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店主が貫く頑固一徹ラーメン道 高田馬場の伝説「べんてん」の鮮烈な記憶【連載】ラーメンは読み物。(4)

  • 2021.10.15
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雨後のタケノコのごとく生まれ、そして消えてゆく都内のラーメン店。そんな激しい競争を勝ち抜いた名店を支える知られざる「エネルギー」「人間力」をフードライターの小野員裕さんが描きます。

伝説の高田馬場店

私(小野員裕、フードライター)が「べんてん」に出合ったのは30年ほど前になります。

高田馬場の神田川沿いにポツンとたたずんだ風情は、どこか町中華を思わせる雰囲気の店でした。当時は客もまばらでしたが、ここのラーメンとつけ麺を食べたとき、その力強いおいしさに圧倒されたのを記憶しています。

開店から3年ほどで評判を呼び、いつしか行列の絶えない人気店となりました。

店主の田中さんはもともとサラリーマンでしたが、諸事情で実家の中国飯店を継ぐことになり脱サラをしました。

レストラン業は順調なものの、多くの調理人やフロアの従業員をかかえ、長らく職人兼社長として営業していましたが、人を使うことの難しさを感じ、閉店することに。

それからしばらくして、誰にも気を使わずひとりで店をやりたいという思いが芽生えます。

オープンは約30年前

田中さんは子どもの頃から料理好きで、また方々の店を食べ歩いていたことから、実家での調理経験を生かし、大好きなラーメン屋を開業することを決意。そして高田馬場の地に約30年前、べんてんをオープンさせました。

べんてんのラーメン。写真は移転後のもの(画像:小野員裕)

朝方まで大量のゲンコツ、豚足、鶏ガラ、時間差でサバ節などを煮込んでスープを作り、夜中も店に立ち寄り、その具合を見る熱心な仕事ぶりでした。仕上がったスープはやや薄茶色で、実に力強い味わい。ガラなどの具材は一般店の3倍使っていました。

自家製麺ブームを作った

開店当初、田中さんは製麺所の麺を使用していましたが、どうしても納得がいかず製麺機を購入して自家製麺を始めました。

当時、べんてんが自家製麺を作っているとうわさが拡散。新旧のラーメン店が同社の製麺機を購入するブームが起こり、店主の田中さんは製麺機会社に感謝されたとの話もあります。

べんてんの製麺機。写真は移転後のもの(画像:小野員裕)

中太の多加水麺はツルツルで滑らか。ゆで上がりもラーメン、つけ麺などメニューに合わせてドンピシャです。自家製麺は並盛りで350g、中盛りで600g、大盛りで1kgと、大食漢や学生、サラリーマンの胃袋をわしづかみにしていました。

また特別メニューが月1で披露され、甲殻類などでダシを取ったラーメンを提供。べんてんファンにとってそのイベントは、ひとつの楽しみでした。

ラーメンのが持つ四つの魅力

べんてんのラーメンは

・大ぶりな肩ロースのチャーシュー・下味のしっかりしたメンマ・力強いスープ・滑らかな麺

がよく絡み、特に奥深いスープは思わず飲み干してしまうほど。

つけ麺は長めにゆでた麺がさらに滑らかで、つけスープは酸味とほどよい甘味があり、食欲が加速します。塩ラーメンはやや固めにゆでた麺の上に、ネギやショウガを乗せ熱々の油をかけて仕上げます。貝類の元ダレとスープが合わさり、さっぱりとしながら底力のあるおいしさです。

現在人気のラーメン店の店主も多く訪れていました。よく見かけたのが千歳船橋「勢得」(世田谷区桜丘)のご夫婦。松戸「とみ田」( 千葉県松戸市)の店主。東池袋「大勝軒」の店主。上板橋「魂の中華そば」(板橋区上板橋)の店主などです。

どの店主もべんてんの味の謎を探ろうと、具材やスープの具合、田中さんの一挙手一投足を逃さず観察していました。

ファンからの人気もさることながら、ラーメン専門店からも一目置かれる存在となり

「高田馬場で抜群においしいラーメンはべんてんしかない」

と誰もが口をそろえて言うほどでした。

べんてんのスープ。写真は移転後のもの(画像:小野員裕)

さまざまなメディアからの取材申し込みも多かったのですが、田中さんは頑固な職人を絵に描いたような人で、電話の応対や態度が悪いと即座に取材を断るかたくなさでした。

そんな人気絶頂の最中、田中さんは体調不良などの影響から閉店を決意。うわさを聞いたラーメン屋の店主、ラーメンフリーク、べんてんファンが連日訪れ、いつも以上の長蛇の列となりました。

閉店日のカウントダウンとともに行列の長さは増し、閉店日の前日には夕方から並び始め、翌日は160人強の大行列となり、各種メディアに取り上げられるほどでした。そして2014年6月28日をもって閉店。高田馬場でおよそ十数年の営業でした。

閉店2年で復活

その後、田中さんの体調は和らぎました。また、息子さんの店を手伝いたいという意思を聞き、およそ2年のインターバルを経て、板橋区成増の地に2016年9月18日、復活しました。

そのうわさは瞬く間に飛び火し、開店日には60人ほどの長蛇の列が。住宅街ということもあり、近隣からのクレームで警察も駆けつける騒動となりました。

開店当初は息子さんが仕事に慣れていなかったこともあり、べんてんの一番弟子、早稲田「としおか」(新宿区弁天町)の岡部さんもしばらく店を手伝っていました。

「岡部も義理堅いよね。助かったよ」

と、田中さんがしみじみとつぶやいていたのを思い出します。

べんてんの内観。写真は移転後のもの(画像:小野員裕)

現在は高田馬場時代と変わらず、常時20人ほどの行列ができています。サラリーマンだった息子さんは仕事ののみ込みが早く、今では田中さんと遜色のない仕事ぶりです。

高田馬場時代と変わった点は、営業時間が11時~14時半と短くなり、麺の量は並盛り250g、中盛り300g、大盛り700gとなりました。

また近隣の迷惑になるとの理由で、特別メニューも止めました。べんてんファンにとっては楽しみがひとつ減りました。

現在コロナ禍により臨時休業をしていますが、世間の様子を見て、開店準備にとりかかっている最中です。

小野員裕(フードライター、カレー研究家)

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