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町田啓太演じる土方歳三はあまりにも美しかった 『青天を衝け』に刻まれた2人の男の死

  • 2021.9.26
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『青天を衝け』写真提供=NHK

遂にこの時が来てしまった。NHK大河ドラマ『青天を衝け』第26・27回は、徳川幕府が滅び、新政府が立ち上がるという形で、かつて「悲憤慷慨」していた若者たちや、志半ばに凶刃に倒れた人々が夢見た「新しい世」がこじ開けられようとするその最中、死にゆく者と生き残った者のそれぞれの思いが交差する、非常に物悲しい回だった。

9月26日放送の第28回は、恐らく、新しい出会いを通してますますパワフルに前を向いて「新しい世」作りに邁進する篤太夫/栄一(吉沢亮)の姿を観ることができるのだろう。父親譲りなのか面白いほどによく喋る娘うた(山崎千聖)が、この物語に癒しと新しい風を吹き込んでいるように、時代は前へ前へと進んでいる。でもその前に、いなくなってしまった人たちの話をしよう。

第26回で尾高長七郎(満島真之介)が、第27回で土方歳三(町田啓太)が死んだ。彼らの死は「来るべき死」だった。恐らく視聴者の誰もが、彼らが生きながらえることはないことを予想していたことだろう。1人は第8回あたりから危うげな気配を漂わせ、「狐を見た」第12回にはもう既に、死の匂いを纏っていた。もう1人は、誰もが知る史実上の事実が常に目の前に横たわっていた。その日が来ることを恐れながら観ていた。でも、その死は、拍子抜けするほど美しく、穏やかな死であった。視聴者と同じように、そんなことはとっくに分かっていたとでも言うかのように全てを受け入れていた彼らの死は、これから生きていく人々の背中を押し、活かすための死として描かれた。「生の匂い」がする、篤太夫と成一郎/喜作(高良健吾)、「2人の渋沢」の背中を押したのは、太陽に対する月のような、「死」と共にいた/「死」に向かっていた2人の男だった。

あんなにも血洗島の若者たちの先陣を切っていた長七郎は、前述したように、特に「狐を斬った」第13回以降、完全に死の気配に取りつかれていた。満島真之介が演じるその様は見事だった。生き残ってしまったことを悔いる人々はこれまでも大勢描かれたが、長七郎は、彼自身が第21回において、牢の中からは見えない月を思い浮かべながら言っていたように、「生きたまま死んでいる」かのようだった。彼はゆっくりと死に向かっていた。

だから、第26回冒頭で、大木の下で素足のまま佇む、綺麗な顔をした、幾分か身軽になった彼が篤太夫の元に現れた時、既にこの世のものではないことは即座に見て取れたし、それは彼にとっては幸せなことなのかもしれないと思わずにはいられなかった。「生き残った者には、為すべき定めがある」と、かつて篤太夫が長七郎に言ったことを、長七郎はそのまま篤太夫に返す。それに対して篤太夫は、「この恥を胸に刻んで、今一度前に進みたい、生きている限り」、「生きていれば、新しい世のためにできることはきっとある」のだと、死んだ長七郎と、生き残ってしまったことを悔いる惇忠(田辺誠一)を前に誓うのだった。

「前を向いて生きる」。篤太夫はかつて、土方と出会った時も同じことを言っていた。「日本のために、潔く命を捨てるその日」に向けてひたすら前を向くのだという土方の言葉に返したものだった。第27回こそが彼の「その日」だった。そう思うと、なんと初志貫徹した人生だったことだろう。彼の登場する場面は決して多くはなかったが、町田啓太が演じた土方歳三の人生は、一瞬もブレることなく美しかった。まるで篤太夫・土方の「一夜限りのバディ結成回」のような第20回が描かれ、その後「もう一人の渋沢」成一郎を「同志」と呼んだ彼は、箱館で、洋装に身を包み、西洋式の戦い方を身に着け、西洋の医療のあり方を高松凌雲(細田善彦)から聞いて面白がり、あくまで前向きに、日本の未来を見つめ、「その日」を迎えた。

本作における彼の最後の仕事は、「生の匂いがする」成一郎を生かすことだった。篤太夫の元に「もう一人の渋沢」を帰すことだった。その後の成一郎のシークェンスも印象的だった。戦場の中、目の前で命を落とす仲間を目の当たりにした瞬間、成一郎の世界は突然色を失う。天狗党の乱で命を落とした藤田小四郎(藤原季節)をはじめとした、先に死んでいった友たちの姿が回想として示される。色を失った世界において、彼らの生きた証とも言える血の赤のみが鮮やかだ。その後、慶喜(草なぎ剛)と篤太夫という、生きている主君と友を思い起こすことで、彼の世界は再び色を取り戻す。土方が言う「あの世で友と酒を酌み交わす」未来と、「生きて友と再会する」未来はその瞬間天秤にかけられ、土方の言葉と、篤太夫の生命力が、成一郎をこちらの世に引き留めたのであった。

声を出して泣きながら歩く成一郎の姿は、ともすれば無様で、平九郎(岡田健史)が死に向かうまでのあの道のりとは対照的だ。それが生きるということなのだろう。無様で、みっともなくて、美しくはない。本意でない「新しい世」を見つめ、信じた主君の真意はわからぬまま、川村(波岡一喜)や惇忠のように、「命を持て余して」その後の人生を生きていくしかないと、後々思うのかもしれない。それでも「生きていれば」と栄一が言うように、勤勉な彼らは自分にできることをするのだろう。そして、そんな彼らが新しい世を作っていく。その未来は、きっと明るい。(藤原奈緒)

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