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脚本家・渡辺あやの考える「やさしさ」。社会を変えるのは、一人一人の対話から

  • 2022.1.2
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映画『逆光』のワンシーン

目の前の相手を理解し、尊重する。社会を変えるのは、一人一人の対話から。

「権力側の暴走や表現・言論の自由の萎縮から生まれる“危機感”を抱いていたとき、NHKドラマ『ワンダーウォール』を書きました。実際にあった大学の自治寮をめぐる大学側と寮生の対立を主軸にしたのですが、これは私が抱く“政権への違和感”に通じると感じていました。だからこそ強い思いで挑みました」

渡辺さんは社会や政治への問題意識を、いつも作品の中に忍ばせてくる。しかし、そこから見えてくるのは何も問題への批判ばかりではない。まず問題の構造を理解し、そのうえで人々が“対話”をする姿勢だった。

「わからないものは怖いけど、理解した瞬間に恐怖心が薄れますよね。問題を内側から理解できると、自分でもなんとかできるんじゃないかと思えてきたりする。それを作品を通して共有することで、観てくださる方が自然に周りの誰かと対話し、新しいアイデアや解決策が生まれたらいいなと思っています」

『ワンダーウォール』は熱い共感と支持を得て、その後、視聴者の有志による自主イベント開催や映画化など有機的な広がりを見せていく。そして同作で主演を務めた俳優の須藤蓮さんと共同企画した映画『逆光』の公開も今夏から始まった。

「自主映画なので低予算であることは間違いない。その中でクオリティを落とさずに製作するには、何をすべきなのか。作品自体についてはもちろん、配給や宣伝活動のことも含め、監督の須藤蓮くんとは対話を何度も重ねました」

年齢も環境も違う2人が同じ映画に向かって邁進するためには、対話が不可欠だったようだ。『逆光』では学生たちが日本の核武装について議論するシーンも描かれているのだが、渡辺作品を観ていると、互いに言葉を尽くす対話や議論はとても建設的であり、相互理解と尊重のための行為なのだといつも気づかされる。

「なるべく自分の作品が発するメッセージは、やさしい手触りを持っていてほしい。誰かを傷つけるものではなく、いたずらに庇護するものでもなく。心の中が温まって、自然とエネルギーが湧き起こってくるような作品にしたいと思っています」

渡辺あやが手がける、やさしさを紐解く映画。

映画『ワンダーウォール』のワンシーン
『ワンダーウォール』2018年にNHK京都放送局が制作し渡辺あやが脚本を務めた「京都発地域ドラマ」が反響を呼び、未公開カットを追加して映画化。100年以上の歴史を持つ学生寮の老朽化による建て替えを計画する大学側と、補修しながら建物を残すべしと主張する寮生。ある日その両者の間を隔てる壁が出現することで事態が急展開し始める。大きな力に居場所を奪われようとしている若者たちの抵抗と葛藤の姿は現実社会に通じると多くの人に共感される作品となった。
映画『逆光』のワンシーン
『逆光』『ワンダーウォール』で出会った渡辺あやと須藤蓮が共同企画した自主製作映画で、渡辺は脚本、須藤は監督と主演を務めている。1970年代、真夏の広島・尾道を舞台に、2人の青年の情愛と2人を取り巻く様々な人間との関係を描いた物語。2021年7月17日からシネマ尾道で先行公開を開始、現在は全国で順次公開中。「地方から東京へ」という、従来とはまったく逆の配給展開を実現させることで新たな映画体験の可能性を模索している。制作・配給/FOL。

「心の狭さが分断を生む」

「今は“自分の心が狭い”ということがあまり社会の中で問題視されていないと感じます。自らの考えの狭量さを自覚したり、反省したりすることを私たちはあまり習慣にしていないですよね。おそらく世の中全体が狭量になってきていて、今はそれが標準になりすぎているからだと思います。

さらに私が気になっているのは“迷惑”というキラーワード。誰かから“迷惑がかかる”“迷惑になる”と言われた瞬間に、私たちは平謝りをし、態度を改めないといけない。そんな風潮が、個人と個人の関係をますます息苦しくさせている気がします。迷惑とは、突き詰めると誰かの言動で不快になること。

ですが、難しいことに、ある人が正しいと思っていることがほかの人にとっては不快だったりもするわけですよね。このような曖昧なものさしで人を断罪する前に、まずはなぜ自分が迷惑だと感じているのかを考えてみることが大切だと、私は考えます。人は案外、自分のことほどわかっていません。実は自分自身を理解できるようになれば、他者を理解しやすくなるのです。真に豊かで建設的な対話のために重要なのは、まず自己理解なのだと思います」

「怒っていたら仲間は増えない」

「怒りは人間にとって大切な感情ですが、今はそれがかなり共有されづらい時代だとも感じています。例えば野党は政権を監視し、暴走を防ぐ役割を果たしているにもかかわらず、ただ怒って反対している集団だと認識している人が多いですよね。つまりどんなに真っ当なことを主張しても、怒っているように見えては共感を得られない。

ではなぜ今の人たちが怒りというものに対してこれほど拒絶反応を示すのか。最近思うのが、怒りは花粉などのアレルギーととても似ているのではないかと。アレルギーは本来、敵ではない物質を摂取しすぎたために、今度は敵として過剰に反応するという説がありますよね。

現代人は自分自身の中に押し殺している怒りのようなものをいっぱい抱えすぎている。すでにその許容量は超えているので、他者の怒りに触れた途端に免疫機能が過剰に反応してアレルギーを引き起こしてしまっているのではないかと思います。だからなるべく作品を作る際にも、怒りをそのままストレートに表現せずに、楽しく見せるということを意識的にやらなくてはいけない。今の人たちにはそうでもしないと伝えられないと考えています」

映画『逆光』のワンシーン
映画『逆光』の一場面。「尾道は町自体に風情があり、魅力的な歴史がたくさんある土地。人々も映画に対する理解があり、協力的で嬉しかった」(渡辺)

「主体的な行動一つで世界は変えられる」

「映画『逆光』の監督・須藤蓮くんが作品製作について“自分たちがやりたかったのは主体的な振る舞い”であるという話をしていました。普段、私たちのような脚本家や役者はほぼ受動的に仕事をいただく立場ですが、今回は自主映画の製作を通して、主体的に物事を進めてみるとどういうことが起こるのか実験をしていたのだと思います。

そしてある発見がありました。主体的な行動をしている人の近くにいる人もまた、主体的であろうとするんです。それはスタッフだけでなく、応援しようとしてくれる人たちもみんなそうです。受け身の行動を取る人は一切おらず、そのおかげか、広島の方々をはじめ多くの人がこの映画公開のために進んで協力をしてくれました。

また人は主体性のスイッチが入った瞬間に、普段の何十倍ものポテンシャルが発揮されるということにも気づきました。それは本人にとっても、周りにとっても本当に気持ちが良くて楽しいことなんです。主体的であることの喜びに目覚めた人は、世界を変えるのは自分の行動一つだという希望も持てるようになっていくかもしれない。そんなふうに社会が変わっていくことを夢見ています」

「生産性のない人間は無用じゃない」

「私は昔からトーベ・ヤンソンのムーミンシリーズが大好きで、あの世界に憧れがあります。生き物が全部違う形をしていて、しかもみんなちょっと性格が悪いんです。じゃこうねずみは愚痴ばかり言っているし、ミィも陰険だったりしますよね。でも、ゆるく共存している。あれが理想的だなと子供心に思っていました。

いろんな人たちが凸凹のままでよくて、それぞれが抑圧されずに、押し殺されずに、100%その人の形のまま存在できて、ぶつかり合わない。そのバランスを私たちは感覚的に作り上げなくてはならないと思っています。すぐには難しいことだとしても。“人間の価値”という言い方がありますよね。

今は“経済的生産性がない人間は無用である”という解釈を暗黙の了解にしているところがあると思います。では生産性の低い高齢者は社会にとってお荷物なのかというと、絶対にそんなことはないと思います。一生の中で、その年齢に達した人にしかできない、してもらえないことは、山のようにあります。

赤ちゃんには赤ちゃんの役目があり、お年寄りにはお年寄りの役目が絶対にある。そこに生産性を求める必要はまったくないんです」

profile

渡辺あや(脚本家)

わたなべ・あや/1970兵庫県生まれ。映画『ジョゼと虎と魚たち』で脚本家デビュー。主な作品に『その街のこども』、連続テレビ小説『カーネーション』、『今ここにある危機とぼくの好感度について』など。

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