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九龍ジョーが選ぶ6冊。師匠から弟子へ、受け継がれる言葉

  • 2022.3.11
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由良君美、美内すずえ、ドン・ファン イメージイラスト

弟子・プラトンが記した「ソクラテス」の本

ソクラテス イメージイラスト

アテネで最初の哲学者、ソクラテス。その活動は仲間内や街角で対話を重ねるスタイルであり、彼自身は本を残さなかった。ただし、彼の死後、多くの弟子たちがその言葉を作品にしていく。なかでもプラトンによる対話篇は有名だ。

『ソクラテスの弁明』は不敬神の罪で告発され、最終的に処刑されたソクラテスの法廷弁論を記したもの。といっても正確な裁判記録ではない。死を前にした弁論というシチュエーションでの、師の教えを凝縮しようとしたものとされる。

ソクラテスの有名な教え、「無知の知」も本書に登場する。私は「知らないこと」を「その通り知らないと思っている」だけほかの人よりも賢い、というやつだ。ただ、そこで終わらないのがソクラテス。
迫り来る「死」についても、私は冥府(あの世)のことも知らないのだから、死が必ずしも悪いことなのかどうかわからない、と言うのだ。

フィロソフィ(哲学)とは、「知を愛する」という意味。自らの死をもって哲学を全うしようとする姿を、弟子はしかと本に書きつけた。

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『ソクラテスの弁明 クリトン』プラトン/著

『ソクラテスの弁明 クリトン』プラトン/著 久保勉/訳

不当な告発により法廷に立たされたソクラテスは、死刑を恐れることなく、自らの考えを訴える。死後も裁判の是非をめぐって議論が巻き起こる中、師の弁明を作品にまとめ上げることは、無実を証明するとともに、その偉大さを後世に伝える手段でもあった。岩波文庫/¥520

弟子・松井今朝子が記した「武智鉄二」の本

武智鉄二 イメージイラスト

書くことは、受け継ぐことでもある。伝統芸能のよき理解者であり、一方で「ホンバン」のあるポルノ映画を撮り、物議を醸すような面妖な人でもあった演出家・武智鉄二。彼と過ごした濃密な時間について書いたのが、作家・松井今朝子の『師父の遺言』だ。

武智に“跡継ぎ”と見込まれ、演出助手を務める松井。師への思いは恋愛にも似るが、父の背中のようでもあり。特に晩年の姿を描く筆致は哀切を帯びていく。

伝統の世界では、教えられた通りに伝えることが第一だ。だから自分のことを伝えればいい、という師匠の言葉を、弟子はこの本で実行する。同時にそれは、直木賞作家となった著者の青春譚でもある。

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『師父の遺言』松井今朝子/著

『師父の遺言』松井今朝子/著

伝統芸能に精通した評論家、異端の演出家など様々な顔を持つ昭和の巨人、武智鉄二。彼に「跡継ぎ」と見込まれた著者は、毀誉褒貶の激しい人生と、共に過ごした濃密な時間を描く。その筆致は、年の離れた異性だからこそか、時に容赦なく、愛に溢れている。NHK出版/¥1,600

弟子・笙野頼子が記した「藤枝静男」の本

藤枝静男 イメージイラスト

対照的に、芥川賞作家の笙野頼子は、彼女が師匠と呼ぶ私小説の大家・藤枝静男に、生前、一度しか会っていない。群像新人賞の選考会で笙野の作品を強く推すあまり最後は涙まで流したという藤枝。その受賞パーティで軽く立ち話をしたのが、最初で最後の邂逅だ。

翌年の受賞パーティで藤枝は、「どうして彼は来ていない。彼に短編を書かせなさい」と言っていたらしい。笙野についてのイメージは、中年男性かなにかにすり替わってしまっていた。
『会いに行って 静流藤娘紀行』は、もはや直接会うことの叶わない藤枝の小説を引用しながら、師匠の見たもの、さらに言えば、師匠の目そのものになろうとする試みだ。

笙野はそれを私小説ならぬ「師匠説」と呼ぶ。本を通してなら、師匠といつでも会えるのだ。

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『会いに行って 静流藤娘紀行』笙野頼子/著

『会いに行って 静流藤娘紀行』笙野頼子/著

伝統的な私小説の殻を破り、新しい私小説世界を築いた藤枝静男。彼の強い推薦により群像新人賞を受賞し、その後の雌伏の時期にも援護を感じていた著者だったが、生前に直接会えたのは一度きり。師匠の小説を引用することで、再び「会いに行く」ための私小説。講談社/¥2,000

弟子・カスタネダが記した「ドン・ファン」の本

ドン・ファン イメージイラスト

文化人類学者カルロス・カスタネダが、ヤキ・インディアンの呪術師ドン・ファンと出会い、彼のもとで修行を積んだ日々を書いた『ドン・ファンの教え』。1968年に刊行されて以来、その後のシリーズとともに世界的ロングセラーとなり、長く読み継がれている。

ドン・ファンが開陳する、西洋的な知のあり方とはまったく異なるルールで構成された世界。そこでは植物の根や葉、キノコがもたらすサイケデリック体験が、知覚における重要な役割を果たす。

ドン・ファンは言う。どんなに知識を積み重ねても、人が知者であるのは一瞬にすぎないと。起きた出来事の詳細な記録をもとに、後半ではそれぞれの意味の人類学的な分析が試みられる。そうした客観性を捨て切れなかったがゆえに、カスタネダは弟子としての修行を断念することになる。

ただ、結果それは本となることで、私たちは呪術師の生きる稀有な現実を垣間見ることができるのだ。

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『ドン・ファンの教え』カルロス・カスタネダ/著

『ドン・ファンの教え』カルロス・カスタネダ/著 真崎義博/訳

呪術者ドン・ファンが、文化人類学者である著者に伝授する秘儀や、そこから開ける新鮮なビジョンは、60年代末カウンターカルチャーの若者たちに衝撃を与えた。西洋的な知のあり方を相対化し、選んだその道に心はあるのか? という問いかけ。太田出版/¥2,000

弟子・笹生那実が記した「美内すずえ」の本

美内すずえ イメージイラスト

こちらも引退した漫画家だからこその距離感で描けた作品と言えるのが、笹生那実の『薔薇はシュラバで生まれる』。名作が生まれた70年代少女漫画の現場でのアシスタント経験を、生き生きとした漫画で描く。

次々と登場する憧れの先生や才能溢れる同期たち。中でも漫画を描くきっかけも与えてくれた、『ガラスの仮面』の美内すずえは、笹生にとって特別な存在だ。美内が体現する、厳しい漫画家の仕事を成し遂げるためのしなやかな心構え。

根底にある教えをあえて言葉にするなら、「好きで描いている」という瑞々しさの感覚を失わない、ということだろう。初めてアシスタントをした際のミスを告白し、死んで詫びるという笹生に、美内は「右腕置いていってね」と笑って返す。
つまり、私はあなたの右腕に助けられたのだと。弟子は、その優しさにまた感銘を受ける。

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『薔薇はシュラバで生まれる』笹生那実/著

『薔薇はシュラバで生まれる ―70年代少女漫画アシスタント奮闘記―』笹生那実/著

美内すずえ、くらもちふさこ、樹村みのり、三原順……少女漫画レジェンドたちのもとでアシスタントをしていた著者。名作の生まれる現場で感じた美しい志や、宝石のようなエピソードを惜しみなく漫画に結晶させた。イースト・プレス/¥1,091

弟子・四方田犬彦が記した「由良君美」の本

由良君美 イメージイラスト

師匠を超えてこその恩返し、という考え方がある。ただ、同じ道を歩いている以上、誰でもそう単純に割り切れるものでもない。

四方田犬彦が英文学者・由良君美について書いた『先生とわたし』は、知を愛する師弟の幸福な関係が、やがて悲劇的な色合いを帯びていく過程をつぶさに描く。
「師とは脆いものである」という一節は、自戒であり、また同時に、ありふれた愛すべき人間の一人として、師と出会い直すためのキーワードでもある。

大切な教えとともに、濃厚な人間ドラマも味わうことができるのが、師匠本の醍醐味なのだ。

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『先生とわたし』四方田犬彦/著

『先生とわたし』四方田犬彦/著

東大駒場で多くの学生たちを、めくるめく知の世界へと誘った英文学者・由良君美。著者もその一人として薫陶を受け、同じ道を歩みだすが、ある出来事をきっかけに訣別に至る。悔恨にも似た恩師への思いを通して、「師弟」という人間関係の根源へと迫る一冊。新潮社/¥1,500。

profile

九龍ジョー(ライター、編集者)

くーろん・じょー/編集を手がけた書籍・雑誌・メディア多数。最近は『神田伯山ティービィー』などYouTubeチャンネルの監修も。新刊『伝統芸能の革命児たち』(文藝春秋)発売中。ほかの著書に『メモリースティック』『遊びつかれた朝に』など。

twitter:@wannyan

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