1. トップ
  2. 恋愛
  3. カーリー・レイ・ジェプセン、10周年を迎えた「Call Me Maybe」を振り返る

カーリー・レイ・ジェプセン、10周年を迎えた「Call Me Maybe」を振り返る

  • 2021.9.21
  • 1001 views

カナダ出身のシンガーソングライターであるカーリー・レイ・ジェプセンが、世界的なシンガーとなるきっかけになったヒット曲「Call Me Maybe」がリリースから10周年を迎えたことを振り返った。(フロントロウ編集部)

「Call Me Maybe」がヒットするまでウェイターとしても働いていたカーリー・レイ・ジェプセン

カナダ出身のシンガーソングライターであるカーリー・レイ・ジェプセン(35)は、2011年にリリースしたシングル「Call Me Maybe」が同じカナダ出身のジャスティン・ビーバーの耳に留まるなどして大ヒットし、一躍世界的な人気を獲得したのは有名な話。

今回、カーリーは2011年9月20日にリリースした「Call Me Maybe」がリリースから10周年を迎えたことを受けてインスタグラムを更新して、「些細な人生に落ちた落雷のようだった」という同曲のヒットを振り返った。

カーリーによれば、同曲をリリースまではミュージシャンとウェイターの二足のわらじで生計を立てていたといい、同曲をリリースする前のとある晩に、ウェイターをしていたお店で自分の音楽について話しているグループに接客した時のことを次のように振り返っている。「テーブルに、カナダでのキャンプ旅行から帰ってきた 12人くらいのグループが座っていて、ラジオから流れてくる曲に合わせてずっと歌っていたの。確かあれは、“Tag of War”(※)っていう私の初期の曲(当時はカナダでしかかかっていなかったの)だったと思うんだけど、その曲が繰り返し流れていてね。それで、彼らは全くもってファンじゃなかったみたい」。

※実際の曲名は「Tug Of War」。

「その時に聞いた発言をそのまま書くと、『旅行中にこのカーリー・レイ・ジェプセンっていう女の子の曲がずっと流れていたから、もうウンザリだよ』っていうことを話していたの。そのうちの何人かは、モノマネしながら曲に合わせて歌っていた」。

画像: 「Call Me Maybe」がヒットするまでウェイターとしても働いていたカーリー・レイ・ジェプセン

自分のファンではなかったというグループを接客していたカーリーだったが、彼女としては、自分の音楽について話してくれている人たちと会ったのはその時が初めてだったそう。むしろ、自分を話題にしてくれたことに嬉しさを感じたカーリーは、彼らに正体を明かすことにしたという。

「彼らが出る前に彼らの伝票を印刷して、その裏に太い文字で自信満々に私のサインを描いたの」とカーリーは続けている。「私はこう言った。『今夜は担当させていただき、ありがとうございました。それから、伝票の裏にサインを描いておきました。私の大ファンのようでしたので!』って。彼らは呆気に取られていたよ。それで、みんなで大笑いした。もしかしたら、いつもより少し多めにチップをもらった気がする」。

夢を追う人たちにメッセージ

「大切なのは、夢を諦めないでということ」とカーリーは続けて綴り、夢を追う子供たちにメッセージを寄せている。「あれから3ヶ月も経たないうちに『Call Me Maybe』がリリースされたけど、あの曲が彼らをイライラさせていたことを願うよ。へへ」。

画像: 夢を追う人たちにメッセージ

「とにかく私は、(みんなが作ってくれた)楽しい動画や、ふざけたダンス、それから、色々な国でワイルドな夜を一緒に過ごしてくれたことに『ありがとう』と言いたい。みんなが、この曲との冒険で私の世界や私の心を開いてくれた。みんなには、感謝してもしきれない」と、「Call Me Maybe」を聴いてくれたファンへの感謝を綴ったカーリーは、投稿を次のように締めくくった。「それから、私の元ボスもホッとしてると思う。私は酷いウェイトレスだったから!」。

カーリーの投稿はこちら。

(フロントロウ編集部)

元記事で読む
の記事をもっとみる