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冬の秘湯は最高のパワースポット(20)温冷浴に癒やされる山梨県・下部温泉

  • 2022.2.11
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開湯1200年の歴史を持つ山梨県南部、身延町の下部(しもべ)温泉。戦国時代の武将、武田信玄の隠し湯として「川中島の合戦」の傷を癒やしたと伝えられるお湯は、低温泉と高温泉、ふたつの源泉で多彩な効能があることが知られています。今回はそんな下部温泉を満喫すべく、由緒ある下部ホテルを訪ねました。

中部横断自動車道開通でアクセス便利に

温泉街には今も湯治場の風情を残す山梨県「下部温泉」。下部温泉には以前も訪れたことがありますが、今回は温泉街の手前にある、広々とした庭を持つ立派な老舗「下部ホテル」にお邪魔しました。1929年創業で、名湯百選にも選ばれた宿なのです。

新東名高速道路の新清水ICから開通したばかりの中部横断自動車道下部温泉早川ICを走って向かうと、東名高速道路東京ICから下部温泉早川ICまで2時間ほどで到着しました。これまで山梨県南部は交通アクセスがあまり良くなかったのですが、それに比べてとてもスムーズに訪れられた印象です。下部温泉早川ICからも10分もかからずに下部ホテルに。

公共交通でのアクセスする場合は、甲府駅や静岡駅からJR身延線・特急ワイドビューふじかわ号で下部温泉駅まで。そこから徒歩1分ほどで到着することができます。

下部温泉は武田信玄にとって重要な土地

下部温泉は信玄の父・信虎の時代から武田家が大切にしてきた温泉でした。合戦の後には傷を負った多くの兵たちが下部温泉で湯治して、傷を癒やしたといいます。

実はそれだけではありません。この下部温泉の奥の山間には金鉱もあったので、この周辺は武田家にとって資金源となる重要な土地だったのです。

下部温泉の東に位置する毛無山(けなしやま)の山中には、総称で「湯之奥金山」と呼ばれる、中山、内山、茅小屋の3つの金山がありました。15世紀後半から採掘が始まり、戦国時代には「金山衆」と称される集団が金山の経営にあたっていたといいます。

彼らは武田家の要請に応じて戦にも参加し、彼らの高度な技術は城攻めなどにも利用されたそうです。また道路建設や土木、治水など高い技術を持っていたともいいます。

下部ホテル 温かな空間でくつろぐ

下部ホテルのロビーは広々としていました。入ってすぐのロビーラウンジは「火のラウンジ」と名付けられていて、冬場は暖炉の炎が暖かく迎えてくれます。

その奥にあるのは「水のラウンジ」。室内には水が流れていました。この水のラウンジでは毎晩、「信玄出陣太鼓」のショーと餅つき大会が開かれているそうです。夕食後に拝見しましょう。

その水のラウンジの窓の外には縁台が備わり、足湯もありました。緑の木立と鯉の池を眺めながら、のんびりと温もるのもいいですね。

ホテル各所でいろんなサービスがあります

ロビーで注目すべきものは、まだありました。宿泊客が自分で自由にゆで卵を作ることができるんです。すでに何個も卵が茹でられているので、ほかの方の卵と間違えてしまいそうですが、そこは何とか覚えていました。

そしてガラス戸の中にあるのは「石原裕次郎写真展」コーナー。もちろん無料。実はあの大スター石原裕次郎さんは、1961年にスキーで大けがをして、ここ下部ホテルで湯治治療をしたのだそうです。

診断は粉砕複雑骨折で切開手術を迫られましたが、裕次郎さんは手術を避け、温泉療養と歩行訓練を続けることで驚異的な回復ぶりを見せたといいます。効能豊かな温泉だったからなのでしょうね。

ウィズコロナのライフスタイルに合わせて、客室にはすでに布団が敷かれていました。広縁もあるゆったりとした和室で、窓の外には1万坪という気持ちのいい大きな庭が広がっています。

2つの源泉で12種類のお湯を楽しむ

さて下部の温泉です。この下部ホテルは、下部温泉共同泉を引き湯しているアルカリ性単純泉のほかに、庭園から湧出する単純硫黄泉もあるので、12種の温泉を楽しむことができるのだそうです。

内湯には自家源泉の硫黄泉と下部温泉の共同泉、アルカリ性単純泉の2種類の浴槽がありました。

また、露天には岩風呂と八角形の桧風呂がありました。ここには昔ながらの下部の冷鉱泉もあります。熱い温泉と冷鉱泉に交互に入ることによって、交感神経と副交感神経を刺激して自律神経を整えます。これが下部温泉伝統の冷温浴で、ゆっくりとポカポカしてきて気持ち良くなるのです。

ちなみに、信玄は甲州や信州に30カ所ほどの隠し湯を持ち、合戦前には部下たちを一堂に集めて士気を高め、戦が終わると傷を癒やすために、それらの湯場を活用してきたそうです。温泉効果と金山衆の技術力のせいでしょうか、生涯の戦績は戦国武将でも群を抜く80戦60勝3敗17分けという好成績だったそうです。

そしてここからは想像ですが、金鉱の労働者たちにとっても下部温泉は大きな娯楽だったはずで、信玄の時代には下部温泉もたいそうにぎわったに違いありません。温泉は武田家の宝だったはずです。

夕食は食材の新鮮さがわかります

夕食は創作会席料理もありましたが、ダイニングでビュッフェを選択しました。今回は好きなものを自由に選んで満足する作戦です。

まずは山梨のブランド魚「甲斐あかね鱒」はサーモンのようにお刺身でいただきます。次にヤマメの焼き魚に牛ヒレステーキ、カキフライ、野菜サラダを。特別豪華な料理ではありませんが、食材はひとつひとつがとても新鮮に感じました。良い素材を吟味して使っている印象で、しかも丁寧に調理されているのがわかります。

山梨名物のほうとうは、とてもおいしいですね。たっぷりと入った野菜が新鮮。なぜかチーズパスタがあり、料理人が食卓の脇でハードチーズ(パルミジャーノ・レッジャーノ)にパスタを入れて熱で溶かしながらサービスしてくれます。

サービス満点で楽しませていただきました

夕食後に行われる「信玄出陣太鼓ショー」は、ホテルのスタッフが出演する名物イベント。もう30年以上も続いているそうで、堂に入ったものでした。

その後には餅つき大会も開かれました。通常はつきたての餅が観客に振る舞われるそう(コロナ過なので振る舞われませんでした)。朝食にも供されると聞き、そちらでいただきました。

規模の大きなホテルは、細かなサービスが大雑把になってしまいがちですが、下部ホテルは浴場やレストランのオペレーションもしっかりしていて、一人ひとりのスタッフも誠実にゲストに向き合っている印象で、とても好感が持てました。

身延山久遠寺に詣でる

下部温泉に来たなら、身延山久遠寺に詣でるのもいかがでしょうか。鎌倉時代に日蓮聖人によって開かれたお寺で日蓮宗の総本山です。

久遠寺に向かう山道周辺には、趣のある門前町が整然と広がり、自然景観も素晴らしい場所です。

標高1,153mの身延山山頂へはロープウェイでどうぞ。所要時間は7分。大人往復で1,500円、Webクーポンを利用すると1,400円です。山頂からは目の前に富士山を望むことができます。この日は天気は良かったのですが、富士山山頂にちょうど雲がかかっていました。

下部温泉 下部ホテル

住所:山梨県南巨摩郡身延町上之平1900

電話:0556-36-0311

[All Photos by Masato Abe]

 

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