて作品そのもののテーマとして伝えられると、背筋が伸びるような気持ちになります。

『東京公園』●監督・脚本/青山真治●出演/三浦春馬、榮倉奈々、小西真奈美、井川遥、染谷将太ほか●2011年、日本映画●本編119分●DVD\4,180 販売・発売:アミューズソフト©2011「東京公園」製作委員会

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