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「女子ソフト世界一」監督が自宅に引きこもって半年間続けてきた"ある勉強"

  • 2021.10.4
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今年7月の東京オリンピック(五輪)で、ソフトボール日本代表を金メダルに導いたのが、宇津木麗華ヘッドコーチ(監督)だ。2大会続けて競技種目から外れ、待ち望んだ東京大会がコロナ禍で1年の延期。思うように練習ができない中、宇津木監督はどのようにチームの結束を固め、強いチームを作ることができたのか。スポーツライターの元川悦子さんがリポートする――。

東京オリンピックで優勝を決め、選手たちに胴上げされる宇津木麗華監督。2021年7月26日、横浜スタジアムで
東京オリンピックで優勝を決め、選手たちに胴上げされる宇津木麗華監督。2021年7月27日、横浜スタジアムで
メダルを目指して準備してきた

ソフトボール日本代表が今年7月の東京オリンピック(五輪)で宿敵・アメリカを2-0で下して悲願の世界王者の座をつかんでから2カ月。宇津木監督は改めて安堵の表情をのぞかせた。

「確実に(東京五輪で)金メダルを取れるやり方だけを考えて、何年も準備をしてきました。その間は無我夢中であまり感じませんでしたが、振り返ってみると、背負ってきたものの大きさを感じます」

宇津木監督は、1988年に、尊敬する宇津木妙子さん(元日本代表監督)を頼って中国から来日し、95年には宇津木妙子さんから日本名をもらって帰化した。2000年シドニー五輪の銀メダル、2004年のアテネ五輪の銅メダルに貢献するなど、日本代表チームの主力選手として活躍した後、実業団チームや日本代表チームの監督として、東京五輪を見据えて後進の育成に関わってきた。

代表選手時代の宇津木監督。2000年のシドニーオリンピックで 写真提供=日本ソフトボール協会
代表選手時代の宇津木監督。2000年のシドニーオリンピックで 写真提供=日本ソフトボール協会

宇津木監督がコロナによる異変を肌で感じたのは、2020年1月から2月のオーストラリア、グアムでの海外強化合宿から帰ってきた時だった。3月5日から沖縄県読谷村で実施予定だった強化合宿が中止になり、「これは大変なことになる」と暗澹たる気持ちになったという。

さらに3月24日、東京五輪の1年間延期が正式決定。4月には、最初の緊急事態宣言が発令され、群馬県にある自宅に閉じこもり身動きが取れなくなった。

その後、以前率いていたビックカメラ女子ソフトボール高崎(ビックカメラ高崎)の練習に少しずつ顔を出すようになった。日本代表チームの選手も、五輪の延期で気落ちしている。ビックカメラ高崎に所属する日本代表のエース投手・上野由岐子選手らの状態チェックは喫緊の課題だったが、接する際は2メートルの距離を取らなければならず、長時間の会話もはばかられる状態だった。

東京五輪優勝メンバーたち
東京五輪優勝メンバーたち
去年やっていたら、今年とは違っていた

そもそもスポーツはコミュニケーションの上に成り立つものなのに、その前提が崩れるのは、指導者として大きな痛手だった。「自由に会話ができないとチームの雰囲気づくりも難しい。ソフトボールのような団体スポーツにとっては致命的になりかねないので、本当にしんどかった」と振り返る。

短期間で急成長を遂げた20歳の後藤希友選手と話をする宇津木監督 写真=日本ソフトボール協会提供
短期間で急成長を遂げた20歳の後藤希友選手と話をする宇津木監督 写真=日本ソフトボール協会提供

しかしコロナ収束のメドが立たず、苦境に立たされる中、宇津木監督は数カ月後に訪れるであろう代表活動再開に備えて、選手に伝えられる材料を増やそうとした。

「自宅に引きこもって、自分のチームや対戦相手の過去のビデオを毎日見て細かく研究しました。やはり、経験だけではダメで、指導者には、静かに勉強する時間も必要です。あの半年間でそのことに気づいたのは大きかったですね。もし予定通り2020年に(五輪の試合を)やっていたら、今年の試合とは違う結果になっていたかもしれないと思うくらいです」

ソフトボールの知識や情報を貪欲に吸収する傍らで、選手との意思疎通の方法も模索した。コロナ禍では全員が1つの大部屋に集まってミーティングを行うことは難しい。過去の代表合宿で実施してきたような1対1の面談もしづらくなる。これまでとは異なる環境の中で、どうしたら選手たちとうまくコミュニケーションが取れるのか、どうしたら選手たちに自信を持たせられるのか……。それを日々、真剣に考えた。

チームをつなげた宇津木監督の秘策

その一手がタブレットの導入だった。日本ソフトボール協会の了解を取り付けた宇津木監督は、2020年11月の代表活動再開時に、チームの全員に端末を配布。それを使いながらリモートミーティングなどを実施するようになったのだ。

選手に積極的に話しかける宇津木監督 写真=日本ソフトボール協会提供
選手に積極的に話しかける宇津木監督 写真=日本ソフトボール協会提供

オンラインであれば、距離は関係ない。当時、アメリカから出国できなかったコーチのカサレス・ルーシーさんもオンラインで参加し、スタッフ同士の意思疎通も密になった。他競技ではこの頃、スタッフ間のクラスターが発生したケースもあったが、ソフトボールの代表チームでは感染が広がることがなかった。

映像やデータを使った研究も容易になった。これまではプロジェクターを使って大型画面に映し出し、全員で見ながら議論をすることが多かったが、それだとどうしてもチーム全体にフォーカスすることが多くなる。一方、タブレット端末を使えば、個々の選手に課題や改善点を提示しやすいし、グループやポジションごとのミーティングも開きやすい。こうした利便性はリモートならではだ。

「リモート活用の一番の変化は、選手たちが積極的に発言するようになったことですね。大人数が一堂に会するミーティングだと、お互いの顔色を見ながらになりがちです。うちの選手はみんな、よく話す方だと思いますが、それでも人前で話すのが苦手な選手はいる。そういう選手は、リモートだと他人が周りにいないので、リラックスでき、意見を言いやすくなります。効果は絶大でしたね」

「しゃべろう。もっとしゃべろう」

現場では、普段から宇津木監督から選手に「ねえねえ、会話しようよ」「喋ろうよ」と話しかけ、緊張感を和らげる対話を促している。「監督」や「ヘッド」と呼ばれることを嫌う彼女は、中国名の苗字の「任」を使って「ニンさん」と呼ばれ慕われている。

選手の一挙手一投足を真剣な表情で見守る宇津木監督 写真=日本ソフトボール協会提供
選手の一挙手一投足を真剣な表情で見守る宇津木監督 写真=日本ソフトボール協会提供

東京五輪の決勝・アメリカ戦では、先制点のタイムリーを放ったほか、窮地に立たされた6回に強烈ライナーをダイレクトキャッチする奇跡のプレーを見せて、ひと際注目された遊撃手の渥美万奈選手(トヨタ自動車)は当初、「感情がすぐに出てしまうところがあって、何かあるとすぐに涙が出てしまう方でした」という。

「自分の思いを積極的に表現せず、内にためてしまうからじゃないかと思ったんです。それで『カントクとしゃべろう、もっとしゃべろう!』と積極的に話しかけるようにしていたら、私だけでなくほかのチームメートとも練習中によくコミュニケーションを取るようになりました」

シャイだったレフト・山崎早紀選手(トヨタ自動車)も、進んで話をするようになった。「どんどん会話をして、自分の感情を外に出せば緊張感もほぐれるし、コミュニケーションも進みます」。そうして風通しのいい雰囲気が生まれ、チームの結束が高まった。

また、問題点を言葉にすることで、解決策を見つけられることも多い。言語化する過程で問題が整理できるし、誰かに話せば会話が生まれ、ほかの人の言葉から解決策のヒントが得られることもある。

「コロナ禍が始まってからは特に、『とにかく明るく、笑ってやりましょう』と言っていました。そしてとにかく会話すること。それが金メダルにつながったんだと思います」

怒らない、怒鳴らない指導の原点

会話、コミュニケーションを重視した指導の原点にあるのが、来日当時に持った違和感だった。宇津木監督は日本でソフトボールをプレーするため1988年に来日したが、当時のスポーツの現場はまだまだ鉄拳制裁や怒鳴る・怒る指導が当たり前だった。

「中国のスポーツ現場は人間教育中心。私自身は両親から殴られたこともなく、監督から怒られたこともない。キャッチボール1つ取っても『ボールはこう取った方がいい』とアドバイスされる感じだったんです。それが日本に来た途端、監督に怒鳴られたり、殴られたりする日常を目の当たりにしました。『打てなかったら中国に帰れ』とヤジを飛ばされたこともありました。すごく驚きました」と述懐する。こうした経験から、会話によって絆を深め、信頼関係を築くことが何よりも大事だと痛感。指導者として実行し続けている。

上野・後藤、五輪決勝の継投の秘密

7月東京五輪では、39歳の上野選手を20歳の新星・後藤希友選手(トヨタ自動車)が見事に補完する投球を見せたが、それも日頃のコミュニケーションのたまものだった。

後藤希友選手の好投は金メダル獲得の大きな力になった。写真=日本ソフトボール協会提供
後藤希友選手の好投は金メダル獲得の大きな力になった。写真=日本ソフトボール協会提供

上野選手は日本ソフトボール界を長年けん引してきた絶対的エース。今も110キロの剛速球を投げる大黒柱だけに「自分がチームを引っ張らなければいけない」という自負は誰よりも強い。そんな看板選手を途中で下げるのは、指揮官にとって勇気のいることだ。

代わって入るのが20歳近くの年下の若手となれば、プライドが傷つけられるかもしれない。「でも上野は、もちろん高いプライドを持っているけれど、プライドのために試合をするのではなく、勝つためのプライドを持っている」と宇津木監督は上野選手に信頼を寄せる。

39歳の上野由岐子選手(17番)も力強くチームを引っ張った。写真=日本ソフトボール協会提供
39歳の上野由岐子選手(17番)も力強くチームを引っ張った。写真=日本ソフトボール協会提供

さらに、2人のピッチャーとしての個性を知り抜いた差配を行った。「上野は、とにかく持久力がある。一方後藤は、チームがピンチになった時に爆発できる、爆発力のあるピッチャー」。宇津木監督は東京五輪で2人を巧みに使い分けた。

顕著な成功例が7月27日に行われた決勝・アメリカ戦だ。6回途中で上野選手を下げ、後藤選手を投入。若き左腕は1アウト1・2塁のピンチに直面しながら無失点で乗り切り、7回に再び上野選手にマウンドを譲った。その上野選手が最終打者をファウルフライで打ち取り、2008年の北京大会から2大会連続金メダルに輝くという、理想的なシナリオを実現した。

「上野とは15年以上にわたって対話を重ね、信頼関係を築いてきました。裏表のない気心の知れた間柄ですから、後藤との交代にも文句ひとつ言いませんでした。心底、信じて託してくれたし、後藤を力強くサポートしてくれました」

7年後を考えて起用した

上野選手には事前に「後藤をワンポイントでも出したい」と話していたのだという。ソフトボールは、次の2024年パリ大会では競技種目から外れるが、2028年のアメリカ・ロサンゼルス大会では復活する可能性がある。「7年後を考えて後藤を起用した」と宇津木監督は語る。

「上野がよく、(2日間413球を一人で投げ抜いた2008年北京大会などの大きな試合を指して)『あの時の経験があるから今の自分がある』と言うんです。それほど大舞台での経験は大きい。私ももういい年ですからね(笑)。将来、日本のソフトボールを強くしていくのは私じゃなく、後藤のような若い選手です。かつての上野がそうだったように、後藤にもそういう大きな経験をさせたいと、チャンスを探していたところもありました」

「勝って金メダルを取る」ことはもちろんだが、それに加えて、若い後藤選手が大舞台の経験を未来へと引き継げるよう考え抜いた結果だったのだ。

約20年にわたって師弟関係を築いた上野由岐子選手(左)と金メダルを持って笑顔で記念撮影する宇津木麗華監督(右)
約20年にわたって師弟関係を築いた上野由岐子選手(左)と金メダルを持って笑顔で記念撮影する宇津木麗華監督(右)
選手の能力を一瞬で引き出す

試合中の声掛けも、宇津木監督らしい気遣いがあった。

「後藤選手は明るくあっけらかんとした性格で、プラス思考。一瞬の集中力がすごいので、大事な場面では、自信を持たせる言葉を掛けると力を発揮できるんです。決勝戦の時は、『とにかく思い切り投げろ』と言ったら『ハイ』と返してきたので、大丈夫だと確信しました」と指揮官は言う。

「選手一人ひとりの能力を、大切な一瞬に引き出すためにはどうすればいいか、常に考えている」と語る宇津木監督。「選手に何かを伝えるとき、私だけの考えだと、選手にとっては物足りないんじゃないかと思うんですよね。選手にどんなことを、どんな風に伝えるといいのか。そういったヒントが欲しいときには、本を読みます」

日頃から読書を欠かさず、野村克也さん、長嶋茂雄さん、落合博満さんといった野球の名将本はもちろんこと、シドニィ・シェルダンや曽野綾子さんらの小説、自己啓発本やビジネス書にも目を通す。最近では、脳科学者・中野信子さんの本も参考になったという。中国出身の宇津木監督がそこまで深く情報を収集しているのも、選手とチームの成長のため。彼女の知的好奇心と人を思う気持ちの強さは特筆に値する。

日本のソフト、世界のソフトを盛り上げたい

ソフトボールは残念ながら3年後の2024年パリ五輪では正式競技から外れてしまう。9月上旬に行ったインタビューで今後について聞くと、「先のことはまだちょっとわからないんですよね」と本人は答えていたが、9月23日の日本ソフトボール協会理事会で代表監督続投が正式決定。1年後の2023年アジア大会(中国)を目指して再始動することになる。

「私は人が好きだし、教えるのが好き。それに、ソフトしかできない人間なので、やめたら何も残りません。嬉しいことに、上野も『麗華さんのために現役を続けます』と言ってくれた。私の方は『あんた、(上野選手が好きな)アンパンマン(のように人のために頑張る正義の味方)になりそうだね』と返しましたけど。上野と一緒に、もっと日本のソフト、世界のソフトを盛り上げたいと思っています」

東京五輪で獲得した金メダルとともに写真に納まる選手たち。ソフトボール代表が五輪で金メダルを取る日をまた見たい
東京五輪で獲得した金メダルとともに写真に納まる選手たち。ソフトボール代表が五輪で金メダルを取る日をまた見たい

文=元川 悦子

宇津木 麗華(うつぎ・れいか)
2020年東京オリンピック ソフトボール日本代表ヘッドコーチ(監督)
1963年6月1日、中国・北京生まれ。ソフトボール中国代表として活躍後、1988年に24歳で来日。ビックカメラ女子ソフトボール高崎の前身である日立高崎に入団し、95年に日本国籍を取得。2000年シドニー・2004年アテネ五輪に日本代表として出場し、メダル獲得に貢献した。引退後は指導者に転身し、2005年4月からビックカメラ高崎の監督に。2011年に1度目の日本代表監督に就任し、2015年にビックカメラ高崎監督に復帰。2016年から2度目の日本代表監督となり、2021年に東京五輪で金メダルを獲得した。

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