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ermhoiさんニューアルバム『DREAM LAND』インタビュー。Vol.1 夢と現実のはざまを漂うかのように、私は音楽を作る

  • 2021.12.16
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ソロアーティストとしてはもちろん、millennium parade、Black Boboiのメンバーとしても活躍し、映画『竜とそばかすの姫』では初の声優に抜擢され、活躍の場を広げているermhoiさん。2021年12月15日、ニューアルバム『DREAM LAND』をリリースしました。アルバムのこと、ジャンルも地域もさまざまな音楽的ルーツのこと、そして、愛してやまない映画のことなど、たっぷりお話を聞きました。3回に分けてお届けします。

──『DREAM LAND』は、タイトル通り、夢の世界を表現したような、非常に幻想的な雰囲気があります。でも、歌詞を見れば、エコロジカルでメッセージ性もあって。重層的な魅力のあるアルバムだと思いました。繰り返し聴きたくなる作品だなと。なぜ、「ドリーム=夢」が今回のテーマなんでしょう?

自分のことを、いちばん面白いなと思う瞬間が、寝る直前なんです。夢うつつの状態でいるときに、よく謎のイメージが浮かんでくるんです。翌日起きれば忘れてしまうぐらい些細な、すごく一瞬のイメージ。その、現実と夢のはざまを行き来する瞬間にドキッとするんです。ああ、自分の脳みそってこんなに面白かったんだとびっくりする。人間の潜在能力ってすごいなって。

──確かに。普段は使ってないような部分が、まどろんでいるときにだけ覚醒するような感じってありますよね。

そうなんです。それは音楽を作るときの感覚にも似ていて。私は曲から作ることが多いんですが、その最中に、たぶん、無意識に感じとったイメージが言葉となり詞となり歌が完成するんですが、その感覚が、夢と現実のはざまの状態、意識しているのか無意識なのかがわからない状態にちょっと近いなって。だから、自分の曲たちもそういうイメージの結晶体だなと思ったときに、ああ、これはドリームランドだなと。そういう世界を歌ってるんだなって。

──なるほど。夢の場所。

夢の世界。タイトル自体は結構ノリでつけていたので、スタート地点は本当に適当で(笑)。徐々に意味を持ち始めた感じはありますね。

──先行配信された『埋立地』はMVもすごく幻想的です。これはなぜ“埋立地”なんですか?

学生の頃、東京の埋立地によく遊びに行ってたんです。新木場近辺へ。人工的に造られた場所って、空気感が不思議なんです。海の上に土地が広がっているからなのか、どこにいるのかわからなくなって。埋め立てているので海抜は高くないのに、高いところにいるような気持ちにもなって、縮尺がわからなくなる感じというか。そのときに、結構、感傷的になって。いままで考えなかったことを、例えば、自分の生活についてだったり、人との関係性だったり、生きてるってなんだろうとか。とにかく、いろいろ考えるきっかけになる場所なんです、埋立地って。

──その気持ち、よくわかります。「どこにいるんだっけ?」って気分になりますよね。どことなく、サイバーパンクな雰囲気もあって。ちょっと『ブレードランナー』的というか。近未来っぽさもあって。

巨大な橋(東京ゲートブリッジ)があったり、大量のテトラポットが並んでたり。ものすごく人工物が並んでるのに、都会の中にいる寂しさはなく、なんだか清々しい気持ちになるというか。そこが気に入っていて。

──古い人間なので、ドリームランドで埋め立て地ときたら、江東区の夢の島のことかなとか思っちゃいました。

あはははは。でも、確かにそうですよね(笑)。

──音楽に興味を持つようになったのはいつ頃からですか?

中学生の頃です。鼻歌をうたって歌詞を書いたりして。でも、それをちゃんと形にできるとは思ってなくて。なんとなくメロディーが頭に浮かぶんですが、それをどうこうすることもなく。

──音楽に親しむ環境ではあったんですか?

両親ともに音楽好きで。父は、クラシックギター弾いたりしてましたし、母も音楽を聴くのが好きでしたし。

──お母さんがアイルランドの方なんですよね?

アイルランドのダブリン出身です。母は、ボブ・ディランが好きで、ジョニ・ミッチェルが好きで、ザ・バンドが好きで。

──60年代70年代のロックで育ったロック少女。

そうです。あとは、シネイド・オコナーとかクランベリーズとか。

──アイルランド贔屓で(笑)。

だから私も自然とそういった音楽には親しんでいました。父はジャズがメインなので、ボサノバとかをよく聴いていて。あと、4つ違いの姉がいるんですが、姉は流行りのJポップや、ちょっとマニアックなものを聴いていて。自分で初めて買ったCDはスピッツでした。あと、東京事変。姉妹で椎名林檎が大好きだったので。

──いつ頃から音楽を自分でやろうと?

高校のときですが、学園祭でバンドを遊びでちょろっとやるぐらいだったので、本格的にやってたわけでもなくて。

──ギターを弾いて?

そのときはベースでした。中学では、吹奏楽をずっとやってたんです。トランペットを吹いたりしてたんですが、高校でイヤになってやめてしまって。そこからはフラフラしてました。趣味で知り合いのオーケストラに参加するとか、バンドをやるとか、一定した何かがあるわけではなく。なので、ちゃんと音楽をやるようになったのは大学に入ってから。周囲の人たちがコンピュータを使って音楽を作っていたので、自分でもやってみようかなあって。

──じゃあ、いまの音楽仲間、例えば、millennium paradeの常田大希さんやBlack Boboiのメンバーや、そういう方々とは大学時代に出会ったんですか?

大希と出会ったのは卒業する頃でした。大学4年のときに『Junior Refugee』という初めてのソロアルバムを作って、Salvaged Tapesというレーベルから出したんです。それを、ミニマルミュージック楽団の東京塩麹の主宰者・額田大志くんが見つけて気に入ってくれて。彼は大希や石若駿と同じ東京芸大の同級生だったので仲が良くて。

──ああ、なるほど!

それで、芸大の仲間たちに広めてくれて。ある日、大希から連絡が来たんです。「一緒に音楽をやりましょう」と。駿と出会ったのもそのタイミングでした。で、それぞれのソロプロジェクトに参加するようになって。

──その世代の横のつながりって、すごく面白いじゃないですか。いまのエッジイな音楽シーンを牽引していて。みんなどうやってつながっていったのかと思っていましたが、やはり芸大ネットワークなんですね。“ヌーの群れ”が(笑)。

私の場合は音楽を通してだったので、なんだか不思議でした。私はそんなにコミュ力が高くないと思ってるんですけど、自分から売り込むとか、すごい苦手だし、夜もそんなに出かけないですし。

──クラブやパーティに行ったりとかは?

全然。だから、そういう付き合いが全然できなくて。ただただ一人で創作をして。モンモンと(笑)。外に出たら出たで、人には会いたいんです。でも、遊び回るほどエネルギーがないんです。だから、自分が作った音楽がいろんな人に出会わせてくれた、というのが嬉しかったですね。

──人見知りですか?

かも(笑)。自分でもよくわからないんですが、あんまり得意なほうではないですね。

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