1. トップ
  2. 恋愛
  3. 付き合う相手や結婚相手と価値観が合うって本当に大事?【ひとみしょうの男ってじつは】

付き合う相手や結婚相手と価値観が合うって本当に大事?【ひとみしょうの男ってじつは】

  • 2021.9.4
  • 3863 views

編集部から、付き合う相手や結婚相手と価値観が合うって本当に大事?というテーマを与えられました。かねてから考えてみたいテーマだったので、みなさんと一緒に考えたいと思います。

価値観とはなにか?

まず最初に、価値観とはなにか?について、一緒に考えたいと思います。

たとえば、離婚の理由は「価値観の不一致」が多いとされていますが、離婚した夫婦はなにが合わなかったのでしょうか?つまり価値観とはなんぞ?

思うに、価値観とは、人間に対する感覚的理解度の深さ(浅さ)のことではないでしょうか。

たとえば、僕と妻は好きなものがちがいます。妻はスタバが好きですが、僕はそこまで好きではありません。長蛇の列に並んでまでスタバのコーヒーを飲みたいと思ったことがないし、おそらくこの先もそう思うことはないように思います。が、たまに一緒にスタバに行きますし、行けばそれなりに楽しい時間を過ごしています。

また、僕はクラシック音楽が好きですが、妻はさほど興味を示しません。が、妻はときに音楽会に付き合ってくれます。1万円以上するS席で睡眠をおとりになっていることもありますが、それでもべつに嫌ではないようです(しっかり寝れたからか?)。

以上のような「趣味のちがい」と「価値観のちがい」とがごっちゃにして、世間では「価値観のちがい」と丸められているように思います。が、なぜ趣味と価値観を価値観というひとことに集約できるのかといえば、その奥に「人間理解」がじつは潜んでいるからではないでしょうか。

感覚ってなんだろう?

スタバや音楽会における具体的なふるまいの中には、他者に対する理解、すなわち人間理解が潜んでいます。スタバの店員さんに対するふるまい、ステージで演奏する音楽家たちに対する私たち聴衆のふるまい、それらのふるまいはすべからく人間理解に依るものです。その人間理解のベースになるものとは感覚です。なんらかを感じた「感じ」に応えるのがふるまいだからです。頭で考えて理性的にふるまうときであっても、理性と感性は不可分ですし、生活するうえにおいては一般に感覚が先んじるのだから、他者に対するふるまいとは、感覚に依るのです。

その感覚がちがうことを、価値観の相違と呼ぶのです。

この場合の感覚とは、「楽しいと感じること」です。

スタバがまあまあしか好きではない、けれど、スタバに行くとその時間を楽しいと感じる。この感じが感覚です。クラシック音楽など眠いだけだと思う、けれど、音楽会に行けば行ったで、なんらかを楽しいと感じる。この感じが感覚です。

付き合う相手や結婚相手と同じであったほうがいいのは、趣味嗜好ではなく、その感覚です。

長く続くカップルはなぜ長く続く?

とはいうものの、感覚って空気みたいなもので捉えどころがありません。また、ひとりの人の中でも、昨日まで楽しめたものが今日はちっとも楽しく感じられないといった変化が起こります。

しかし、長く付き合っているカップルや夫婦は、その変化も込みでお互いの存在を楽しんでいます。それはなぜか?

相手に自分を見ているからです。

私たちの心の中にはさまざまな自分がいますが、その中のひとりとは相手そのものなのです。具体的に言えば、20歳の頃に洒落た、かつ、親密な感じのするカフェのようなインテリアに憧れた僕とは、今スタバ大好きな妻そのものなのです。反対から言えば、スタバ大好きな妻とは、20歳の頃に洒落た、かつ、親密な感じのするカフェのようなインテリアに憧れていた僕そのものなのです。

価値観の一致とはなにか?

相手の中に「もうひとりの自分」を見出すことに成功したふたりは、趣味がちがっても長続きします。

先に書いたとおり、私たちの心の中にはさまざまな自分がいます。ざっと20の自分はいるでしょう。20?いや、もっとかもしれないですね。

付き合う相手や結婚相手と価値観が合うことが大事なのだとすると、それは、相手の中に「もうひとりの自分」を見出すことが大事だ、という意味において大事なのです。別の言い方をするなら、「感覚すること」を通して人間を理解するその感覚的楽しさの深度がどこかしら似ていることが大切なのです。

離婚したふたりは、「感覚すること」を通して人間を理解するその深度がどこかしらちがっていたのです。たとえば、夫は妻に対して「しょ~もないことばっかり気にしやがって」と言い、妻は夫に対して「家事も手伝わないで偉そうにしやがって」と思っていたのです。

つまり、夫の心の中に、じつは「しょ~もないことばかり言う自分」がいるのですが、夫はその「もうひとりの自分」をバカにしているのです。妻の心の中には「家事をしないで偉そうにしたい自分」がいるにもかかわらず、その自分を妻は毛嫌いしたのです。

相手は、自分の心の中にいる「もうひとりの自分」です。

それを感覚を通して理解する、その意味における人間理解の深さ(浅さ)が似ている、これを価値観の一致というのです。

※参考 ひとみしょう『自分を愛する方法』玄文社(2020)

(ひとみしょう/作家・キルケゴール協会会員)

元記事で読む
の記事をもっとみる