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森山未來が維持するダンサーとしての身体性 東京オリンピック開会式で感じた驚き

  • 2021.8.6
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森山未來

賛否両論が巻き起こる中で敢行された、東京2020オリンピックの開会式。そこで単身、ダンスパフォーマンスを披露した森山未來に注目が集まっている。広大な国立競技場に設置されたステージ上にて、たった一人で照明を浴びて舞う彼の姿を、多くの方が息を呑んで見つめていたようだ。

白装束に身を包み、ゆっくりと地から這い上がるようにして立ち上がり、その姿を見せた森山。この登場には、たしかに多くの方が驚いたことなのだろう。実際、彼と近しい関係にある者さえ森山の出演を知らず、驚きの声が。これがSNSで話題となり、メディアで取り上げられたくらいだ。そんな、人々が固唾を呑んで注視する中、森山は何度も高く飛び上がり、地面(ステージ)に自らの身体を打ちつけた。全身を使って、彼は地面を打ち鳴らしたのである。ここで森山が自身の身体で表現したのは、今日までに命を失った多くの人々への追悼の意。神秘的で多層的な意味が込められた彼の踊りは、さまざまな受け止められ方をしたようである。

出演が発表されていなかったうえに、ステージ上での森山は一言も発さないため、彼のその胸中を推し量ることはできない。ただ、世界が注目するあの場に単身で臨んだというのは、彼が一人で何かを背負おうとした証左だとも思える。あの瞬間は、いろいろな意味において、あの場が“世界の中心”となっていたことだろう。そんな森山の踊る姿を目にして、驚嘆の声を上げる人が多いのにはうなずかざるを得ない。しかし彼があの場で踊ったという事実以上に驚きなのが、森山が身体パフォーマンスに長けた表現者だったことに対する驚きの声の多さだ。ダンサー・森山未來としての顔を知らない方が、とても多かったようなのである。

森山の過去の出演作を、いくつか思い返してみていただきたい。それらには彼の踊る姿が収められているはずだ。その中でも特に彼の踊りが際立っている作品といえば、2010年放送のドラマに続いて映画も製作された、やはり『モテキ』(2011年)だろうか。ダンスシーンばかりが頭に残っているという方もいるのではないかと思う。同作においてダンスとは、主人公の心情を表象するもの。映画を構成する重要なエレメントとなっていた。特に、オープニングテーマとなっているフジファブリック「夜明けのBEAT」のMVでは、ドラマや映画の物語性とは異なる次元で、より感情的な激しいダンスを披露している。ここでは、メインとなっている音楽に対して森山の踊りは欠かせぬものであり、また同時に、森山の踊りに対しても音楽が欠かせないものとなっている。つまりこのMVは、非常に完成度の高い映像作品でありながら、もちろん音楽作品であり、そしてやはりダンス作品でもあるのだ。未見の方はすぐにでもYouTubeで検索をかけていただきたいところである。

もちろん、観客の目の前で俳優の生の身体が躍動する演劇作品においても、彼のダンスは活かされてきた。ミュージカルなどは当然のことだが、繊細な身体表現が求められる作品では、森山だからこそ演じられたものも多かったのではないかと思う。“一人の青年が朝目覚めると、虫になっていた”ーーというあらすじで知られるフランツ・カフカの『変身』を演劇化したものでは、虫になってしまうかの有名な青年、グレゴール・ザムザを演じ上げた。生身の人間が生身の身体のまま、“虫”を演じたのである。異常なまでに優れた森山の身体性が、一部の人々に深く浸透した作品なのではないだろうか。そう、つねに彼は、“俳優が踊る”域を超えるパフォーマンスを見せてきたのだ。

そもそも森山には、「俳優」だけでなく、「ダンサー」という肩書きがある。幼少期よりダンスに取り組んできたため、キャリア的には俳優業よりもダンサー歴の方が長いのだ。2013年から2014年にかけての1年間、文化庁文化交流使としてダンスのため海外へ渡ったことは、“知る人ぞ知る”経歴といったところなのだろうか。イスラエルのインバル・ピント&アブシャロム・ポラック・ダンスカンパニーなどで滞在して活動し、2014年の10月には東京都現代美術館にて同カンパニーによる『ウォールフラワー』が上演された。筆者は、このときに初めて生で森山の踊りを目にしたのだが、そこにあったのは映画やドラマで見る彼ではなく、「ダンサー・森山未來」の姿だったことを鮮明に覚えている。

さて、ここまで記してきたことは、森山に関するただの事実である。最後に、筆者がオリンピックの開会式での彼の踊りを観て感じたことを述べたい。それは、「俳優」としてこれだけアクティブな活動を展開しながら、それでも「ダンサー」でもあり続けられるということだ。たとえば、『苦役列車』(2012年)では不摂生が身に染み付いた若者を演じるため、森山は自身の生活環境も変えたというし、ボクシング映画『アンダードッグ』(2020年)では、自身の身体をボクサーの身体につくり変えた。それらは鍛えられたものであろうとなかろうと、“ダンサーの身体”ではないはずだ。作品ごとで演じる役に合わせた身体づくりを実践しながら、それでも森山はダンサーとしての身体性を維持し続けている。それを世界中の人々の視線が集まる中で証明したのだ。筆者が森山の踊りを観てもっとも驚かされたのは、この事実である。

演じることを「踊り」と捉えている表現者・田中泯ともまた違う。森山未來という存在もまた、「俳優」や「ダンサー」の枠組みで語ることができない、唯一無二の表現者なのだと思う。

(折田侑駿)

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