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【女子のばんそうこう】女の生きづらさ、男の生きづらさ。

  • 2021.10.1

何てことないんだけど、妙に忘れられない光景がある。

まだコロナ禍以前、週末の浮かれ気分な街で飲んだ帰りらしい1人の男性を見た。高価そうなスーツを着て白いヒゲをたくわえ、素人離れした貫禄があり明らかに社会的地位が高そうなおじさんである。酔ってふらふらなのだがなぜか大変に不機嫌な様子であった。ぶつぶつ怒りながら周囲に不穏な空気を撒き散らして歩いていたが、しばらくすると後ろから部下らしき若い男性が慌てて走ってきて肩を支えた。おじさんはそんな彼にも不満らしく「触るな!」と八つ当たりしていた。

酔って怒るおじさんは珍しくないけど、お金も地位もありそうな風体の男性が「何もかもがままならん!」というふうになっていることにギャップを感じて強く印象に残ったのだ。

状況は全く分からないが、その背中を見て脳内に「男はつらいよ」という言葉が浮かんだ。フーテンの寅の冠につく切ないけど軽やかなそれとは違い、出口を失ってマグマみたいにどろどろ煮詰まってる「つらさ」だ。

それ以来、街でえらく不機嫌そうな男性を見かけると(たまにいるよね?奥さんや店員さん駅員さんに当たってる人)、「いやな奴だな〜」ではなくて「あの人も何かがつらいのだろうか…?」と考えるようになった。まあ不機嫌男性はあくまでもイメージアイコンに過ぎないのだけど。

この国での「女の生きづらさ」は周知の事実で、ようやく女たちの声を聞く環境も生まれつつあり、まだまだ根深いとはいえ少しずつ価値観が変わってきている。一方で「男の生きづらさ」はどうなのだろう。

もちろん私は「息苦しい世の中になった、昔は大らかでよかった」「今どきは何言ってもセクハラになる」なとどいう方向の生きづらさに同情するつもりはない。それは単に彼らが誰かの足を踏んづけたまま暮らしてただけで、その足をどけなきゃいけなくなった面倒くささを嘆いてるだけのことだ。

あとネットでよく見かける「男だってつらいんだよ!」という発言。なぜか女性が女のつらさや差別について声を上げた時のカウンター(反撃)としてしか出てこないので「そうなんだね」と頷きづらい。女への怨嗟をぶつけたい、女を黙らせたい以外の理由で、男性自身が「男の生きづらさ」を語る光景はほとんど見ない。若い世代はそういう声を上げ始めているし飲み屋のカウンターではそういう会話もあるだろうけど、男性は総じて自分自身のしんどさを表に出すのが苦手だなあと思う。

先日「日本はジェンダーギャップ指数が低い(男女格差が激しい)が、世界価値観調査においては女性の幸福度が男性の幸福度を上回っている」という記事を読んだ。確かにその調査では、日本の男性より女性の方が幸福を感じているという結果になってる。執筆者はその理由として「男女平等が戦後に色々実現し女性がかなり解放された一方で、男性は相変わらず『男は強くあれ』『女を守るべし』という古い価値観に今も縛られているからだ」としていた。

私は、昔に比べて抑圧されなくなったから女が幸福を感じているという説にも、「メディアが女性差別だと煽ってるけど当の女性たちは幸せらしいよ」という論旨にもぜんぜん同意できなかった。この国の女は現状に対してそんなお気楽じゃないし、どちらかというと社会的な部分がままならない分、個人的な部分で幸福を見つめているのでは?と思う。

でも、男性の幸福度の低さの理由については一理あるなーと思った。

女は不平等をこうむっていた分、どんどん声を上げ始め変わり始めた。死ぬほどゆっくりだが確実に上向きだ。でも男を縛る価値観はまだまだ旧来のまま。「仕事より家庭を大切に」「男も家事育児に参加を」などの流れにはなっているけど、それを実践できる社会にはなってない。「男子たるもの」という呪いは周りにも本人にも強固だ。

世間からは「変われ変われ」と言われるが、それは同時に「これまで優遇・免除されてたことを手放して裸足になりなさい」ということでもあるし、なかなかしんどいだろう。オスオスしさが良しとされ、それが社会的評価にもつながりやすかった時代にブイブイいわせてた老人たちがまだまだ実権を握ってるしね…。

この先、男性はもっと素直に「男はつらい」「俺はつらい」と声に出していいと私は思う。「だから昔通りにやらせてくれ」はさすがにもう通用しないし、それを女たちにケアしてもらおうとするのも無理だ。でも口に出せばいい。男特有の呪いや矛盾や我慢のしんどさを。それは女性差別を解消するのと同時に議論され、解消されるべきことだから。

女を踏んづけてるものは、男のことも縛りつけてる。だから一緒に、呪いから楽になる方法を探していきたいと思うのだ。

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