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片思いのつらさから救われる方法?【ひとみしょうの男ってじつは】

  • 2021.10.24
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片思いというつらい状況をどうにかしたいと思う女子が多いからか、ひところは片思いを両思いにする方法とか、「脈あり」と知る方法などについて書いてくださいという依頼が多くありました(この『Grapps』ではなく他の媒体から)。

で、たくさんの「方法」を書いてきましたが、最近になって、書いたことは全部ウソだったな、と思うようになりました。

本当はそんな方法なんてない

というのも、本当はそんな方法なんてないからです。

と、うすうす知っていましたが、まあ、メディアというものはどれも「本当のこと」を書いてはいけないという暗黙の了解があり(読者をガッカリさせたり、読者に努力を強要することは書いてはいけないという暗黙の了解があり)書けませんでした。

今回は本当のことを書きたいと思います。

片思いのつらさから救われる方法があるとすれば、それは歌を歌ったり聴いたりすることではないでしょうか。

というのも、片思いについて歌っている歌はどれも「本当は」あなたのことが好き、ということ「だけ」を歌っているからです。つまり、「言えなかった本当のこと」だけを歌っているからです。

ところで、その「本当のこと」は、誰に向けて歌われているのか、考えたことありますか?

あの頃のあなたに向けて歌っている?

たしかにそうですね。「今のあなた」はもしかしたらあの頃と性格が変わってしまっていて、好きになれない男かもしれませんから。ルックスもあの頃と変わっていて、とても好きになどなれない男になっているかもしれませんから。

だから「あの頃のあなた」に向かって「本当は好きなの。付き合いたいの。抱いてほしいの」と歌っていると解釈されるべきでしょう。

今のあなた・あの頃のあなた

でも、言うまでもなく「あの頃のあなた」は、空想上の存在であって、今この世に存在しませんね。今存在するのは「今のあなた」であり、「あの頃のあなた」ではないからです。

ということは、より正確には、片思いの歌というのは、この世に存在しない何者かに向けて歌われるものだと言えます。

この世に存在しない存在?それを私たちは端的に「神様」と呼ぶのではないですか?

つまり、片思いの歌とは、神様に向かって「本当はあの頃のあの人のことが好きなの」と歌っている、ということではないでしょうか?

「本当は」ということを言う相手を、私たちは持ちません。友だちに「本当はあの頃のあの人のことが好きなの」と言ってもいいですが、でも友だちはきっと「そっか。でももう諦めなよ」と言うでしょう。そう言われたらむきになって「でも好きなの!本当に好きなの!ああ、片思いのつらさって親友にすら伝わらないのね」と言うでしょう。

今の彼氏に「本当は」と言えるか?言えないでしょう。言ってしまうと「俺のことよりあいつのことの方が好きなら、あいつに告白して付き合えばいいじゃないか」と言われるのがオチでしょう。

というわけで、わたしたちは「本当に思っていること」を神様に向かって言うしかないのです。

片思いのつらさと祈り

本当はこういう男性とこういう恋愛をしたい。本当はこういう仕事に就きたい。本当はこういうところで暮らしたい。本当は……本当は……。

そのような気持ちを、他人は「高望み」とか「世間知らず」「自分のことが自分でわかっていない」と言います。しかし、それは本当でしょうか?

ぼくは違うと思います。

なぜかわからないけど、「この自分」ではなく「別の自分=<本当>のことを地で生きる自分」を志向する心のはたらきをわたしたちは持ってしまっているということではないでしょうか。本当のことを目指してしまう自分を心の中に飼ってしまっているのが私たち人間だ、ということではないでしょうか。そして、それを「神様に」言わないと(歌わないと)気が済まない自分が、心のなかにいるのではないでしょうか。

それを神様に言うこと、歌うこと。それを祈りと私たちは呼ぶのではないでしょうか。

※参考 『希望を生みだす方法』ひとみしょう(玄文社)2021

(ひとみしょう/作家・キルケゴール協会会員)

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