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村上春樹が「心のどこかで求めていた」物語たち。結末に残る謎も...。

  • 2021.10.20
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第74回カンヌ国際映画祭脚本賞ほか4冠を達成した映画「ドライブ・マイ・カー」(監督・脚本 濱口竜介、主演 西島秀俊)。脚本賞の受賞は、日本人、日本映画では同映画祭史上初という。

原作は、村上春樹さんの著書『女のいない男たち』所収の「ドライブ・マイ・カー」。『女のいない男たち』は、同作を含む6編からなる短編小説集。2014年に文藝春秋より単行本として刊行され、16年に文庫化された。

妻を失った男の喪失と希望を綴った「ドライブ・マイ・カー」に惚れ込んだ濱口監督が、自ら映画化を熱望したそうだ。

映画化で再注目されている本作だが、じつはオバマ元米大統領が「2019年のお気に入りの本」に挙げたことでも話題になった。現在、累計発行部数70万部突破、19ヵ国語に翻訳されている。

あまり好きではないまえがき

本作の特筆すべき点として、やや長めの「まえがき」があることが挙げられる。

村上さんは本来、まえがきやあとがきをつけるのがあまり好きではないという。理由は「偉そうになるか、言い訳がましくなるか、そのどちらかの可能性が大きい」ため。

ただ、本作は「成立の過程に関していくらか説明を加えておいた方がいいような気がする」ということで、「業務報告」的に記している。本作のモチーフについては......

「文字通り『女のいない男たち』なのだ。いろんな事情で女性に去られてしまった男たち、あるいは去られようとしている男たち」

「どうしてそんなモチーフに僕の創作意識が絡め取られてしまったのか」。自分の身に起こったわけでも、身近に実例を目にしたわけでもなく、「僕自身にもその理由はよくわからない」という。

「ただそういう男たちの姿や心情を、どうしてもいくつかの異なった物語のかたちにパラフレーズし、敷衍してみたかったのだ。(中略)僕はおそらくこのような一連の物語を心のどこかで自然に求めていたのだろう」

1つの短編がもうすでに始まっているかのような、独特な「まえがき」である。

女のいない6人の男たち

さて、本編に入ろう。主人公を1人ずつ簡潔に紹介する。

■「ドライブ・マイ・カー」
自分以外の男と寝ていた妻に先立たれた俳優。

■「イエスタデイ」
友人から「おれの彼女とつきおうてみる気はないか?」と提案された学生。

■「独立器官」
交際する女性に不自由したことのない美容整形外科医。

■「シェエラザード」
家にこもり、週に2度訪れる主婦の話を聞くのを楽しみにしている男。

■「木野」
同僚と妻が関係を持っていたことがわかり、会社を辞め、バーを始めた男。

■「女のいない男たち」
昔の恋人の自殺を、夫からの電話で知らされた男。

ここでは、個人的に最も印象深かった「独立器官」を紹介しよう。設定は、渡会(とかい)という人物について「職業的文章家」の僕が記述する、というもの。

渡会は52歳、独身。六本木で美容クリニックを経営。結婚願望はなく、女たちの「浮気の相手」になることを得意とした。それでも、深刻なトラブルは1度もなかった。

渡会の「ツキに恵まれた生活」は、おおよそ30年にわたり続いた。ところが......

「ある日、渡会は思いもよらず深い恋に落ちてしまった。まるで賢いキツネがうっかり落とし穴に落ちるみたいに」

いったいなにものなのだろう

恋に落ちた相手は、16歳年下の既婚女性だった。渡会は生まれて初めて「とりとめない、見境のない気持ち」を抱き、ひどく動揺した。

「次第に彼女のことを深く愛するようになり、後戻りができないようになってきて、それで最近よく考えるようになったんです。私とはいったいなにものなのだろうと」

渡会が恵まれたのは「ツキ」ではなく「憑き」だったのではないか。中盤以降、なにやら不穏な空気が漂い始める――。

最後に、渡会が僕に口にした「女性全般についてひとつの見解」を引用する。

「すべての女性には、嘘をつくための特別な独立器官のようなものが生まれつき具わっている(中略)顔色ひとつ、声音ひとつ変えない。なぜならそれは彼女ではなく、彼女に具わった独立器官が勝手におこなっていることだからだ」

全編をとおして謎がいくつか潜んでいる。中には、謎が残されたまま結末を迎えるものも。とりわけ後半の3編は、最終行を読み終えたときにどう解釈しようか......と悩んだ。

ただ、こうした悩ましさも本作の味わいの1つかもしれない。読み始めたらもう釘付け、読者を引き込む力が凄い作品だ。

■村上春樹さんプロフィール

1949年京都生まれ、早稲田大学文学部演劇科卒業。79年『風の歌を聴け』で群像新人文学賞、82年『羊をめぐる冒険』で野間文芸新人賞、85年『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』で谷崎潤一郎賞、96年『ねじまき鳥クロニクル』で読売文学賞、99年『約束された場所で underground2』で桑原武夫学芸賞、2006年フランツ・カフカ賞、フランク・オコナー国際短編賞、07年朝日賞、坪内逍遙大賞、09年エルサレム賞、『1Q84』で毎日出版文化賞を受賞。ほかに『ノルウェイの森』、『海辺のカフカ』、『神の子どもたちはみな踊る』、『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』、『騎士団長殺し』、『猫を棄てる』、『一人称単数』、また『翻訳夜話』(柴田元幸との共著)、『レイモンド・カーヴァー全集』、『フラニーとズーイ』(J.D.サリンジャー)、『ロング・グッドバイ』(レイモンド・チャンドラー)など多くの著作、翻訳がある。

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