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今も残る数少ない武士の町・金沢。ガイドさんの案内で巡る【長町武家屋敷跡】

  • 2022.2.13
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金沢を歩くなら、おすすめは日本に残る数少ない武士の町【長町武家屋敷跡】。黄土色の土壁が続く路地や加賀藩士の屋敷跡、足軽の住居など、戦国時代から明治維新までの武家文化に触れられます。街のボランティアガイド「まいどさん」の案内で、武家社会の名残にひたってみませんか。

武士の町を散歩する

400年以上にわたり戦場にならなかった金沢の町。今も至る所に古い建物や江戸時代の面影を残す街並みが残ります。長町(ながまち)武家屋敷跡もそのひとつ。町名の由来は、加賀八家と称される8人の家老のうち長(ちょう)家の屋敷があったからという説と、南北に長い町だったからという説があります。サムライ文化に触れられるため、インバウンドにも人気です。

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▲ボランティアガイド「まいどさん」

無料で町の案内をしてくれるボランティアガイド「まいどさん」。金沢言葉で「こんにちは」という意味です。「長町武家屋敷休憩館」に常駐していて、手があいていればすぐに案内してもらえます。確実にガイドをお願いするなら10日前までに申し込んでおきましょう。

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▲古い街並み

江戸時代に作られた黄土色の土壁が今も残る路地。明治維新と共に武士が町から姿を消すと、武家屋敷のほとんどは取り壊され、土地は分割して切り売りされました。残された当時の土塀は、市が管理・保存しています。

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▲長町武家屋敷跡のベスト撮影スポットがここ。道の先を見通せないのは、敵に攻められることを想定した城下町特有のつくりです

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▲石高によって変わる塀の高さ

階級制度にはっきりとした差が設けられていた武家社会。石高、つまり武士の給与の差によって、塀の高さもちがいます。また塀の屋根が瓦ぶきか板ぶきかでも、そのちがいが判ります。

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▲江戸時代からの姿を残す「長屋門」。門番や使用人、または家臣などの居所と門を合わせた建物で、写真の長屋門には厩(うまや)も備えます

加賀藩では、長屋門を構える武士は400石以上。現在の金額に換算すると約4000万円以上の収入です。上の写真は、450石の武士が住んでいた屋敷跡で、現在は民家として利用されています。

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▲中は非公開ですが、藩政時代からの数少ない武家屋敷が残っていて、民家として利用されています

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▲長町を流れる大野庄用水には、武家屋敷内に水を引き込む給水口が見られます。現在も使われていますが、取材時は工事のため水が流れていませんでした

長町の道に沿って流れる大野庄用水は、藩政時代は道幅全体が用水路になっていて、城を護る堀としての役割のほか、物資の輸送や町の防火用水、消雪用水として使われ、武家屋敷の中を通して庭園の池や川の水としても利用されました。金沢に武家屋敷跡が残るのは、用水路のおかげで火事が少なかったからと言われます。

足軽屋敷で当時の生活に触れる

長町武家屋敷跡にある足軽資料館は、足軽屋敷を移築した建物。戦国時代には、農村から徴募した雑兵ではなく、専門的な訓練を受けた足軽を大名が抱えるようになり、平時は事務員や番人、警備警察要員といて用いられました。今風に言えば、平時は公務員、戦時は戦闘員となる職です。

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▲かって足軽の家だった「金沢市足軽資料館」。500坪ほどある武家屋敷に対して、足軽屋敷は庭も含めて50坪ほど。この足軽屋敷は、昭和の中頃まで民家として使われていたそうです

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▲一般市民や足軽階級の家は、屋根に石を置いた「石置き屋根」でした。現在金沢市内には石置き屋根の家が3軒だけ残ります

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▲足軽屋敷「金沢市足軽資料館」は無料で見学ができます

意外に羨ましい足軽生活! 縁側があったり、住民用とお客さん用の2つのトイレがあったりと、思いのほか広い建物です。屋根は石が落ちないように勾配がゆるやかな半面、雪かきが必要で、雪を降ろす場所として庭がありました。

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▲台所には竈(かまど)があります

意外に面白い立ち寄りポイント

長町武家屋敷跡のあるエリアには、立ち寄っておきたいスポットが点在しています。ここではちょっとおすすめの観光スポットやパワースポットを紹介します。

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▲「金沢市老舗記念館」

金沢市老舗記念館の建物は、1579年の創業以来、薬草や薬の製造販売を行ってきた「中屋薬舗」。明治11年創建の建物を移築して、1階に当時のお店を再現。2階は市内の老舗に伝わる生活用具や金箔、水引などを展示します。現在も中屋彦十郎薬舗株式会社として、記念館から徒歩数分の場所で営業しています。

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▲「聖霊病院聖堂」の内部はアーチが連なる天井がステキです!

工事中のため内部の取材ができなかったのですが、足軽屋敷の近くにある「聖霊病院聖堂」は、昭和6年に建てられたロマネスク様式の教会です。黒漆の柱や金箔を使った装飾、木のベンチの横に敷かれた畳など、金沢の伝統文化を採り入れた和洋折衷の造り。見学も自由にできます。

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▲縁切りと縁結び、両方の神様が同居する、松の木に隠れたパワースポット「貴船明神」。聖霊病院聖堂のすぐ近くです

現在の中央小学校のある場所に加賀八家のひとつ村井家(1万6500石)がありました。村井家の当主は浮気グセのある方で、奥方がこの場所に自分のかんざしを埋めて縁切りの願掛けをしたところ、見事叶ったと伝わります(諸説あり)。以来、縁切りの神様として、知る人ぞ知るスポットです。

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▲貴船明神の祠は、大きい方が縁結びで、小さい方が縁切り。お間違えなく

江戸時代は橋が架かっていなかったため、縁切りは堀(鞍月用水)の中を渡り、縁結びは崖から降りてお参りをしたそうです。現在は縁切りを望む方は香林坊側から向かい、縁結びは香林坊と反対方面から来てお参りします。間違うと一大事ですよ!

武家文化の雰囲気を味わう「武家屋敷跡野村家」

ここは加賀藩士野村伝兵衛信貞(のむらでんべえのぶさだ)の屋敷跡で、江戸時代からの土塀や庭園が残ります。建物は加賀大聖寺(だいしょうじ)藩で北前船の豪商だった久保彦兵衛の邸宅から、180年前に建てられた離れを移築。「まいどさん」の案内はありませんが、藩政時代の雰囲気をたっぷりと味わえます。

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▲「武家屋敷跡野村家」

野村家は、アメリカの庭園専門誌「ジャーナル・オブ・ジャパニーズ・ガーデニング」で日本庭園ランキング3位を獲得したことがあり、ミシュラングリーンガイドでは現在も2つ星を得ています。

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▲1584年の末森城の戦いで、野村伝兵衛が前田利家軍の一番槍を務めたときにまとった鎧と言われます

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▲江戸時代そのままの庭園は、この屋敷の最大の見どころです

当時のままの庭は、大野庄用水から水が引かれて池を作り、樹齢400年の木が茂ります。中でも保存樹に指定されている山桃の木は北陸では珍しく、主君前田利家の出身地尾張から苗を取り寄せたと言われます。

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▲賓客を迎えるための「上段の間」

総桧造りの「上段の間」は、豪商だった久保彦兵衛が大聖寺藩の藩主をもてなした部屋。格天井や黒壇材、ギヤマン硝子をはめ込んだ障子戸にくわえ、二方向が庭に向かって開かれた間取りなど、さり気なく贅を尽くした客室です。加賀藩お抱えの狩野派の絵師、佐々木泉景の絵も飾られます。

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▲「謁見の間」の襖絵は、大聖寺藩の藩士で絵師でもあった山口梅園が描いた白牡丹

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▲独特の意匠にこだわった釘隠し。他に様々な形の釘隠しも展示されています

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▲2階の茶室「不莫庵」では、庭園を見下ろしながら立てだしの抹茶(¥300)をいただけます

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▲「不莫庵」の天井は、桐板に神大杉の地中部分を張り付けた珍しい造り。畳組みと同じ縁取りがされています

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▲控えの間の床板には樹齢1000年の紅葉の一枚板が使われます

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▲野村家の資料が展示された資料室

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▲沖田総司や東條英機も愛用したことで知られる金沢の刀鍛冶、加州清光の脇差

加州清光の刀剣を常設展示しているのは野村家のみ。この刀を見るためにわざわざ来る人もいるほどです。

今も残る数少ない武士の町・金沢。ガイドさんの案内で巡る【長町武家屋敷跡】

▲野村伝兵衛の主君朝倉義景が1566年10月9日に書いた手紙は、敵の首を打ち取ったことへの感謝状です

加賀藩士だった野村伝兵衛信貞は、越前出身の侍で朝倉義景の下で働き、のちに明智光秀に仕え、本能寺の変から2年4カ月後には前田利家の下で一番槍を務めます。勇猛果敢かつ波乱万丈の人生だったことがうかがえます。

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▲明智光秀からの感謝状には野村伝兵衛の活躍で戦に勝てたことと、傷の心配が書かれ、光秀の人となりが伝わります

野村家は明治維新後の廃藩まで11代にわたって主君の乗った馬の周囲を警護する御馬廻組(おうままわりぐみ)の組頭や奉行職を務めます。美しい庭園と豪商の屋敷、そして数々の展示品など、武家時代の風情を肌で感じることができます。

<武家屋敷跡 野村家> http://www.nomurake.com/

金沢の【長町武家屋敷跡】をボランティアガイドの「まいどさん」と巡ることで、武家社会の仕組みや町の見どころを教えてもらえる貴重な体験が待っています。数少ない現存する武士の町を、ぜひ満喫してみてくださいね。<text&photo:みなみじゅん 予約・問:金沢市観光協会「観光ボランティアガイド係」 https://www.kanazawa-kankoukyoukai.or.jp/volunteer/>

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