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「13歳の時、突然私は別の人になった」ソフィー・マルソーが語る。

  • 2022.1.7
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人気スター、型にはまらないセレブ、ソフィー・マルソーは自分が望むように人生やキャリアを歩んでいる。エマニュエル・ベルンハイムの小説に基づく映画『Tout s'est bien passé』(原題)で、ついにフランソワ・オゾン監督の作品に出演した。生、死、セリブリティー、ハラスメント……不動の人気を築いた女優の、貴重な打ち明け話。

"Tout s'est bien passé(全てがうまく行った)"のフォトコールに参加したソフィー・マルソー.(カンヌ、2021年7月8日)photo : Getty Images

ソフィー・マルソーに会ったのは、カンヌ映画祭の数日前。それから、彼女はアマゾン・プライム制作、リサ・アズエロス監督(『LOL 愛のファンタジー』)のコメディー『I Love America(アイ・ラブ・アメリカ)』を撮影するためにロサンゼルスに発っていった。

その日の午後、パリ16区のホテルで会った彼女は、まるで張り詰めた弓のように緊張しきっていた。フランソワ・オゾン監督の映画『Tout s'est bien passé』 (1)がまもなくカンヌの公式コンペティションに出品され、世間の注目を浴びて(彼女はタブロイド紙のお気に入りの獲物。人気スターにとっての地獄を味わっている)、カンヌの大騒ぎの中に飛び込むことにストレスを感じ、あちこち動き回っていた。

映画祭のような大騒ぎの場をソフィーが好まないことはわかっている。常に一人で走ってきた彼女は、群れや特権階級、映画界のファミリーやショービズの世界の取り決めから離れた自由な存在なのだ。

自由な発言

ソフィー・マルソーのほっそりとしたシルエット、引き締まった身体、飾らない美しさは、とてもシンプルであると同時に目を惹く華やかさを持つ。54歳の彼女は、驚くばかりの美しさだ。

インタビュー中、彼女は時折そっけない態度を取ることがある。彼女はありのままなのだ。しかし決して無礼ではなく、どちらかというと陽気だ。ソフィー・マルソーはどんな質問からも逃げず、自分を理解してもらうために奮闘する。彼女の言葉はほかの女優たちよりもはるかに自由で、いま広まっている慣行とは違って、記事の事前チェックを求めない。

フランソワ・オゾン監督は以前から彼女と仕事をしたいと思っていたが、ソフィー・マルソーは彼の提案をすべて断ってきた。しかし、作家エマニュエル・ベルンハイムの感動的な物語(『Tout s'est bien passé』)の映画化に、彼女はついにイエスと答えた。この映画は、脳卒中で深刻な後遺症を抱えた父親の死を手助けする娘の物語だ。的確で、毅然とし、厳かなソフィー・マルソーは、名優アンドレ・デュソリエとジェラルディン・ペラスと対峙する。

本人が望むのなら、この作品は彼女をより作家性の高い作品に導くだろう。ジャン=ポール・シヴェイラック監督の非常に親密な作品『Une femme de notre temps』の撮影を終えたばかりのソフィー・マルソーの独占インタビューをお届けする。

「夢中になりすぎることを警戒している」

ーー 3年前の監督作『Mrs Mills, une voisine si parfaite』以降、あなたのニュースを聞きませんでした……。

撮影する気になれなかったんです。一息ついて、距離を取りたかった。暴力的なこととも倦怠や憂鬱とも違い、ただペースダウンしていたんです。他人の世界に自分を投影する必要は感じませんでした。自分自身の世界を改めて見つけたかった。

私には物事を選択するゆとりの時間があり、その自由を守りたいと思っています。私には時々、インプットする時間や熟考する時間が必要なのです。急ぎすぎるのは苦手。時間がかかっても、少々飽きてもかまわない。激しい欲求や熱狂などは私には合わない。私は夢中になりすぎることを警戒しています。

ーーロックダウンの間は何をされていましたか?

特別なことは何もしていません。ただ生活していただけ。他のことに興味を抱き、たくさん読書をし、大好きな人たちと時を過ごしました。生活は充実しているし、いまも十分忙しいのだから、これ以上何か付け足す必要はない。だからロックダウンの間は、行動を起こすのではなく、内省をしていました。人生は定期的に行われる小さなアップデートで構成されている。自分がしたこと、しなかったことのすべてが少し自分に跳ね返ってくる年齢に達したと思います。だから50歳を超えると、自分がいまいる場所を見つめ直すようになる。時間が短くなり、自分の人生は一つではなく、複数あると考えることができるようになりました。

過剰な露出とその逸脱

ーー『Tout s'est bien passé』で、原作者のエマニュエル・ベルンハイムにインスパイアされたあなたの役は、堅実で決断力があり、人見知りなところがある。あなた自身に似ていると感じました。フランソワ・オゾン監督も、この映画はあなたについてのドキュメンタリーのようなところがある作品だと話していました……。

ああ、そう、彼がそう言ったの?私はすべての役に自分の一部を持ち込みます。ヒロインのエマニュエルはタフですが、女性はみんなタフ。特に死に関しては。一般論にはしたくないけれど、男性の方が死を受け入れにくい印象を受けます。女性たちは死という状況に真正面から向き合い、よりうまく対処できると思います。

女性たちは物事に対して有機的な関係を築いています。私の場合はそうです。人見知りではないけれど、あまりにも露出が多いと自分を守ります。自分の意に反して露出されることが耐えられないからです。そう、過剰な露出とそこから生まれる逸脱が私の人生を変えてしまう。それは自由を変え、間違いなく私の頭の中の何かも変えてしまうに違いありません。これは確かです。

私は人混みが好きではないし、人混みの中で存在する術を知らない。残念ながら私は有名人なので注目されますが、人ごみの中でも私が皆を見ることができて、誰も私を見ないのなら、幸せでいられると思います。私は人生においては、まったく女優ではないのです。

ーーこの作品は父と娘の非常に特別な関係について描いています。あなたは以前に、父親は少し不可解で迷いのある人だと話されていました……。

この年齢になっても、両親のすべてを理解することはできない。確実なことは何も言えない。何かを肯定しても、その逆もあり得ると気づくのです。私は人間の本質に興味があり、人類の仕組みを理解したいと常に願っていますが、他人の親密な部分や心の奥底には決して触れられないのです。でも、あなたに自分の家族については話そうと思いません。個人的なことは一切話しません。

ーーなぜですか?

これを話す、するとこの部分を取り上げられる。だから少し疑い深くなっています。すべてを解釈されたり、私生活に結び付けられたりするのはいやなのです。

映画ではフィクションと現実を説明しないで混ぜ合わせることができる。最高の逃げ場所、素晴らしい場所です。現実を否定しているという意味ではなく、現実を超えて、別の形で想像し、乗り越える権利を得ることができるのです。それに、真実はすべて揺れ動いています。

「より疑い深くなっているかもしれませんが、より傷ついてもいます」

ーーしかしインタビューは、それを受ける人が現在の現実をさらけ出す機会でもあります……。

私がそれを望まないかもしれませんよ。女優にも、一人になる権利があります。どうして常に個人的な質問に答えて、社会や政治の問題に意見を言わなければならないのか、私にはわかりません。まず公共の場でリンチに遭い、次には模範的な立場に置かれる。私はそんな責任を追うつもりはありません。私はスクリーンの中以外の場所にいるべきではない。映画をたたえるためなら、会話に参加するのはとても嬉しいですけれどね。

ーーあなたはより疑い深くなっているのですね……。

より疑い深くなっているかもしれませんが、より傷ついてもいます。家から出た途端、知らない間に写真を撮られ、窓の外にドローンが待機しているとしたら、自分の殻に閉じこもりたくなるのも無理はありませんよね?それがいつものことで、ずっと続くのです。彼らのストックやアーカイブの中にいったい何があるのかさえ分かりません……。私はどうしたらいいのでしょうか?銃を手に取って、ドローンを撃つ?でも銃は持っていません。

50歳、ただそれだけ

ーー50歳はあなたの女優としての人生の転換期でしたか?

映画でおばあさんを演じる機会は、突然やってくる訳ではありません。私は時間に逆らいたいとは思いません。 時間が勝つことは分かっているから。 むしろ、時間と仲良くしたいのです。

自分の経験から、人生と映画は同じではないと知っています。自分自身をスクリーン上で見るこ、時にショックを受けますし、それは若い時でも同じです。それを受け入れるかどうかなのです。私に関して言えば、カメラが好きで、カメラと戯れることが好きです。カメラが好きなのは同意に基づいた関係にあるからです。知らない間に撮影されることはありません。スクリーンを見て、失望することはあっても、決して裏切られたり、盗まれたり、犯されたと感じたことはありません。

ーーしばらくの間、あなたは作家主義の映画(ズラウスキー、ピアラ)に馴染んでいました。その後、より商業的な映画のために背を向けたように思われます……。

何にも背は向けてはいません。1本の作品を選ぶことに、正確な法則はありません。私はあらゆる色彩、笑いと涙、ドラマ、一人の作家の非常に特別な視点も好きですし、反対に、もっと普遍的なことも好きなのです。

業界の人たちは私に対して不正確なイメージを持っていることがあります。多くの人は私が近寄り難く、とても守られていると思っているようですが、このイメージに一番驚いているのは私自身だと誓えます。ある企画のために私に会いたいと思えば、私に会えばいいのです。それに私自身も監督なので、私にとっても人に会うことは重要です。人間的な関係が好きで、人が思っている以上に時間もありますよ。

モーピュからマルソーへ

ーーマネージャーだったドミニク・ベスネアールは、あなたはとてもミステリアスな人だったと言っています……。

そうなの?あなたは私をミステリアスだと思う?40本以上の作品に出て、13歳の時から私を知っているのに?映画の中で、私はすべての感情と誠意をさらけ出しています。隠れているつもりはまったくありません。私はたくさんのものを与えてきました。メイクしている姿もしていない姿も見せてきたし、滑稽であっても、欠点も含めてありのままの自分を見せています。これ以上、何を望むの?他の人に同じように要求してみて下さい!

ボタンを押せばほら、ソフィー・マルソーが出てくる、そんなのはもう終わりです。いまの時代、世界中に悪い習慣がはびこっています。全部、すぐに欲しがる。お腹が空けばボタン一つで食べ物が届く。飛行機のチケットが欲しい?クリック!ほら、届いた。耳を小さくして、目を青くしたい?ほら、スマートフォンですぐに変身。でもね、ソフィー・マルソーのアプリはまだないんです…。

ーーあなたが女優ソフィー・マルソーになるのはどの瞬間からですか?

私はスパイダーマンと同じ。とても若い頃に刺されてしまったのです!ソフィー・マルソーとソフィー・モーピュ(彼女の本名)が同じ人間の中にいて、私にも区別は難しい。何と言えば良いかしら?たとえ同じでも、それぞれ役割がある。ソフィー・マルソーは私に多くのことを教え、教育し、扉を開き、私の中に光をもたらしてくれました。これらすべてを、私は夢にも思っていませんでした。

私が夢見たのは、穏やかに過ごし、自立し、旅をすることでした。光の中にいること、人に見られること、それは私の本質ではありません。子どもの頃、学級写真を撮るときは泣いていました。カメラを見ると、自分の魂が奪われるように感じていたのです。

ーーあなたは人生のある時期に、少し「気難しい」と有名でしたが、かなりの方向転換をしたように思えます……。

女優でいることは教わるものではありません。少なくとも、セレブでいることは教わりません。あなたの言うように「気難しい」ままで終えたくはありませんでした。クールで柔軟で、自分自身と調和していなければ意味がない。その道のりはとても長いものでした。というのも、幼い頃にすべてが私に降りかかってきて、それは暴力的なものになっていたかもしれない。13歳の時、突然私は別の人になり、名前も変わってしまいました……。

ーー何度も話されているはずですが、あなたが名前を選んだのですよね?

パリの通りや大通りのリストを渡されて、その中から自分のイニシャルが残せるマルソー通りを選んだというわけ。なのでソフィー・ドゥ・ラ・ポンプになっていたかもしれません(笑)。(貴族の名前につく)ドゥにはこだわらなかったけれどね。

ーー思春期の頃から映画に出ていますが、MeToo論争に関心はありますか?

この運動は、素晴らしく、歴史に残るもので、長い目で見て有益なものになることを心から願っています。男性を敵に回すわけではないのですが、女性を守る方に回ります。

映画の世界は、規制の中で仕事をするわけではないので、他の職業よりも境界線は曖昧です。レストランのオーナーがウェイトレスのお尻を触るのは明らかに行き過ぎた行為です。しかしホテルのスイートルームで待ち合わせを提案されたと憤慨する女優たちの証言を聞くと、「いや、そこは外国人が人と面会する場所だから」と思います。それならキャスティングは?ヌードのシーンがあるから服を脱ぐように言われたら、何と答えますか?ノン、私は服を脱がない、と答える?もちろん私も経験があります。そのときはヌードにはならず、ブラで止めました。ですがこれが(映画の)シーンの中だったら?18歳で、ハリウッドのスタジオがそれを要求し、部屋の中に監督がいれば、そう、Tシャツを脱ぐでしょう。

率直に言って、「私を何だと思っているのですか?」と言って立ち去る女優を、私はあまり知りません。あとは、ご存知のように、ことは複雑。行き過ぎた行為、不適切で、受け入れ難いことがたくさんあります。

私も数えきれないほどの提案を受けましたが、既に仕事をしていて名前も知られていたので、抵抗するための武器がありました。なにがなんでも映画に出る、という夢を持った若い新人ではなかった。それに私はこのような環境で育ったわけではなかったので、誘惑の関係については最初から少し怪しいと感じていました。

このシステムは非常に悪質です。繰り返し言いますが、これに対して闘い、告発しなければなりません。

(1) "Tout s'est bien passé(全てがうまく行った)"、フランソワ・オゾン監督、ソフィー・マルソー、アンドレ・デュソリエ、ジェラルディン・ペラス出演。9月22日(フランスにて)公開。

 

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